堕落者7
次の日、私は試しに美術館巡りをする事にした。鈴のテレポートで、たくさんの美術館を一日だけで回った。記憶力が二倍になるというのはどの程度のものかと思ったが、思い出そうとして、絵が一枚一枚、物体が一体一体、克明に思い出される訳ではなかった。作品に向き合った時の気持ちや、気に入った作品、気に入った箇所を、以前より生々しく記憶に蘇らせる事は出来たけれど、興味を引かなかったものに対しては、全く思い出せない。私はいつも、何事も、名前を見落としていたり、忘れがちだったりしていたが、それが、少しは改善されていた事が印象的だった。それにしたって、ところどころ忘れている。どうやら記憶力が二倍というのは、確かに、二倍になっただけで、その性質はちっとも変化していないらしい。
何にしたって、鈴から与えられた能力は役立った。本を読み進めていくのもそうだし、思い出そうとすればすぐ出てくる便利な頭なので、空想しているだけでも楽しい。絵を描くのもより楽しい。何を描くのに悩んでも、覚えてさえいれば、ぽんと答えが出てくる、思い浮かぶ。
私の生活に変わりは無い。歌を歌いながら、口笛を吹きながら、絵を描いたり、本を読んだり。時々ピアノの練習をして、体を持て余せば散歩に出た。変わった事など何一つしていないのに、不思議な事に、いつも気がつけばベッドで寝ている。何をしていても、ふと強烈な眠気が襲い、それに抵抗する間も無く寝こけるらしい。その度に、鈴がベッドまで運んでくれているのだ。流石に、ピアノのレッスン中にそんな事があったら困るので、十分に昼寝をしてから行くように心がけた。
「本来に見合わない能力だ。体が順応すれば、そういった激しい副作用も起こらなくなる」
そう鈴は言った。
私の目は見ようと思えば何でも見通せる。そんなものが、すっきりさっぱり辺りを見渡すものだから、興味が絶える事は無かった。そして、何か一つでも興味を引けば、記憶しようと、脳がきっかりかっきり動き出す。そうした繰り返しが、私の睡魔を引き起こしていたようだった。
他に気付いたことといえば、私は以前よりも、感情が激しくなったという事だろうか。鈴は、子供の体になればそうなると説明していたし、この体になってから、思い当たる節もあるにはあったが、それに比べて、より激しくなったのだ。好きな事をしている時は楽しくて、鈴の呼びかけに気付かない事が多々あった。また、気付かないうちに、テーブルや床、壁に落書きをしていた事もあった。それに、小説を読んでひとたび一度感動すれば、目は潤み涙を流した。それも、すぐには止まない。感情は波となって私の身を震わせ、目からは涙を流し続ける。何が一番おかしいかと言えば、こんなにも、感動しやすくなった事がおかしい。一度でこんな有様なのに、飽き足らず、節操無しに、何度も続けて感情の波はやって来る。
泣きじゃくり始めると、鈴は私を抱きかかえ、目を、その舌で拭う。最初やられた時はびっくりして、涙がすぐ引っ込んだのを覚えている。涙を拭う彼の舌は、人間のそれと違って乾いており、私の目元を濡らす事は無い。
「副作用?」
「ああ」
美術館巡りで気付いていそうなものだが、そういえば、その技術に感心する作品は沢山あっても、感動する程の作品には出会っていなかった。幼児についての本は好きで読んでいたわけじゃないし、感動等遠い話だ。
「いつぐらいに慣れるかなあ」
「完全に慣れるのは小学生に上がる頃だ」
それを聞いて、まだまだこの感情の波と付き合っていかなければならないのかと思い、少し気が滅入ったが、この小さな体にはお似合いだろうと自嘲した。