野望は尽きることなく
そのときの有楽町線の表情を一言で表すとすれば「うわぁ」というのがもっとも適切だった。
正面には、西武池袋線が来客向け西武スマイルを浮かべている。それだけでも、彼にその表情を浮かべさせるに十分だと言ってもいいだろう。もっとも、彼は今、検討企画段階の計画(プロジェクト)について意見を聞きたいといわれてここにいるのだ。西武スマイルの一つや二つ、不思議がないといえばない、耐えるべきといえば耐えるべきだ。
おまえらにききたいことがある、と。人に物事を頼んでいるとはとても思えない態度で、西武池袋線が数日前に有楽町線と副都心線に言った。西武といえば協調して動くべき相手であることも確かだが、商売がたきであるということも動かしがたい事実だ。それがいまだ企画段階の計画について、自ら漏らしてくるとは。小竹向原駅で、営団地下鉄は互いに顔を見合わせた。その後、二つ返事でひきうけたのは、ごく当たり前の帰結といえるだろう。
そして。その結果がこれだった。
西武スマイル、片手には銀色のトレイ(ブロマイドやマグカップ、饅頭などが乗っているようだ)、黒のワンピースと白いエプロン。完璧(パーフェクト)なメイド姿の西武池袋線による、「おかえりなさいませ、ご主人様」だった。
「――! っ、な、な、なーっ !」
何だそれはと彼は言いたかったのかもしれない。だが、言葉にはならなかった。一呼吸おいて、彼は音速をも超えた速度で深夜のレッドアローホームをかけぬけた。
ホームのはしっこから落ちそうになりながら、有楽町線はがたがたと西武池袋線を見て震えていた。さらには、ひっ! と、喉の奥にひっかかったような声をあげた。ホームに止まっているレッドアローの中から、いつものブルーのコートをメイド服に着替えた西武軍団(ただし、西武有楽町線は除く)がぞろぞろと姿を表したからだった。
「どうした、有楽町線――いや、ご主人さま。ご奉仕するぞ。さあ、貴様ももえもえきゅん☆と会長を称えるが良い」
勘弁してくれ、と。有楽町線の悲痛な叫びが響き渡るよりほんの少しはやく、あのーとどこかすっとぼけた声があった。声の主は、発言の許可を求めるかのように挙手している副都心線だった。
「計画ってのはなんなんですか?」
もっともな問いだった。西武池袋線は深くうなずいた。
「うむ。巾着田の季節もすぎた。入間航空ショーや、秩父夜祭り、果樹狩りなどいろいろとイベントはあるのだが、少し変わったのをやろうという話になってな。それで、だ。昨今はヲタク層にターゲットを合わせたイベントというのがずいぶんと収益をあげている」
「あー、西武池袋さんて、そういえばメーテル列車はしらせたり、マナーアップポスターにケロロ軍曹使ったり、そのうえ江古田練馬大泉を擁するヲタ路線ですもんねー」
しみじみとうなずく副都心線の言葉を聞いているのかいないのか。西武池袋線はぐっとこぶしを握りふりあげた。ヲタク風に言えば、ギレンの野望のポーズとでも言えばいいだろうか。
「そこでメイド列車だ」
「冥土?」
「そうだ! メイド列車だ。ちまたで大人気のメイドカフェを一日限定でレッドアローに作るのだ」
「……確かに冥土って感じですけど」
お客さまが喜びますかねー、と。そう言って、副都心線は改めて停車中のレッドアローのグレーの車体を見る。そして、西武軍団を一人一人確認し、ためいきをついて首を左右にふった。
「喜びますかねーではない! 喜んでいただくのだ! 感謝と奉仕、西武の心にこれほどに見合ったイベントはない!」
「メイドカフェって、食堂車をつなぐとかするんですか? ――目新しい車両はないようですけど」
「さすがに一日限りのイベントでそこまでのことはできん。一時間程度の乗車時間ではお乗りのお客さますべてにご利用いただくこともできないしな」
ああ確かに、と。副都心は、ホームの向うに見えるレッドアローで秩父へ! の看板に描かれている所要時間を見てうなずく。
「グッズやおしぼりのサービスといったところを考えている。まずは、乗ってくれ。我が西武がほこるメイドを経験してもらおう」
パチンと彼が指を鳴らすと、背後にいた西武新宿線と拝島線がホームのはしっこで雨に打たれた子犬のように震える有楽町線のもとに向かう。いやだいやだと首をふる彼に向かい、ご奉仕いたしますと言って、それぞれ手をさしのべた。
「ははぁ」
考え深げに副都心線は、レッドアローのステップに片足を乗せる。
「何の拷問だよおおおおおおおお」
背後で有楽町線の悲痛な訴えが響き渡る。ぽんと副都心線はてのひらを打ち合わせた。
「ところで本番も皆様方がメイドをするんですか?」
「そんなわけはなかろう」
普通に運行時間だぞと西武池袋線は眉を寄せる。
「あくまでも今日は、外部の人間による意見を取り入れるためのシミュレーションの日だ。当日はアルバイトの女性がメイド役をすることになっている。接客についての研修についてのノウハウは十分だが、それだけではなく実際の列車でのサービスの印象が知りたくてな」
ずるずると近くまで連行されてきた有楽町線は、彼の言葉に目を見開いた。そして、女装じゃなかったのかと小さく呟く。いやさすがに、と。連行してきた西武軍団二人が苦笑しつつ首を横にふる。
「だったら、最初から……いや、いい」
深くため息をつきつつ、有楽町線は逃げないから腕を放してくれるようにと二人を見た。それなら、と。有楽町線の腕を開放するさまをちらりと見、副都心線は西武池袋線に向かって、考え深げな様子で頷いた。
「確かに、西武さんといえば立派な百貨店をお持ちですからねー。でもそれなら、僕たちよりは、JRの長距離列車の方々の意見を聞いたほうがいいかもしれませんよ」
「おお。それももっともだ。なんだ有楽町線。気になることがあるのならば、ぜがひでも拝聴させていただくぞ」
そういえば、有楽町西武百貨店の閉店はいつでしたっけ、と。さりげなく混ぜ込まれた地雷をきれいに無視し、西武池袋線は鷹揚に頷いた。そして、本当に参考にするのか、はなはだしく怪しい態度でもって、有楽町線にアンケート用紙を差し出す。頬をいくらか引きつらせたまま、彼はそれを受け取り、レッドアローにのりこんだ。その後ろに、自分にもと要求したアンケート用紙を手にした副都心線が続いた。
車両中ほどに腰を下した彼らに向かって、さっそく温かいおしぼりが差し出される。へぇ、メイドさんの刺繍ですかこってますね、わが西武がやるイベントだ女の子にメイド服を着せて終わりなどと思ってもらっては困る、それでこっちは、うむメイドさんカップケーキで一つにつき一枚トレーディングカードつきスペシャルシークレットはなんと堤会長の秘蔵写真だ。
和やかに談笑する副都心線と西武池袋線をちらりと見て、有楽町線はアンケートのその他要望欄にペンを走らせていた。
女装禁止怖いから、と。そう、震える文字で書かれていた。
fin.
作品名:野望は尽きることなく 作家名:東明