それはそれは、ひそやかな
明かりが、消える。
深夜、と呼べる時間。
街中の喧騒が遠く、微かに聞こえる住宅街の片隅。
こんな時間に、明かりが点いている家は珍しい、と言うくらいに、夜の訪れが、眠りの優しい時間が世界を包んで行くのが早い。
日付が変わる、5分前。
特別、と言ったから、部屋の明かりを消して、小さなテーブルランプだけを灯して。
小さく、笑う声が聞こえる。
「…なんだよ」
庭に向けて置かれたソファ、その上で互いに寄りかかるように座る片方が、肩を揺らしていた。
「…思い出しちゃった、から」
数日前の、遣り取り。
何が欲しい、と聞かれて。
「…なんにも、要らない」
これ以上は。
隣りに、傍にいてくれるから。
「…欲がねぇな」
苦笑しながらそう言ったその人は、軽い口付けをくれた。
「オレが、なんか渡したいんだけど」
本当に、その気持ちだけで良かった。
それ以上は、望んではいけないと思った。
「…それは、あなたが決める事でしょう?」
その時も、なんだかおかしくて笑みを零した。
だって、それは僕に訊く事じゃあないもの。
「…あの時も、面白かったよね」
僕は、なんにも渡せてないのに。
そう言って、キラは目を閉じた。
「…充分、もらってるよ」
微かに苦笑を零して、呟く。
出会えた事、想いが通じた事、それ自体が、奇跡みたいなものだから。
浮ついた言葉も、今までさんざん使って来た口説き文句も、全然出てこない。
なにも言わなくても、肩に触れる体温や、その重みだけで。
「これ以上は、要らない」
そう、多分、その言葉の通りなのだろうけれど。
それでも、渡したいものがひとつだけ。
いつまでも、持っていて欲しいものが。自分でも、持っていたいものが。
「…キラ」
声を掛けると、寄り掛かっていた肩から重みが離れる。
「…なに?」
少し低い、キラの目線。濃紫色の瞳が、不思議そうに見上げる。
「…手、出して」
唐突なその言葉に首を傾げながらも、キラは言われた通りに右手を差し出す。それに、違うよ、と苦笑を返して。
「反対。左手」
そう言って、目の前の柔らかな手をとって。
「…オレから、な」
用意していた細いリングを、そうっと嵌める。華奢な指に、オレンジ色の光を柔らかく映す銀色の指輪。
「…これ…」
こんな手段に出るとは思っていなかったのか、キラは目を丸くしてそれを見詰めている。
思ったよりも自然に渡せたな、と内心で溜息をつく。
直前までは、本当に緊張していたのに。
「…ディアッカ」
呼ばれて視線を動かすと、とても楽しそうな顔をしたキラがいた。
「…なに…?」
少しだけ、イヤな予感がする。
こういう顔をする時は、とても強気なのだ。
答えると、キラはとても自然に手のひらを返した。意図するところが、イヤな予感が確信に変わって行く。
「…出して。持ってるでしょう、もう一つ」
こういう時ばかりは、本当に鋭い。
答えに詰まって、しばし睨み合いが続く。片方が、この上もなく有利で、一方的な。
「…はいはい」
結局、負ける。
溜息と共に吐き出した答えに、キラは楽しそうに笑みを浮かべた。
「ホント、こういう時だけ鋭いよなあ、キラは」
苦笑するしかない。
降参、と言ってもう一つ持っていたそれを、手のひらに落とした。少しサイズの大きい、同じデザインの指輪。
それを丁寧な動作で指先に移動させて、キラはディアッカに向き直る。
「…嬉しいんだよ」
静かに、そう言って。
同じように、ディアッカの指にそれを嵌める。
「…サンキュ」
小さく、呟いて。
そのまま手を引いて、引き寄せる。
結婚式みたいだね、と言うから。
そうだな、と返して。
実際、そのつもりで。
「…じゃあ、誓いのキスもいるよな」
軽い口調でそう言ったのは、そうしていないと震えてしまいそうだったから。
「ホント、ロマンチスト」
そう言って微笑いながら、キラは目を閉じる。
唇を寄せて、そうっと触れて。
マシュマロみたい、と言っていた事を思い出して。
幸せだと思った。
「…ハッピーバースディ」
こんな幸せな時間が続きますように。
作品名:それはそれは、ひそやかな 作家名:綾沙かへる