主人と従者
…また見られてる。
背後にいる人物に気づかれないようにそっと息を吐き出しながら着替えを続ける。
プライバシーというものがほとんど無かった孤児院育ちなので人前で着替えるのにあまり抵抗は無い。
けど、さすがに着替えている姿を見つめられるのは気になる。
先日僕の従者になった彼に男色趣味は無かったはずなので、多分深い意味はないんだろうけど…護るって言っていたから護衛のつもりなのかもしれない。
そういえば、彼のブラコンぶりはナイトレイ家の外でも有名だったことをふと思い出した。
…今まで生きてきて誰かに性的な対象として見られたり扱われたりしたことがないから、心配は無いだろうけど。
「なんで見るの?」
彼に背を向けたまま、シャツのボタンを留めながら聞いてみる。
「……ああ、そうだね。僕は君の従者なんだから着替えを手伝うべきだよね」
手伝って欲しいと言ったわけではないのに…彼がゆっくりとこちらに近づいて来るのがわかる。
たたんであったベストを背後から肩にかけられる。
そしてさらに彼は僕に近づき、小さな子供の様に後ろから半ば抱き抱えられる様にしてベストに腕を通させられた。
「っ自分で着替えられる!」
慣れない彼の腕の中から身を捩って抜け出すと、ベストの次に着るジャケット掴み彼から5歩くらい離れてジャケットに腕を通し、ベストのボタンを留め、ジャケットのボタンを留めていく。
ボタンを留めながらちらりと彼の顔を盗み見る。
彼は気を悪くした様子は無く、機嫌良さそうに指にリボンを絡めたりしている…指に絡められているのはシャツの襟元を飾るリボンだった。
「残念、せっかく従者らしい事が出来ると思ったのに」
「自分の事は自分で出来る」
「うん、でも頼られたいよ、従者だからね」
ジャケットの最後のボタンを留め終えると、狙い済ましたかの様に彼が近づいてくる。
端の部分に金糸で複雑な模様が刺繍された真っ黒なリボンを器用そうな長い指で結ばれる。
結び終えると彼は2、3歩後退し、僕を髪先からつま先まで何度か見直し、彼は満足気に微笑んだ。
「良く似合ってるよ」
毎日言われているこの言葉に、僕は慣れず未だにほんの少し気恥ずかしい気持ちになる。
孤児院で暮らしていた時も従者になってからも、服を着ただけで褒められた事は一度も無い。
なぜ服を着ただけで褒められるのか、よくわからない…お世辞なんだろうか?
「…そう」
着替えただけなのに少し疲れた様な気がする。
お茶でも淹れようかとドアの方へ向かうと、後ろから声をかけられた。
「どこに行くの?」
「お茶でも淹れようと思って」
「僕が用意するよ」
「…茶葉が無駄になるから良いよ」
「僕のご主人様は容赦が無いなぁ…」
「事実だよ、座って待ってて」
彼の返事を待たずにドアを開いて部屋の外に出る。
追って来ない事を確認し、ほっと息を吐き出し歩き始める。
前に一度彼が淹れたお茶は酷かった…淹れた本人が一口以上飲めないくらいに酷かった。
別に美味しいお茶を淹れられる様になって欲しいとは思わないし、僕の身の回りの世話をして欲しいとも思わない。
人には向き不向きがあるし、彼は最近まで貴族として傅かれる側の人間だったのだからそう簡単には変われないだろうし、無理に変わる必要も無いと思う。
だって彼は彼自身の願いを叶える為に僕の従者なっただけで、僕の世話をする為に僕の従者になったわけではないのだから。
それに、僕が彼に望むのはたった一つだけ。
彼の望みが叶うまで、彼が僕の傍らにある事。
…人間は強くて弱い、たった一つの切り傷で命を落とす事もあるのだ。
彼は僕を護ると言うけど僕は簡単には死なないらしいので無理に護る必要は無いのだ。
チェインと契約しているとはいえ、彼はただの人間で…僕の主の様にいなくなってしまうかもしれない。
もしくは僕の身体が先に限界をむかえてしまうかもしれない、そうなる前に彼の願いを叶えてあげたいと思う。
だから僕が彼の願いを叶える瞬間まで、彼は僕の傍らにいなければならない。
彼の願いは僕にしか叶えられないのだから…。