その、小さな手のひら
なんだかんだ言いつつも、結構キラを気に入っているクルーが多いことも知っている。そう言う輩に先を越されるのもなんだか気に食わない。
…ような気がした。
確か最初は、なんて軽薄そうな人だろうと思ったんだ。
「…まあ、そうだろうとは思うよ、今でもね。」
食堂でそう呟いた。
「…そうね、まだよく判らないもの、フラガ大尉。」
トレイのサラダをを掻き回しながら、ミリアリアも同意する。
俺、あんまり接点ないからなあと呟いたトールは首を傾げた。
「そんなに変わった人かな?」
よく動く口と表情に苦笑しながら、自分のトレイに視線を落とした。最近食欲はあまりない。物資が少ないから、無駄にすると解っていて食事を採るくらいなら最初から要らないと言っても、心配性の友人コンビは無理やりここに引っ張ってくる。時間交代で動く彼らとは違って、比較的時間を持て余している自分にとって、その誘いは有難くもあり、ほんの少し煩わしくもあり。それでもそう言ってくれる事には感謝している。
夕べ、少しだけ件の大尉と話をした。おかげで今日は少し気分が軽い。このまま何事もなければ、月まで数日。
「…でもさ、本当にどうするんだろうね。どう考えても月までもたないんだろう?水とか、食料とか?」
小声で周りに気を遣いながら、トールは言った。
「うん、なんかどこかで補給するって言ってたけど…。」
額を突き合わせて話していると、突然頭上から声が振ってきた。
「…おまえら何相談してるの?」
水の入ったグラスを片手に、トレードマークのオレンジ色の眼鏡を押上げて、呆れたような表情のサイが立っている。
「ミリアリア、交代だってよ?」
いけない、と言ってその言葉に慌てて立ち上がった少女は、トレイを下げて走り出した。
「とにかくキラ、それちゃんと食べなきゃだめだからね!」
駄目押しされて、ため息をついた。
「大尉、何もしないんならどいてくださいよ!」
整備士に怒鳴られて、まどろんでいた意識がいきなり覚醒する。
「…うわぁ、軍曹、俺昨日あんまり寝てないんだからさー…そんな邪険にしないでよ…」
何やら中身のぎっしりと詰まった巨大な箱の上から起き上がってそう返事をした。
そう言われても、とぼやきながら工具箱から何やら取り出してこちらに放り投げる。
「そいつで、その箱開けて、中に部品のストックがあるんですよ。…ゼロの!」
最後の一言に、ぶつぶつと呟きながらも巨大なレンチでナットを回す。
「…あいつさぁ…」
後ろで黙々と作業中の整備士に聞こえるか聞こえないかの声で話し始める。
「…昨日ここで泣いてたんだよ。」
そう言うと一瞬振り向いたような気配がして、微かに彼は失笑した様子だった。
「…そりゃあ…誰だってそういうことあるでしょう。」
当たり前の反応が返ってきて、苦笑する。
「誰でも、ね。」
そういう男だと思ったからこそ、話してみようと思っている。
「…俺はさ、あいつにいろいろ、要求し過ぎなのかなと思うんだよ。まだ子供だろ?…今の状況は、ちょっときついんじゃないかなと思ってさ。」
あたりを漂うボトルに手を伸ばして、独白する。ボトルの中身を一口すすってから、続けた。
「あの位の歳って、もっと色んなこと出来るよなぁ。」
どうでしょうね、と言って彼もまた手を休めた。
「…私は正直言って羨ましいですよ、イチ技術屋としてね。モルゲンレーテの奴らもそう思ってるの多いんですよ。…可能性を、見た気がしました。」
そう言って苦笑した。
「大尉もそうでしょう?」
うん、と頷いてからため息をついた。
「…まあ、持って生まれたものは仕方ないからさ。そりゃああいつは人工だろうけど、パイロットとしては羨ましいな。」
苦笑交じりにそう言って、手にした工具を弄ぶ。
「…イマイチ、信用されてないよなあ、俺ってさ。」
その呟きに、心底呆れた様に彼は言う。
「…大尉は根っからの人タラシなんですから、そんなことはありませんよ。」
大丈夫、と言って笑った。
「坊主も、解ってますよ。そのくらいのこと。」
度重なるキツイ重力と、緩やかな無重力空間を行ったり来たりしていたせいか、体中がなんとなくだるさを訴えていた。眠ろう荷も、ベッドに入れば思い起こされる出来事に、浅い眠りを繰り返していた。
「…結局、寝られそうなところって言うとここか…。」
ため息交じりにそう言いながら、格納庫を見下ろすデッキの手すりに頬杖をついて、忙しく立ち回るオレンジ色の作業服の群れを眺めていた。それぞれの機体の周りには入れ替わり立ち代り誰かが居て作業をしているので、うかつに近づくと邪魔になるだろうと考えて、そのままデッキに座り込んだ。
「…またこんなところで寝てるのか、おまえ。」
手すりの向こう側から来たらしい声に閉じていた目を開けると、艦内の一番良く解らない人が空中に浮いていた。
「…別に寝ているわけじゃないんですけど。」
そう言って曖昧な笑みを浮かべた。
「結局、いろいろ考えたけど、今落ち着ける場所って言うとここ…っていうよりあの中なんですよね…。」
そうか、と言ってその人は実に楽しそうな笑みを浮かべた。
「さっきいいものがあったぞ。」
そう言って示された先には、巨大な搬送用コンテナがあった。
「アレな、さっき中身出したから空だし、マードック軍曹にも頼んで解体しないでもらったからさ。上から入れば、完全個室?」
冗談めかして言うのが可笑しくて、笑った。
「…大尉、いくらなんでもアレはちょっと…」
笑いながら抗議すると、そうか?と言って続ける。
「結構いいアイディアだと思ったんだけどな。それに、そうやって笑ってくれるし。」
不意に柔らかな笑顔で見つめられて、今まで張り詰めていたものも和らいでいく。
「…有難うございます。でも、どうせなら士官宿舎を頂けると有難いですね。」
ごく自然に、言葉が流れる。
随分と久しぶりに気楽に話の出来る相手に出会った気がした。
「…そうそう、そうやって笑ってろよ。せめて、俺の前ではさ。」
こっちも気楽に仕事したいじゃないか、といって手すりを越えた。
「…もっと軽薄な人かと思ってましたけどね。」
よく言われるなあ、と苦笑して軍手を外した。
「辛いならそう言えよ。俺が半分ぐらい、引き受けてやるから。」
心地よい重みのある誠実な言葉に、眼の奥が熱くなった。
「…はい。」
うなずくと、よし、といって肩を叩かれた。
「…ところが軽薄じゃない訳じゃない、かもしれないんだな。」
ふとした遊び心だと思った。
え、といって顔をあげるキラの唇に、微かに触れるようなキスをする。
「たっ…大尉ッ、何するんですか!」
真っ赤になったキラを見て、至極満足する。
「冗談だよ、冗談。」
何事か抗議する少年をその場に残して、デッキの床を逃げるように蹴った。
作品名:その、小さな手のひら 作家名:綾沙かへる