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スイートペイン

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寝ても取れずに残った疲労が、積み上げられたジェンガのようにぐらぐらしているような
状態のまま身体を布団から引きずり出し、おもむろに身支度を済ませて駅に行く。周辺に
視線をぐるりと遣ればやはり世の中皆そんなものらしい。分かりやすく欠伸をしてる人も
居れば、眠そうな目で携帯の画面を見つめる人もいる。どれにも共通するのは週半ば独特
の疲労を抱えているということだ。イヤホン越しに音楽を聞きながら線路と、その向こう
側のホームの黄色いタイルの平行線を眺める。少しの風と鈍い鉄の音がして、まっすぐに
伸びる車体に視界を遮られた。










車内の席は当然のように埋まっていた。どれくらい前の駅から乗っているのかは知らない。
許容量とか、限界といった概念を捨てた車体に溢れる人の中、つり革に掴まりながら窓の
外をよくできたスライドみたいに流れていく見慣れた景色をぼうっと眺めながら、思い立
って同じく不特定多数の人と共に箱詰め状態になっているだろう会社の先輩兼恋人にメー
ルをする。
“眠いですすごく”
短くそれだけ打って送る。給料が入ってつい調子に乗って買った最新の携帯の画面の上に
指を滑らせて待ち受け画面に戻した。使い勝手の良さと引き換えに負った労働義務に手を
引かれてここにいる。理には敵っているけれど、疲労には勝てそうもなくて小さくため息
を洩らすと、画面がぱっと明るくなった。意外と早く返信が来た。
“適当に頑張れ”
一行目の隅に並ぶ素っ気ない文字が何だかギンタらしい。他人の目があるようでいて無い
朝の車内で少しにやける。
“先輩がキスしてくれたら頑張れるんですけど”
からかい半分にそう送って、返信を待つ。時折瞼が降りるせいか足早に流れる景色が黒に
呑まれては甦った。壁越しに隣の部屋の音を聞いている時のような曖昧な響きで、アナウ
ンスを聞いた。あぁ、次で降りなければ。画面に触れてみても返信のサインは現れない。
電車が駅に段々近づいてきている証拠に、降りるだろう人がそれぞれに動き出す。携帯を
持ったまま目をこすって、拗ねた表情を浮かべたまま白紙の画面にぼやくように打つだけ
打って、すぐに消す。
“先輩のバカ”
あれくらいで怒らなくたっていいのに、と胸中で呟くと、電車がホームに並ぶ列の前で止
まった。











窓に向かい合った一人席が僅かに埋まっているだけの休憩スペースの二人席を、誰もいな
いのをいいことに独占する。向かいの席に鞄を置いてタケオは顔を伏せた。眠い。そして
返信もない。朝憂鬱になってるのは珍しくないけれど、それにしても何だかついてない。
少し顔を上げてため息をつき、また瞼を閉じようとするのを、こつん、と軽く何かが頭を
打つ音で妨げられる。頭を片手でさすりながら振り返ると、ギンタがいた。
「った・・・・ってせ、先輩・・・?」
「よ、・・・メールのことなんだけど、・・・・これで我慢して」
呆けて、間抜けな顔をしているタケオの前にギンタが座る。すっと差し出された缶コーヒ
ーは、タケオがいつも気に入って飲んでいるものだった。何と言ったらいいのか分からな
いくらい嬉しい。口元が弛む。横顔から覗く、仄かに染まる目尻と一緒に缶コーヒーを差
し出すギンタの手の指先まで赤く染まっているように見える。堪らなくなって咄嗟に手を
掴んだ。ギンタの肩がびくりと震える。
「・・・そんなに可愛くされたら、これで、許せなくなっちゃうんですけど」
言葉は詰まる。手が心なしか汗ばむ。それでも、ギンタの手は離さない。
「・・・こ、・・・ここじゃないなら、考えてもいい」
耳まで赤くして振り絞ったギンタの声は、最後の方はもう消えかかりそうだった。ギンタ
に好意を持ってる女子社員だって、信頼している上司や同僚だって知らない顔も今の言葉
も、全部一人占めしている。
「・・・先輩、好きです」
耳元まで唇を寄せてギンタにだけ聞こえるくらいの声で告げる。照れ隠しにつねられた手
の甲が甘く痺れた。
作品名:スイートペイン 作家名:豚なすび