不眠症治療/2
<章= 真神学園3-C教室―――昼休み 〉
四時限目の授業が終わると同時に、室内の空気がざわざわと波打った。空腹を訴える声。友達を誘う声。席を動かし、教室を飛び出していく足音が賑やかに満ちる。
当然梓麻も空腹を感じている。
「ふわぁあ・・」
しかし出てきたのは噛み殺し切れない大あくび。今朝は早く起きすぎてしまったために今は眠気が勝っていた。手元も見ないまま手早く教科書とノートを鞄に押し込め、机の奥から持参した弁当包みを取り出す。風呂敷変わりのバンダナで包んだ四角い塊を、美里の所にやってきていた小蒔が目ざとく見つけた。
「へぇ。今日はお弁当なんだ」
「あら。珍しいわね。焔樹君」
二人が話題にするように、いつもなら昼食はパンで済ます。弁当など一人暮らしの身では面倒臭い代物でしかない。作ったのは単に暇だったからだ。昨夜シャワーを浴びてからできるだけ手のかかる料理を始め、豪華な朝食と弁当を作った。おかげで冷蔵庫の中身は寂しくなったが暇潰しにはなった。
短髪美少女の物珍しそうな視線を曖昧に笑ってやり過ごすと、暇に飽かせて作った弁当の蓋を開けた。無駄に華やかなメニューを前にして、小蒔の腹が羨ましそうに自己主張した。
「いいな~。美味しそう」
「ふふっ。小蒔ったら自分の分があるじゃない」
「だってぇ」
楽しげな会話をどこか遠くで聞きながら、のろのろと箸を芋の煮転がしに伸ばした。しかしそれより先に目標を掠め取った者があった。
「んー。いいもん食ってんな。焔樹。いい味してるぜ」
いつの間に出現したのか、背後に立った京一が梓麻の代わりに舌鼓を打っている。さらに後ろには呆れ顔の醍醐。二人とも手には購買部の袋を持っていた。中身は言わずと知れた総菜パンだろう。
「あー! 京一ってば卑しいんだ。焔樹君の弁当摘み食いして!」
「別にいいじゃねぇかよ。芋の一つや二つ。俺と焔樹の仲なんだからよぉ。なー。焔樹」
「あはは。結構たくさんあるから、よかったら桜井さんも一つどう?」
「本当? やっりーっ」
「んじゃ俺ももう一つ」
「あっ。ずるいぞ。京一!」
さらに手を伸ばす京一を叱りながら自分の箸を伸ばす小蒔。苦笑気味の美里がそれとなしに二人を諫めていた。
そんな光景を微笑ましく見ながらゆっくりと料理を口に運ぶ。朝に味見した通り悪くない味だ。ただ寝不足のために食欲がわかない。できればこのまま二人に食べてもらいたかったが、食事の代行を頼めるわけもいかず、諦めた。それでも往生際の悪い箸はのろのろとしか動いてはくれなかったが。
ふと視線を感じて首を向けると覗くような醍醐の目に行き着く。
合わさった視線をきっかけに、焼きそばパンを嚥下した口が心配そうに開いた。
「あまり顔色がよくないな。食欲もないようだし、どこか悪いのか?」
顔色と言っても、話題の少年の顔はほぼ半分が隠れている。自然醍醐の目は辛うじて露な口許辺りに漂った。それでもいつもより血の気のない様子と、口調の端々。勢いのない箸使いに、明らかに体調が崩れていることが見て取れた。
もう少しよく見ようと大きな手が前髪に伸びた。
それを邪険にしない程度に避けながら、身を案じられるくすぐったさに苦笑して首を振った。
「ううん。別に、どこも悪くないよ。ちょっと寝不足なだけ」
「そうなの? あまり無理しないでね。焔樹君」
「ありがとう。美里さん。でも本当に何でもないから」
弁当から意識をこちらに移した二人にも笑いかけて食事を再開する。
大丈夫だと本人が断定してしまえば、目に見えてひどいわけでもない以上誰もそれ以上のことは言えない。
居心地の悪い雰囲気を変えようと、京一が大袈裟に味をほめた。
「だけどお前の母さんいい腕してるな。しかも朝からこんな手の込んだ弁当作ってくれるなんて羨ましいぜ。うちなんて朝食はほとんど昨夜の残りもんだからな」
「家だって似たようなものだよ。今日はたまたまね」
「やっぱ嫁さんと母親は料理の腕がよくねぇとな。なあ、小蒔」
「・・何でボクに振るんだよ」
意味ありげな言葉に小蒔が眉を寄せる。にやにやとしながら別にと嘯き、最後のアスパラのベーコン巻を口に放り込んだ。
「あー! それ、僕が狙ってたのに!」
「小蒔…それは焔樹君のお弁当でしょう」
悲鳴じみた声に思わず口を挟むと小蒔が一瞬動きを止めた。
「え・・、あはは。そうだった」
「まったく。桜井はしょうがないな」
呆れ返った声に便乗した京一が言葉を連ね、小蒔が負けん気を発揮して怒鳴り返す。親しみと笑顔の織り成す明るい風景。転校してきてから随分見慣れた絵ではあったが、今日はどうしてか梓麻にとって、日向の香りのするそこはひどく遠かった。
四時限目の授業が終わると同時に、室内の空気がざわざわと波打った。空腹を訴える声。友達を誘う声。席を動かし、教室を飛び出していく足音が賑やかに満ちる。
当然梓麻も空腹を感じている。
「ふわぁあ・・」
しかし出てきたのは噛み殺し切れない大あくび。今朝は早く起きすぎてしまったために今は眠気が勝っていた。手元も見ないまま手早く教科書とノートを鞄に押し込め、机の奥から持参した弁当包みを取り出す。風呂敷変わりのバンダナで包んだ四角い塊を、美里の所にやってきていた小蒔が目ざとく見つけた。
「へぇ。今日はお弁当なんだ」
「あら。珍しいわね。焔樹君」
二人が話題にするように、いつもなら昼食はパンで済ます。弁当など一人暮らしの身では面倒臭い代物でしかない。作ったのは単に暇だったからだ。昨夜シャワーを浴びてからできるだけ手のかかる料理を始め、豪華な朝食と弁当を作った。おかげで冷蔵庫の中身は寂しくなったが暇潰しにはなった。
短髪美少女の物珍しそうな視線を曖昧に笑ってやり過ごすと、暇に飽かせて作った弁当の蓋を開けた。無駄に華やかなメニューを前にして、小蒔の腹が羨ましそうに自己主張した。
「いいな~。美味しそう」
「ふふっ。小蒔ったら自分の分があるじゃない」
「だってぇ」
楽しげな会話をどこか遠くで聞きながら、のろのろと箸を芋の煮転がしに伸ばした。しかしそれより先に目標を掠め取った者があった。
「んー。いいもん食ってんな。焔樹。いい味してるぜ」
いつの間に出現したのか、背後に立った京一が梓麻の代わりに舌鼓を打っている。さらに後ろには呆れ顔の醍醐。二人とも手には購買部の袋を持っていた。中身は言わずと知れた総菜パンだろう。
「あー! 京一ってば卑しいんだ。焔樹君の弁当摘み食いして!」
「別にいいじゃねぇかよ。芋の一つや二つ。俺と焔樹の仲なんだからよぉ。なー。焔樹」
「あはは。結構たくさんあるから、よかったら桜井さんも一つどう?」
「本当? やっりーっ」
「んじゃ俺ももう一つ」
「あっ。ずるいぞ。京一!」
さらに手を伸ばす京一を叱りながら自分の箸を伸ばす小蒔。苦笑気味の美里がそれとなしに二人を諫めていた。
そんな光景を微笑ましく見ながらゆっくりと料理を口に運ぶ。朝に味見した通り悪くない味だ。ただ寝不足のために食欲がわかない。できればこのまま二人に食べてもらいたかったが、食事の代行を頼めるわけもいかず、諦めた。それでも往生際の悪い箸はのろのろとしか動いてはくれなかったが。
ふと視線を感じて首を向けると覗くような醍醐の目に行き着く。
合わさった視線をきっかけに、焼きそばパンを嚥下した口が心配そうに開いた。
「あまり顔色がよくないな。食欲もないようだし、どこか悪いのか?」
顔色と言っても、話題の少年の顔はほぼ半分が隠れている。自然醍醐の目は辛うじて露な口許辺りに漂った。それでもいつもより血の気のない様子と、口調の端々。勢いのない箸使いに、明らかに体調が崩れていることが見て取れた。
もう少しよく見ようと大きな手が前髪に伸びた。
それを邪険にしない程度に避けながら、身を案じられるくすぐったさに苦笑して首を振った。
「ううん。別に、どこも悪くないよ。ちょっと寝不足なだけ」
「そうなの? あまり無理しないでね。焔樹君」
「ありがとう。美里さん。でも本当に何でもないから」
弁当から意識をこちらに移した二人にも笑いかけて食事を再開する。
大丈夫だと本人が断定してしまえば、目に見えてひどいわけでもない以上誰もそれ以上のことは言えない。
居心地の悪い雰囲気を変えようと、京一が大袈裟に味をほめた。
「だけどお前の母さんいい腕してるな。しかも朝からこんな手の込んだ弁当作ってくれるなんて羨ましいぜ。うちなんて朝食はほとんど昨夜の残りもんだからな」
「家だって似たようなものだよ。今日はたまたまね」
「やっぱ嫁さんと母親は料理の腕がよくねぇとな。なあ、小蒔」
「・・何でボクに振るんだよ」
意味ありげな言葉に小蒔が眉を寄せる。にやにやとしながら別にと嘯き、最後のアスパラのベーコン巻を口に放り込んだ。
「あー! それ、僕が狙ってたのに!」
「小蒔…それは焔樹君のお弁当でしょう」
悲鳴じみた声に思わず口を挟むと小蒔が一瞬動きを止めた。
「え・・、あはは。そうだった」
「まったく。桜井はしょうがないな」
呆れ返った声に便乗した京一が言葉を連ね、小蒔が負けん気を発揮して怒鳴り返す。親しみと笑顔の織り成す明るい風景。転校してきてから随分見慣れた絵ではあったが、今日はどうしてか梓麻にとって、日向の香りのするそこはひどく遠かった。