Undetlich Weiβ
霞か雲か…?
>>> Undetlich Weiβ
暗闇のなかで、そこだけ白く浮かび上がる。
少し、寒い。
けれど、風に乗って舞う花びらの群れが、綺麗過ぎて恐かったから、微かに身震いした。
咲き始めは薄桃色の花達は、盛りを過ぎて開ききり、散り行く頃には真っ白に変わる。そんな、短くも儚い花の命。人の目には短く映っても、並び立つ木々にとっては長い命の中のサイクルのひとつ。花が終ったからと言ってそこで命が終る訳ではなく、また時間が過ぎてこの季節が巡れば花が開く。
その命は、人なんかよりもずっと強いのかも知れない。
誰かに護ってもらわなければ生きられない人と違って。
何かに縋っていなければ、自分の足で立つ事もままならない人と違って。
誰にも護ってもらわなくとも、大地に根を張り、力強く枝葉を伸ばし、季節が巡れば花開く。
「…強いね。」
零れた言葉に、ディアッカは不思議そうに首を傾げた。
「…そうか?」
近くで見なければ、花の形は分からない。それでも、独特の形をした花びらが風に乗って届き、広げた手のひらの上に落ちる。
「…季節が巡れば、また花が咲く。」
何処か遠くを見るように言葉を紡ぐと、隣に立つ人は小さく笑った。
「変化のない人生を、送りたいとは思わないけど。」
そう言って、キラの頭に乗った花びらを払い落とす。
言われてみれば、確かにそうなのかも知れない。けれど、目の前に広がる光景にも変化はある。その流れが酷くゆっくりとしていて、短い時間しか持たない人が気付く事が少ないだけで。
すべての命に、予め終りは見えている。そこまでの過程が長いか短いかの違い。気が遠くなるほどの長い時間の中を、ゆっくりと歩む存在は優しくもあり、残酷だった。
知ってるか、とディアッカは呟く。
「…桜の園芸品種は、寿命が60年なんだってさ。」
人の命が80年と言われている世界の中で、それは驚きを持って広がる。
「…短いんですね。」
素直な感想を述べると、苦笑が帰ってきた。
「…人の都合で作ったもんだからな。心の顕れ、とか言ってるけど。」
ここに広がる景色は、それを知っているからこそ耐えず人が手を入れ、新しい樹を植えて作ってきたもの。
時が来れば花開き、潔く散る姿に、憧れをこめた心を求める人もいる。
「全部がそうって訳でもないけど。実際、何百年も花を咲かせる桜もあるし…」
命は美しいと言ったのは誰が最初なのだろう。
視覚に訴える効果は大きく、自らの子孫を残す為、動くことの出来ない代わりに他の生き物を介して命を繋ぐ為に、より美しく、より鮮やかに、と植物は進化して来た。
僅かな時間に花を咲かせ、次に繋がる物を残す為に精一杯生きる命は確かに美しいと思う。
そして、悲しいとも思う。
人が生きる上で、次の命を残すばかりが人生ではなく。
「…悲しい、かな。」
花が散り行く時に、一抹の寂寥感が浮かぶのは、それを無意識に感じているからかも知れない。
だから、これほど美しく感じるのかも知れない。
あそこに、一本だけ濃いピンク色の花が咲いている樹があるだろう、と言われて視線を向ける。
白く浮かぶ花霞の中で、確かに一箇所だけ紅いところが見えた。
「…ほんとだ。」
どうしてだろう、と視線を向けると、少しだけ眉を寄せたディアッカは昔話があるぜ、と言った。
「…この辺りを住処にしていた化け物が、一人の男に呪いをかけた。そいつは化け物を退治しようとした近くの村に住む青年で、恋人が生贄にされそうになったから化け物に挑んだ訳だ。けど敵いっこない。瀕死の男に化け物は恋人の目の前で呪いをかけた。男は瞬く間に一本の桜の樹に変わり、呪いを解くには化け物を退治するしかない。村人達は彼女に諦めろと言い、生贄として捧げられる前日の夜、絶望した彼女はその桜の下で命を絶った。その血を吸った桜は翌年から紅い花をつけ、その花に誘われた人間を地面の下に引き摺り込んだ。そうして獲物を引き寄せて、ついには呪いをかけた化け物までをも取り込んだ。けれど化け物が死んでも桜は桜のままで、気付いた時には自らが化け物になっていた、とかそんな話。」
何かを護るために過剰な力を得た存在は、いつか誰かを脅かすのだろうか。
童話や昔話には、なにがしかの教訓が含まれているもの。知らず握り締めた手のひらを、解すように別の手が重なる。
「…なんて話があるけど、実際にはただ品種がちがうだけだ。けど昔から、桜の花が綺麗なのは、人の命を吸って咲くからだ、って言う話もある。この話で行くと、あの木の下には何十人もの死体が眠っている事になるな。」
確かめたヤツがいるわけでもないのに、と言ってディアッカは笑う。
「…人の命、じゃなくて、悲しみを吸って咲くから綺麗なのかも知れないよ…?」
昔話の結末で、桜の樹になった男は最後に何を思ったのだろう。愛する人を失い、自らが化け物になり果てた事に気付いた時、残ったのは狂気か、悲しみか。悲しみは憂いを呼び、それは美しさに深みと凄みを添える。
「…キラって、面白い事考えるんだな。」
至極楽しそうにそう言って、繋いだ手を引き寄せる。
「わっ」
急に力が加わって、よろけたようにしがみ付くとすぐ近くに柔らかく微笑う瞳があった。
「…なに…?」
頬に触れた手は、暖かい。夜風に冷えたそこに、体温が戻ってくる。
「いや、可愛いなあ、と思ってさ。」
そう言って、ディアッカはキラの額に口付けを落とす。
「…大丈夫だって。おまえは、間違えない。…だろ?」
その言葉は、過剰な力を手にした時の自分を柔らかく諌めてくれる。
「…あなたがいるから、でしょう?」
そう言って柔らかく微笑んだ。
「あの樹の下まで、行って見ようぜ。」
唐突にそんな事を言う。
昔話のように取り込まれたりする訳がなくとも、凄みすら感じる景色の中に足を踏み入れる事に恐怖を感じない訳ではなく。
微かに眉を寄せるキラに、ディアッカは笑って手のひらを差し出した。
「何があっても、俺が護るよ。」
強く、風が吹いた。
舞いあがる花びらで白く染まる視界の中で、差し出された手のひらだけが現実味を帯びていた。
曖昧な白い世界の中で、それだけが。
遠目には白くとも、近付けば確かに薄紅色の花達。
繋いだ手の暖かさと、隣りで微笑む人と。
霞か雲か、見渡す限り。
浮かんだ言葉は、古い古い歌の中の。
それでも、それだけが。
確かに現実なのだと。
作品名:Undetlich Weiβ 作家名:綾沙かへる