雨待つ人
「長雨は長雨で、なかなか気が滅入りますけどね」
淡い藍色で模様のかかれたティーカップを手にとり、日本が静かな笑みを浮かべる。鼻先に広がる紅茶の香りを楽しんでいるのだろうか。香りを吸いこんでは瞳を和ませている。その表情を引きだしたのが、自分の淹れた紅茶だというのが嬉しい。
私邸の外では小雨が降っている。
日本が帰る前に、庭園を案内しようと思ったらこの雨だ。いつもは頻繁に降ったり止んだりするくせに。
晴れていたら外で楽しむつもりだったお茶を、こうして居間で飲んでいる。
日本は、居間をはじめとして、イギリスの私邸の装飾だとか雰囲気だとかもたまらなく好きなのだから、これはこれで嬉しい、と言ってくれた。
ひそかに自慢の装飾をそうして褒められるのは、悪い気はしない。愛しい人が喜んでくれるのなら、それだけで幸せだ。
だけど、雨か、と気が重くなってしまうのも本当のことだ。
「ちゃんと、晴れたときにお前を案内してやりたかったんだ」
雨に濡れた風景というのも、日本には味わい深い良いものになるのだと聞いた。けれど、いまほころびかけている花や、満開になっている花は、雨よりも晴れた空の方が似合うと思うから。
自分の好きなものを、最高の状態で、最愛の人に見てもらいたい。
そうして張りきっていたから、余計に気落ちした。
***
その、二週間後。
フランスで行われた会議に出席した日本が、帰る前にイギリスの私邸を訪ねてくれた。
近くまで立ち寄ったもので、と言いながらも、手にはあらかじめ用意していたのだろう細長い箱を持っていた。その形状から、以前日本に見せてもらった刀が入っているのではないかと想像してしまった。何か、刀を持ちだされるほどのことをしただろうか、と一瞬、緊張してしまった。
「イギリスさん」
「お、おう」
「先日、雨が降ると気が重くなるとおっしゃっていたでしょう」
「あー、……あぁ。あれか。あ、あんなこと、まだ覚えてたのかよ」
自分の弱いところをまだ覚えられていた恥ずかしさと同時に、同じくらい、そんな些細なことまで覚えていてくれた日本が愛しくて、嬉しかった。特にこの時期は、クリスマスから続く各種商戦で忙しいはずなのに。
照れ隠しにぶっきらぼうに「忘れていいぞ」と呟いてしまう。
「忘れません。……あなたのことは、どんな些細なこととでも、忘れたくないんです」
打てば響くような即答のあと、恥じらいを含む小さな声で囁かれた。その声がどこか、途方もなく愛情をはらんでいるように感じて、胸のうちが熱くなった。
「雨が降るタイミングは、さすがにどうしようもありませんが……。せめて、雨が降るのが楽しみになるように、と思いまして」
これを、と、抱えた箱を差し出してくれる。
あまり見慣れない形状の箱をまじまじと眺めながらイギリスは、大切そうに受け取る。抱えた箱は、片手でも簡単に持てるくらいに軽かった。
「開けてもいいか?」
「いいえ」
再び即答されて、イギリスは思わず言葉を失う。
即座に返事があるのも珍しいけれど、ここまできっぱりと意思を伝えてくれることは今まで、あまりなかったから。
それに、つい今さっき、プレゼントだと言って持ってきてくれたものだ。なのに、なぜ開けてはいけないのだろう、と思って呆気にとられてしまうというのもある。
「ああ……、いえ。もちろん、これを開けてほしいのも、開けて良いのも、イギリスさんだけなんですが」
日本自身も、慣れないことをしたという自覚があるのだろう。どこか照れくさそうに咳払いなどしながら、とりつくろう言葉を口にする。
「今ではなく、もう少し後に開けていただきたいのです」
「お前が帰ってからか?」
この場で見られては恥ずかしいようなものなのだろうか、と内心で想像しては首を傾げてしまう。色々と不思議な趣味をもつ恋人ではあったけれど、そういった類のものをプレゼントするようなことは、今までになかったから。
「そうですね。今日はこれでお暇しなければならないので、おそらく、そうなるのではないかと」
「うん?」
「言ったでしょう。雨が降るのが楽しみになる手助けになれば、と思って持ってきた、と。ですから、次に雨が降ったときに開けてみてください」
「雨が降るまでは?」
「雨が降るまでは、開けてはだめですよ」
ちゃんと我慢しないとだめです、と囁く声は低められていた。鼓膜をじかに撫でられているようで、イギリスは思わず息を呑み、身を震わせてしまう。含み笑いの囁きは、閨でのことを思い起こさせて、余計に落ちつかなくさせられた。
ぎゅ、と細長い箱を抱くイギリスを見て、その内心を悟ったのか、日本がころころとおかしげに笑みを零す。
「約束してくださいね。次に雨が降るまでは、決して開けないと」
「わ、わかった……」
「それでは、私はこれでお暇しますね。今度は私の家にもぜひ遊びにいらしてください」
「ああ。ま、また……な」
「ええ。また、近いうちに」
真っ赤になったイギリスの顔をひとしきり眺めたあとで、日本が一礼して踵を返す。
その後ろ姿が見えなくなると、イギリスは視線を空へ向ける。
こんなときに限って、雲ひとつない快晴だ。
こんなに綺麗に晴れ渡るのは、珍しい。こんなに美しい空もうちにあったんだ、と誇らしささえ覚える。
なのに、妙に残念な、物足りない気持ちがしてしまう。
(日本の、ばか)
雨が降るまで開けたらいけない、なんてものを渡していくから。
だから、せっかくの青空なのに素直に喜べない。
気づいたら、早く雨が降らないだろうか、とうきうきしている自分がいた。
(……ばか)
こんなにも雨が待ち遠しいのは、初めてだった。
end