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ぼくの結核前夜

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 ある仕事のつてで知り合った占い婆がいた。年齢も国籍も不明なほどに、髪は真っ白で目の色も定かではないほどに皺々の老婆だ。小さくひからびすぎた、触れるだけで死んでしまいそうな人間の成れの果て。だが婆は、誰よりも重い声で喋り、その言葉は総て真実となった。皺の奥、人とは思えないような輝きを秘めている瞳。
「退屈しているね」
 眉をひそめれば婆は口元を歪めて嘲笑う。百をとうに超えているといわれても信じられる容貌だったが、歯だけは丈夫な老人だった。
「おまえには適正がある」
「......なにが言いたいの」
「おまえの身の回りのものは、総ておまえの思うようにいくね。それが適正さ」
 明日の天気に始まり、街の事件、事故。政治の行方。著名人の死。また、戦争のことなど。婆は世界に起こる大小様々のことを語り、それが外れたことはなかった。そして婆は人の本質まで語る。他人に自分を語られるのは心地悪い。ましてや総てを見通すという存在に。否定したくともその眼光。おまえは人間でない。
「似た人間を知っている」
「わたしにかい?」
 その娘も未来を見るのか、と婆はにやりと笑う。なにもかも見えていると、豪語するに値するよう言い当てられ、ぼくは舌打ちする。
「違う」
「崇拝か」
 主語も述語もなく。しかしただ真っ直ぐに真実。感じるのは不快であり感嘆。
「つまり、その娘もわたしもおまえのように適正がある」
 婆は謂う。
「おまえがいま、自分の世界の物事を総て好きにできるように。でもおまえはこんな世界に飽き飽きしている。なぜだかわかるか」
「......」
「求めているのさ」
「黙れ」
「欲求を捨てられない。おまえもまだまだ未熟ってことさ」
 そう謂い残し、婆は前から予言した通り、きっかり三週間後に死んだ。少しだけ仕事がしづらくなった。



 生活は不摂生を極めたもので、ついには腹もあまり空かなくなった。少量の水と、パンと。だが身体はどんどんキレを増してゆく。漠然と人間ではなくなっていくように思えた。吸いたくもないのに煙草を吸った。

(おまえは求めているのさ)
 不意に婆の言葉が思い起こされた。

 その頃ぼくはスラム街のアパートの一室に住んでおり、そこには寝に帰る生活をしていた。金さえ払えば誰でも住まわすそこで、事件や危険にはことかかない。神経を尖らせて眠ることができた。気付けば、いやきっと気付く前から、安寧な眠りには縁遠かったのだ。ぼくはきっと生まれた時から、体の芯までそういう存在であった。熟睡せずとも疲労は癒せる。むしろ平和な環境で感じるストレスの方が問題だった。だから仕事とプライベートを使い分けている、と満足げな顔たちから抜け出した。
 隣りは売女の部屋で、その反対には国籍不明の家族が狭い部屋に身を寄せあって暮らしていた。片言の英語以外は母国語らしき言語でひそひそと語り合う、悲惨というものを体現した彼らと交流はほとんど皆無だった。だが兄弟の一番下らしい少女は境遇にそぐわぬ素直そうな顔をしていた。市場まで出ると、たまに上等な果物を仕入れる青果店がある。素姓の知れない東洋人にも気安く呼びかけてくる陽気な店主から、桃など甘みの強い、子供が喜びそうなものをわけてもらうと、きまぐれに少女に与えてみたりした。歯のない顔で屈託なく笑う。
 夜を歩けば重度の薬物中毒者や、闇に紛れて通行人を襲おうとする者に遭遇できる。理想とするあの、なんとも美しい殺し方ができるはずもなく。しかしできるだけそれにちかいように。金に困ってるわけでもないので何事もなかったように歩き出す。数歩ゆけば、足音を潜ませた乞食や路地で暮らす少年たちが死体に群がるのだった。



 ある日隣りのアパートの共同便所に棄てられた胎児が詰った。排泄物と腐った肉。辺り一帯はただならぬ臭いに満たされた。だからというわけではないがぼくはコートに財布だけを入れ、夜の街を歩き回った。ここには安酒なら吐いて捨てるほど溢れている。半分地下の酒場、余計なことを喋りそうにない無口なマスターが気に入っている。バーボンをロックで。酒はいい。心が冷え冷えとしていく。
「吸うかい?」
 顔見知りの男が煙草を勧めてくる。
「天国に行けるぜ」
 にかり、と笑う。溶けた歯が丸見えになった。
「生憎そういったものは信じていなくてね」
 男は勧めたときと同じ陽気さで去って行く。薬でうまく酔えたためしはない。ここの人間は他人の事情に踏み込んではこない。
 睡眠は取っていたが、眠らなくてもいくらでも動けた。市場が活気づく時刻。朝が来れば腹が減ることもある。ぼくはまだまだ未熟だった。行きつけの青果店の店主は、ぼくの顔を見ると林檎をひとつ投げてくれる。皮ごと囓る。ほのかな甘みと水気。朝の空気だけは何処の街でも清浄である。店をだす人間も買いに来る人間も例外なく貧しかったが、笑顔は絶えない。誰もぼくに注目しない。何の不自由もない。嗚呼、素晴らしき日々。まごうことなき無感動。

(求めているのさ)

 いつしかひとを殴ることを忘れ、銃を用いてひとを殺すようになった。縊り殺すことすら億劫になる単調な仕事。世界には色がない。手応えがない分、銃は本人の知らないところで確実に精神を蝕むという。不感症のぼくには丁度善い。

 たまにひきつれるように頭が痛んだ。


作品名:ぼくの結核前夜 作家名:ゆりお