その手を差し伸べて
湿気た地下の空気と違い、温かく乾いた風が頬を撫でる。
少しでも早く服を着替えたかったが、このまま部屋に戻ってもサニャやローニカに心配をかけるだけだろう。
僕はひっそりと奥へもぐり、まずは服を乾かすことにした。
あまり人気のない城の奥の方、ほとんど森になっている所に陽だまりの出来ている場所がある。
念のため人がいないことを確認すると、全身にまとわりついて不快な衣服をすべて脱ぎ捨てて、きつく絞った。
一番柔らかい素材でできているもので髪をぬぐい、もう一度絞る。
一枚一枚をパンパンと音を立てて広げると、重ならないように広げておいた。靴の方は拾った木の枝を地面にさして引っかけておく。
幸い今日はかなり暖かい。しばらくすれば乾くだろう。
草の上に腰を下ろして膝を抱えた。自分の肌が冷えているのがわかる。思わずため息が漏れた。
タナッセが自分をよく思っていないのはわかっていたのに、好奇心から後をついて行ってしまった。
その結果、泳ぎの特訓と称して彼の護衛に地下湖に放り込まれたのだ。
どうしてこんなことをされるのだろう。
タナッセは意地悪だ。いつも嫌なことを言うし、怒っている。僕は望んでここに来たわけではないのに、そんなことは関係ないらしい。
胸が苦しくなるのと同時に、じわっと目が潤んで、膝に顔を埋めてますます丸くなる。
「レハト!?」
すっ頓狂な声に名前を呼ばれて、ハッと顔を上げると、トッズが横合いの茂みから顔を出していた。
「おっまえ、何してるのそんな恰好で!」
今日トッズは御用商人として中庭の市に出ているはずだった。わたわたと近寄って来たトッズは辺りに広げられた服をみると、ためらいなく自分の服を脱いで僕に頭から被せた。
「ええーもう、大変目の保養になるんですけどね、万が一にも俺以外の奴の目に触れたら大変ですからね、主に俺が」
さらにわしゃわしゃと頭を拭かれて、勢いに首が揺れる。痛みに軽く抗議した。
「おっとこりゃ悪かった。んで、どうしたのよ、これ。どっかで泳いできたの?」
思わず視線を避けてうつむいてしまう。
「レーハートー? 何があったか、このトッズ様に言ってごらん? 何でもしてあげるし相談にものるよ? あ、できる範囲でだけど」
追うように覗き込むトッズをちらりと見て、僕はそっと視線をそらした。
はあ、と大きなため息が目の前から聞こえる。
「いやーまさか護衛の俺が一緒にいられない時にこんなことがあるなんて。やっぱりじじいは頼りになんねーな、うん。あんなじじいじゃレハトのこと守れないわ、うんうん。……で、何があったか言う気はないの?」
ぐりぐり、と頭を撫でられた。その手と、最後の言葉を言う声が優しくて、つい涙がこぼれる。一度溢れた雫は中々止まらなくて、僕は再び膝に顔を埋めた。
「やれやれ……。ちょっと失礼しますよー」
トッズが背後に回る気配がして、後ろから伸びてきた腕がぎゅっと抱きしめてくれる。頑なに口を閉ざして顔を伏せる僕を抱きしめて、トッズは小さい子をあやすように頭を撫でた。
「よしよし、怖い思いしたな。でもよくやった、自分の力で切り抜けたんだな。レハトはえらい。……もうこんな怖い思いさせないから。俺が守ってやるからな」
ひっく、と胸が震えて嗚咽が漏れると、後は止まらなくて、僕は体を反転させてトッズにしがみついた。そのまま彼の胸に埋もれて泣きながら、支離滅裂にいきさつを話す。
市にトッズがいなくて、それで門の所に行ったらタナッセに会ったこと、水が冷たかったこと、怖かったこと、濡れた服が気持ち悪かったこと、目を閉じた時ちょっとだけトッズを思い浮かべたけど来てくれなかった、など自分でもわけがわからないくらいわんわん泣きながらしゃべった。
八つ当たりな部分もあったのに、トッズは優しく頷きながら聞いて、ずっと僕の背中や頭を撫でてくれていた。
「落ち着いた?」
吐き出すだけ吐き出してしまうと、妙に気持ちが落ち着いた気がする。同時に、子どものように手放しで泣いてすがったのが気恥ずかしい。
感謝と謝罪とともに忘れてほしい、と頼むとトッズは楽しそうに笑った。
「ええーダぁメ。こんな可愛いレハトを忘れるなんてもったいない! ま、今度は嬉し涙でお願いしたいけどね」
立ち上がったトッズは僕の服をさっとかき集めて手渡してくれる。
「あんまり見てるのも目の毒だし。確実に生殺しだよねこれ。明るい所で思う存分見るのは成人してからでも遅くないからさ」
ぶつぶつ言っているのを聞き流して服を着た。まだ湿っているが、我慢できないほどではない。靴は履くとぐちゃりと音がしたが、我慢するしかないだろう。
少し迷ったが、僕は手を伸ばしてトッズの手を捕まえた。こうして体温に触れていると安心する。
「いいねえ、レハトから繋いでくれるなんて嬉しいなあ」
その笑顔が本当に嬉しそうだったので、僕もつられて笑った。