気持ちの問題
「だってお菓子会社の戦略でしょ」
微妙な表情で視線を投げたその先には、シーズンが終わって叩き売り状態のチョコレートが入ったワゴンがある。
「…とか言いつつ足がそっち行こうとしてんだけど」
苦笑交じりにそう言ったら、うるさいな、と軽く睨まれた。
「チョコレート好きだもん」
だから、実はこの時期を楽しみにしていることを知っている。はいはい、と軽く肩をすくめて「いいから欲しいのあるんなら見て来いよ」と促すと、幾分不本意そうな表情を残しつつもキラはワゴンに向かって行った。
お菓子会社の戦略でメインがチョコレートになってはいるけれど、本来はそういうイベントではないはずだ。けれど贈る対象がチョコレート好きだったら、これほど有難いこともない。
「…そう言えばあいつ、アレ食ったのか?」
渡したはずの箱が手付かずでデスクの片隅にあったことを知っている。
ここ数日は仕事と称して自室に篭っている事が多く、今日の外出だって本当に久し振りだ。実際、顔を合わせた瞬間久しぶりに見たなあ、なんて思っていたり、した。同じ家で生活しているにもかかわらず。
「まさか非常食とか言わないよな…」
否定しきれない考えに苦笑を浮かべ、次いで真剣にワゴンの中を覗き込む後姿に微笑を送った。
とろりとしたチョコレートのCMをいつだったか見た。それに美味しそうだなあと言う感想を持ったそのすぐあと、隣にいた人に視線を移してつい、「ディアッカって美味しそうな色してるよね」と呟いてしまった。
季節柄、毎日毎日チョコレートの宣伝を目にしていて、似たようなカラーリングの人がいたから不可抗力だと思う。本人にしてみれば理不尽だっただろうが。
「…お前ね」
夜勤明けでぐったりした顔を更に微妙にして、呆れ返ったように笑った。
「お前の頭のほうが近いような気がすんだけど?」
頭、と言われて前髪を少し引っ張る。言われて見れば小麦色の彼よりも、鳶色の自分の髪のほうがチョコレートには近いかもしれない。
「…そうじゃないよ」
上手くいえないけれど、多分。
そっと、頬に指を伸ばした。
「…だから、かな」
主語のない言葉に、ディアッカはなんだそれ、と言って軽く溜息を吐いた。そうして思い出したように足元に放り出してあったデイパックの中を漁り、小さな箱を取り出して頬にあった手のひらに落とす。
「食われちゃたまんないから、それやるよ」
誰かに貰ったものだったらやだな、と思ったことが顔に出たのか、ディアッカはまた笑う。
「お前に、ちゃんと買ってきたの。好きだろ、チョコ」
焦げ茶色の箱に金色で文字が入って、モスグリーンのリボンがかかっている。
「…渋い趣味だね、相変わらず」
しげしげとそれを眺めてから、有難うと小さく返した。
端的に言うと、それが勿体無くて開けられない。職場でけして少なくない数の色とりどりの箱やら包みやらを貰って帰ってきたとき、勤務中のその人が心底いなくてよかったと思った。それから毎日それをこっそり片付けていたりする。こういうとき、軽い気持ちでリビングに放置して置ける図太い神経が欲しいと思う。笑って済ますことが出来れば苦労はしないし、かと言って捨てることも出来ないし、そもそも最初に断れればこんな苦労はしなくてよかったはずだ。先に出来ない後悔を噛締めながら、ともかく消去法で残った「全部いただきましょう」と言うのを地道に実行する毎日。
タイミングよく暫く引きこもってする仕事が出来たため、多分気付かれてはいないはずだ。それに、ディアッカだってきっと沢山貰って来たに違いない。複雑だけれど、そう思うことにした。
そんな中で、最後まで残っていたのがそれ。焦げ茶色の小箱は相変わらず手が付けられない。それが気になっているのかいないのか、ディアッカの態度は変わらないしそれがどうなったのか聞いてきたりしない。
顔を見ない日が続いて、カレンダーを捲くるまであと何日もなくなってきたとき、たまには出かけないかと言われて久し振りに職場以外の場所へ足を運んだ。
「…何の罠だろう…」
イベントは終わったはずなのに、いや、終わったからこそこうやってワゴンセールになっていたりするわけで。売れ残りとはいえ、品物自体は何の遜色もない。
行ってくれば、と後ろから彼は言った。
「え」
振り返ると呆れたように笑っている。いつの間にかワゴンを凝視していたらしい。
「オレ、向こうで買い物してる。いい茶葉貰ったから、お茶菓子になりそうなの、頼むな」
笑いながら送り出すようにひらひらと手を振るから、とりあえず喉まで出掛かった言葉を飲み込んでワゴンに向かって歩き出した。
「…キラ、お前マグカップどうした?」
流れる水音に混じって、そんな呟きが聞こえる。白い洗剤の泡を落とした器を水切り籠に伏せながら、ああ、と頷いた。
「デスクに、あると思うよ」
夕食を終えて昼間もらったと言っていたお茶を淹れるために茶器を暖めていたディアッカは、そうか、と言ってキラが仕事を放りっぱなしの部屋に向かう。それをなんとなく背中で感じながら蛇口を捻って流れる水を止めて、思い出した。カップは夕方使ったから、デスクの上にある。それと一緒に、できれば見られたくない箱も置いてあることを。
「…待って、ディアッカ…っ」
振り向いたときには遅かった。自分の部屋の扉は開いていて、自分のカップを片手に長身の彼が出てきた。微妙に、表情がおかしい。
「……キラ」
そちらを向いたまま硬直していると、苦笑と共に気持ちは有り難いけど、とディアッカは零す。
「痛まないにうちに食べろよ?」