恋の病
元兄は時々…いや、いつだっておかしなことを言う。
***
酒は飲ませてないし、何か意地悪をしたわけでもない。穏やかな天気の平和な午後、アーサーが振る舞うクソまずいスコーンに文句をいいつつも、いつもと変わらないアフタヌーンティーを味わっていた。はずだった。なにがきっかけだろうか。ソファーに埋もれるアーサーが突然しくしくと泣き出した。彼が手にしていたティーカップは、古臭い絨毯の上に音もたてずに落ちていた。
「what?」
「いつだって苦しくて、苦しくて、おかしくなりそうだ」
「…病院いったら?」
最後の一個となるスコーンをかじる。ゴリゴリと、この世の食べ物とは思えない音と味が口の中に広がった。
「びょ、病院なんて、いったところで無駄なんだ」
「ふぁんではい?」
「のろいだからだよバカァ!」
先ほどまで膝へと項垂れていた頭が突然あげられ、アルフレッドの面前へと近づく。目元は赤く腫れ、グリーンアイズは涙でゆらゆらと揺れていた。アルフレッドはやっと、なんでアーサーは泣いているんだろうかと疑問に思った。
「呪いなんてないぞ」
「あるんだ。お前は、知らないだけで!」
「そんなもの君にかける物好きもいないだろ」
「兄さんたち、とか…」
自分で言っておきながら、アーサーはしゅん、と肩を落とした。なんだいなんだい。話がちっとも見えないんだぞ。こんな平和な午後のティータイムにこのおっさんは何を言っているんだ?
「面倒くさいんだぞー。はっきり言ってくれなきゃわからないぞ」
「面倒いうな。ただ、こんな時でも、俺は胸が苦しくて、今にも死にそうで、そんな気持ちにならなくちゃいけない呪いが、憎くて辛くて悲しいんだよ。」
「こんな時って…いま?」
「いま」
自分自身の胸にあてた手をぎゅっと握りしめてアーサーが呟く。下を向いたままの頬には涙がとめどなくつたい、ぼたぼたと落ちていく。アルフレッドは疑問に思う。アーサーの全てにだ。いま、この、安らぎさえ感じる瞬間にアーサーは苦しみしか感じないという。それがつらくて泣いているのだという。
そう思った瞬間に、アルフレッドの胸にも鋭い痛みを感じた。感情が落ちていくのがわかる。アーサーのように泣いてしまいそうだと思った。
「…おれは、つらい。お前とこうして二人でいて、」
「……」
「しぬほど、」
「……」
「つらい」
つらい。つらい。つらいんだ。
そう繰り返されて、アルフレッドもどうしていいかわからない。ただソファーの上でアーサーに向き合い、嗚咽をもらしながら震わせる肩を眺めていた。その距離は驚くほど近くて、手を伸ばせばきっと抱き寄せることもできた。
先ほどまでの自分だったら、抱き寄せることもできた。
「…ねえ、」
じゃあさ。
もう会わなければいいんじゃないの。俺と。
指先が震えて、鼓動が速くなる。そう言ったら一体アーサーとのこの距離はどうなってしまうのだろうか。また、何十年前のあの他人以下の触れあいしかできなくなってしまうのだろうか。こうして午後のお茶に招かれることも、一緒に食事をすることも、映画を見たり、友達程度に触れ合ったり、じゃれあったり。自分が、言葉にできないくらい感じていた幸せというものを全て手放すことになるのだろうか。
そう思うと言おうとした言葉は胸でつかえ、のどを鳴らすしかなかった。
「どうしても、治らないのかいそれ」
「病気とはちがうって、いってんだろ」
「呪いなんて言い訳しなくていいよ、つまり、」
「……」
それが君の本心なんだろ。
そう言おうと、口を開いたところでアーサーの顔があげられる。どうしてそこまで、と言いたくなるほど泣きに泣いた顔だった。そんな顔をされて、どういう言葉をかければいいかわからない。情けないことに、困った顔しができなかった。
「でも、ちがう、ほんの一瞬だけ、苦しくなくなる時があるんだ。本当に一瞬で、すぐにまた苦しくなるんだけど。」
「例えば?」
「わかんねえ。でも、お前が側にいるときだよ」
「俺?」
「お前といると、苦しくて、でも、苦しくないときもあって、どうしようもねえ」
「俺はどうしたらいい?」
「おまえはっ…」
再び、ぼたぼたと涙がこぼれる。鼻水もでているし、むちゃくちゃだった。なんだかそれはおかしくて、思わずアルフレッドはわらった。笑いだしたアルフレッドを見てアーサーはぽかんとした後、眉を吊り上げぽこぽこと怒った。
「て、てめっ」
「もう、君の話をまじめに聞こうとするとこっちまでおかしくなりそうだよ」
「うるせー、てめえなんか、ううっ」
「ヒーローは万能だけど、電波なイギリス人に対してはお手上げなんだぞ」
「ば、ばかあ…ばかっ」
HAHAHA!アーサーの頭をポンポンと叩きながらアルフレッドは笑った。本当は抱きしめたいと思ったけれど、それは今は無理だと思った。ヒーローも電波なイギリス人に対しては何かと臆病になってしまうんだ。これこそ呪いってやつなんだろうとアルフレッドは思った。
love sickness