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従者と主人

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 僕のご主人様が僕に背を向けて着替えている。

 白くて薄い胸、細い手足、小柄な身体、線が細く成長途中の彼は時折少女の様に見えてしまう事がある。
 ここからでは見えないけれど、金色の光が映りこんだ漆黒の瞳。
 着飾れば社交界の華になり多くの人々を魅了するだろう…とは思うけれど、今の僕は追われる身であり、彼をエスコートして華々しい社交界を案内してあげる事も出来ない。
 でもまあ、僕のご主人様を見せびらかしたい気持ちもあるけれど、綺麗なのは上辺だけで醜いものが蔓延っているあんな場所に連れて行きたくなんか無いという気持ちもある。
 好色爺に物珍しい愛玩動物を飼うのが趣味の高慢な女、そんな奴らの視線に彼が晒されると想像しただけで吐き気がする。

「なんで見るの?」

 視線を着替えている彼に固定したまま物思いに耽っていると、彼は振り向きもせずに言った。

「……ああ、そうだね。僕は君の従者なんだから着替えを手伝うべきだよね」

 そうだ、彼の言うとおりだ。
 僕は彼の従者なのだから主人の着替えをぼうっと見ているだけではだめなのだ。

 もたれかかっていた壁から離れ、綺麗に折りたたまれていたベストを広げ、彼の肩にかけてやる。
 そして、幼い頃にジャックやギルが僕にしてくれた様に後ろから抱きかかえる様にしてベストに腕を通させる。
 
「っ自分で着替えられる!」

 ボタンを留めようと手を伸ばすと、彼は身を捩って僕の腕の中から逃げ出した。 
 そしてベストと同じようにたたまれていたジャケットを乱暴に掴み、僕から少し離れた場所でジャケットに腕を通し始めた。
 まだベストのボタンを留めていないのに…。
 ベストのボタンを自分で留め始めた彼見て残念に思いながら、僕は残された黒いリボンを手に取った。
 すべすべと手触りの良い黒いシルクのリボンの両端には金糸で繊細で細やかな刺繍がしてある。
 彼の瞳似合うと思って用意したものだ。 

「残念、せっかく従者らしい事が出来ると思ったのに」
「自分の事は自分で出来る」
「うん、でも頼られたいよ、従者だからね」

 つれない返事に少し肩を落としながら、気を紛らわせる様に彼の瞳に似たリボンを指に絡めた。
 ボタンを留め終わるのを見計らい、彼に近づく。
 リボンを結ばれるのに抵抗は無いらしく、大人しくリボンを結ばせてくれた。
 結び終わった後、少し後ろに下がりおかしい所が無いか確認をする。 
 
「良く似合ってるよ」 

 どこもおかしいところは無く、用意した服は彼に良く似合っていた。
 そしてつい思ったことを口にしてしまう。

「…そう」

 褒められるのがは恥ずかしいのか、それとも嫌なのか、彼は視線を逸らした。

 そして何も言わずに彼はドアへ向かって歩き出した。 
 
「どこに行くの?」
「お茶でも淹れようと思って」
「僕が用意するよ」
「…茶葉が無駄になるから良いよ」
「僕のご主人様は容赦が無いなぁ…」
「事実だよ、座って待ってて」
 
 …確かに彼の言うとおりなので大人しく座って待っている事にした。

 エコーがお茶の用意をする時の事を思い出しながら見よう見まねでお茶を淹れてみたら…今までに味わったことの無い液体がカップを満たしていた。
 色は黒に近い濃茶色でどうしてあんな色になったのか未だに理解出来ない。
 自分でも一口飲むのが精一杯のお茶を彼に飲ませるわけにはいかず捨てる事にしたら、捨てる時にもったいないと言いながら彼は片付けを手伝ってくれた。
 
 僕のご主人様は庶民的だ。贅沢は好まず慎ましやかで基本的に出された物に文句をつけたりしない…高価な装飾品等はやんわりと拒否するけれど。
 もう少し着飾っても良いと思うんだけど…。
 


 …まだ戻って来ないのかな。
 なるべく彼を一人にしたくないのに、この場所にパンドラ関係者が来る事は無いから危険はまず無いのだけど…僕は彼が別の場所にいるとどこにいるのかわからない。
 バスカヴィルの民やハンプティ・ダンプティならわかるらしいけど、僕にはわからない。だから不安になる彼が逃げ出しても、僕は気づかないかもしれないし、気づいたとしても闇雲に探す事しか出来ない。
 …彼が逃げ出すとは思わないけど。
 彼は僕と約束してくれた、僕は彼を護ると約束した、だから彼が僕をおいて逃げるはずがないのだ。

 彼が逃げるはずはないのだから、今日の事でも考えよう。
 僕と彼はこれといって予定が無い。
 封印が完全に解けていない彼を危険な目に遭わせるわけにはいかないし、僕は人間なので捨て身で封印の石を壊しに行く、というような無茶な事は出来ない。
 だから僕と彼は留守番している。僕はあくまで彼の護衛としてだけど。
 
 彼は大人しく、する事といえば本を読むかピアノを弾く事くらい。
 …本を読み出すと普段から大人しい彼がさらに大人しくなる。けど、食事だと声を掛けて本を読むのを中断させたりすると不機嫌になってしまうのが難点だ。
 彼が弾くピアノは素晴らしい、独学であそこまで弾ける人間はまずいないだろう。たまに弾くのをピタリとやめてぼんやりしている事がある…彼の主人がピアノを弾くのが好きだったせいなのかもしれない。 
 僕は寝ている事が多い、ぬいぐるみを切り刻むと彼が片付けようとするから…。
 
 今日は天気が良いから、彼が弾くピアノの音色を聴きながら彼の傍で眠れたら良いな、彼が戻ってきたら聞いてみよう。

 彼の封印が全て解けたらこんなにのんびりと出来る事は無くなってしまうだろう。
 彼が僕の願いを叶えて僕が無くなってしまうまでのほんの少しの間、この何も無い穏やかな日々を彼の傍で過ごせた幸運を僕は願いが叶うその瞬間まで決して忘れる事は無いだろう。
 願わくば、彼も僕が消えてしまうその時までこの穏やかな日々を覚えていてくれます様に…。
作品名:従者と主人 作家名:シチシシ