何がいけなかったの?
まだ日差しが強い時期だというのに、球磨川は長袖の学ランを着用していた。それなのに球磨川の額には、汗一つ浮かんでいない。彼があまり汗をかかない体質、あるいは寒がりである可能性もなくはないというのに、たったそれだけで球磨川がひどく不気味に思えるのは、彼の過負荷が成せる技なんだろうか。
両手に大きな螺子を持った球磨川と、両手自体が既に凶器と化しためだかが、向かい合っている。その構図だけで惨劇の気配がした。
球磨川はやれやれと言わんばかりに肩をすくめてみせた。
「『ねえ善吉ちゃん』『見てよ』『彼女のこの有り様を!』」
「あっ……ああ!?」
唐突に自分の名を呼ばれて、善吉は悲鳴に近いような声を上げた。そんな善吉を背中に庇っためだかは、普段の凜とした佇まいをかなぐり捨て、まるでけだもののように、今にも球磨川に襲いかからんばかりだった。
しかし球磨川の目にそんなめだかは最初から映っていないらしく、あくまで対象を善吉に絞って言葉を続けた。
「『これはさすがの僕もちょっと引くよ』『だって好きな女の子がこんな暴れん坊だったら嫌でしょ?』『それとも善吉ちゃんはそういう強気なタイプの子の尻に敷かれたいタイプなのかな?』『乱神モードだとかいってデビル恰好よく持ち上げてるけど』『めだかちゃんのそれはもはや核兵器と何も変わらないよね』『しかもあれだよ』『自動追尾型!』」
「確かに私は化け物だ。それは認めよう。だが貴様よりは何億倍も人間に近いつもりだ!」
「『めだかちゃんには』『何も聞いてないよ』」
差し挟まれためだかの言葉は、あっさりと一蹴されてしまう。めだかは苛立たしげに球磨川を睨んだ。射殺されそうな視線を受けても、球磨川は平然としている。愛らしい作り物の笑みのままだ。
善吉は戸惑いながらも、球磨川を否定する言葉を口にした。
「俺はめだかちゃんが好きだよ。めだかちゃんには他者への愛がある。情がある。だからどんなふうになったって、受け止められるんだ。めだかちゃんの誰かを想う暖かい気持ちが伝わってくるから、乱神モードだって怖くない」
「善吉……」
「『ふうん』『あっそ』」
人に尋ねておいてその返答かと突っ込みたくなるほど潔く、球磨川は切り捨てた。
めだかはこれ以上球磨川との会話を続ける意味がないと判断したらしく、善吉の手を取って、行こうと視線で示した。善吉は無言で頷き、二人は手をつないだまま球磨川の前から離れようとした、そのときだった。
「『そうか』『わかったぞ!』」
反射的に振り向こうとする善吉の手を引っ張って、めだかはその言葉を無視した。
めだかと善吉は球磨川に向けた背に、胡散臭い喜びの声を浴びせられた。
「『何がいけなかったのか』『ようやくわかったよ!』『あの日』『あのとき』『あの病院で』『僕は善吉ちゃんに会わなきゃいけなかったんだね』『めだかちゃんを排除しておかなきゃいけなかったんだ』『なるほど納得』『いやあ得心いったよ』」
めだかを排除しなければという一言に、めだかの番犬を自負する善吉が逆上するのを、めだかはぎゅっと善吉の手を握り締めることで制した。途端に目線で訴えかけてくる善吉に、めだかは静かに首を横に振った。
「言わせておけ。私と貴様はこうやって出会い、同じ学舎で過ごしている。私は現状に大いに満足している。……それに、善吉に好きだって言ってもらえて、嬉しいよ。私も善吉が大好きだ」
だんだんと遠ざかっていくめだかと善吉の後ろ姿を見ながら、球磨川はなおも言った。
「『あんな気持ち悪い奴』『世界にとっては何かの間違いでしかないよね』『きっと誤植に違いない』」
どこでもない空間の誰でもない少女が、球磨川の過負荷を、因果律に関与するマイナスだというふうに言ったことを、善吉は覚えていない。覚えていなかったから、あんなふうにあっさりと、球磨川に背を向けてしまった。
一人取り残された球磨川は、大きく腕を広げて天を仰いだ。
「『間違いは正さないといけないよね』」
瞬間、遠くのほうで誰かの絶叫が響いた。
球磨川は愛らしい笑みで、二人が去った方向に歩き出した。彼は今はもう一人になってしまっているだろうから、慰めてあげなければ。そうして意味を与えてもらわなければ。『みんなを幸せにするために生まれてきたんだよ』だとか、そんな陳腐な祝詞をあげてもらわなければならない。
「『あーあ』『善吉ちゃんったらきっと泣いてるんだろうなあ』『めだかちゃんってホントいけない奴だなあ』」
その涙を流させる原因を作った張本人は、何の感情も浮かべず、笑顔のまま呟いた。
作品名:何がいけなかったの? 作家名:ジェストーナ