遥かな過去の
重さに耐えきれなくなった瓦礫の山が少しずつ崩れていく音、
それが全てだった。
生きているものの気配が全くしない。
自らの意志で動くものの気配など全く。
そして無音であるはずないのに、
不気味なほど静寂であるかのような錯覚を生みだしていた。
「…」
瓦礫で不安定な足元など物ともせず
確実に歩みを進める影があった。
その歩みは、淡々としていて
そのスーツには一糸の乱れもない。
いつもように、背筋をピンとのばし前だけを見据える。
この状況下では、場に似合わないほど凛々しかった。
「――ジョット」
黒煙が激しく舞う中で。
ようやく目的の彼を見つけた。
「Gがすべて手配した」
蹲る彼の背後に、音もなく辿りつく。
そして、淡々と事実だけを告げた。
アラウディの発した言葉は、確実に彼に届いていた。
けれども、しばしの沈黙が必要だろうとも思っていた。
両膝をつき、うずくまるような格好の彼は、
まるで何かに懺悔しているようで。
地面についた、彼の両手が固く握りしめられて
肩は震えていた。
彼が涙を流しているはずがない。
きっと、それは、怒りにちがいなかった。
悲しみを超える怒りの感情を、
彼は内に秘めるつもりのようだった。
「――お前がわざわざ来てくれるとはな」
「君が単独で乗り込むからだよ」
ゆっくりと立ち上がり、
俯いた顔をあげ
アラウディの方を向いたときの彼は
既に仮面を纏っていた。
内の葛藤を殺して、取り繕う顔は既にいつもの彼のよう。
全てに対して、強くあろうとする必要など、どこにもないのに。
彼がそうあろうとしてしまうのは、長年の性に違いない。
「ありがとう、アラウディ」
「…礼なんて必要ない」
けれども、その痛みを完全に隠し通すことはできなかった。
彼のスーツはどこも煤で汚れ、
彼の掌は泥にまみれていた。
きっと彼は、自らの危険も顧みず
走り回ったに違いなかった。
アラウディは視線をさっと彼の全身に走らせ
彼自身が怪我を負っていないことを確認する。
「報復・・・という言葉は適切じゃないね、僕らは本来、この抗争とは無関係だ」
「いいや」
それじゃあ足りない、と告げた彼の表情を、アラウディはじっと凝視した。
彼の金色に似た輝きをもつ瞳は、驚くほどに冷静だった。
「報復は必要ないよ。ただのマフィアの下らない争いだ」
「だが関係ない人々まで巻き込んだ」
その罪は重い、と。
そう彼は言った。
しかし、関係ないのはむしろジョットのほうだとアラウディは思う。
あるマフィア間の抗争。
自分の仕切っている地域とは全く違う場所まで
彼は駆けつけてきている。
それが、どれほど愚かな行為かアラウディは分かっている。
けれども、それでジョットに咎める人などいないだろう。
彼がそう在るからこそ、彼の周りに人が集まるのだから。
「すべてを救うことなんてできない、ここに来るまえに君は自分で言った」
「それでも・・っ」
顔をわずかにゆがめ、絞り出すように言葉を発した彼。
「こんな事態にはしたくなかった――・・・」
どれだけの爆弾が、どれだけの武器が
争いに関係なかった人々に向けられ
どれほどのものを奪ってしまったのだろう。
風が吹く。
煙がまい、煤があたりに吹きあがる。
「この地に、再び人々の笑顔が戻るまでどれほどの年月が必要になるかなんて・・・」
「必ず、いつかは戻る」
「失う必要などなかったのに・・・っ」
人生は理不尽だ、と誰かが言っていた。
それは間違ってはいないと思う。
ジョットの優しさは、彼に関わるものだけではなく
水面を波立つ漣のように広がるものだ。
それを自分は、利用する。
「幾人か、逃げたヤツがいる」
「――マフィアの」
「…幹部クラスだ、今追跡している」
どうする?と視線で問えば
彼は頷いた。
それが全ての合図。
全ては裏の、闇の中で処理を行え、ということ。
「…追って、連絡する」
「任せる。それと・・・」
「逃げてきた住民の保護なら、Gが全て手配している」
「どこまでも頼れる男だな、あいつは」
きっと数カ月後には、この辺りの土地もまた。
ジョットが率いる自警団が皆の信頼を勝ち得ているだろう。
焦げ付いた匂いなど、微塵も感じさせなくて
壊れた瓦礫も、全て取り払われ。
ただ、そこに穏やかな日々に満ち足りた表情の人々が溢れ
すれ違う時には、二言三言、会話を交わす。
今はただ、想像することしかできない光景を
ジョットはただ、夢として見ていない。
「行こう」
哀しむことは自分たちの役割ではない。
歩み始めたジョットに、アラウディは後に続く。
「生きるなんて、能動的なことなんてできない」
ジョットが言った。
「ただ目の前の現実が、自分に関わって過ぎていくこと
それが生きているということならば」
「その中で、君のしたいようにすればいいよ、ジョット」
振りかえるジョットに、アラウディは言葉を続ける。
「君にも、僕にも、それしかできない」
何もかも、自分の内に収めることはできないし、
それがいい結果を招くとも思わない。
「君は、きっとマフィアのボスになる」
「何を可笑な」
こんな小さな自警団じゃなく。
もっと、大きな。
名だたるファミリーを統括するようなマフィアのボスに。
「そんなこと、あるはずがない」
そう言って否定するジョットを余所に
アラウディは空を見上げた。
(いつだって、空は青く)
(太陽は地上を照らす)
彼が、ジョットが持つものは一つ。
希望という名の形にならないもの。
「君はきっと、涙さえも乾かしてしまうよ」
今日は可笑しなことばかりいうな、と
少しはにかんで言う彼の表情が、全てを物語っていた。
「Gや他の皆が、心配しているんだろうな」
そうだ。
君は多くの人々にとって
太陽になりうることを。
なりふり構わず、無関係な人々にも慈悲深いところも。
きっと君自身は、気がついていない。
「…楽しみだよ」
何が、と問うジョットに
アラウディは口角を上げるだけで答えた。