譲れないもの
ここが、ギリギリだと言う所で。
軽く、背中を押してくれるような。
>>>譲れないもの
漆黒の宇宙から戻ってくると、力が抜ける。
無重力の筈だと言うのに身体が重く感じられて、殊更ゆっくりと溜息を吐く。狭いコックピットから開放されてヘルメットを外し、襟元を軽く寛げる。
周りに視線を走らせると、余裕のない隣りの艦から移された修理中の赤いモビルスーツがデッキを埋めていた。違う色の作業服を着た何人もの整備士が仕事に打ち込んでいて、忙しない。
ここは、落ち付かない。
何処にいたって似たような状態だと言うのに、キラは自分で考えた事を苦笑混じりに否定した。
ここは自分のいるところじゃない。
何を信じているのか、この艦に乗る人達はきっと自分達の行動に自信を持っているのだと、思う。
それに比べて、自分はどうだろう。
いつでも疑問符だらけで、最前線にいても自分が最終ラインにいるような。
そんな、ギリギリの感覚。
「よー、お疲れさん。」
いつでも何処か軽快な筈の口調が、少し重い。
疲れているのかな、と思いながら後から入って来た人を振り返ると、紅いパイロットスーツを既に半分脱ぎ掛けていた。
モビルスーツデッキからこの待機室までは少し距離がある。距離があると言っても僅かだけれど、その短い間にいつもこうなっている、ような気がする。
「…お疲れ様。」
少し、気分が軽くなる。
アスランいねぇの、と言ったディアッカは勝手に自分の、と決めたロッカーにパイロットスーツを押し込んで、オレンジ色のジャケットを羽織る。今の彼には、それが当たり前でも。
「…なんか、不思議だよね…」
紅い制服ではないのが。
可もなく不可もなく、と言った状態ですっかり馴染んだ様子のディアッカは、目立ってヤじゃん、と宣言してそれを借りた。確かにザフトの紅、その意味はこの艦でも有名だ。
ただの哨戒、とは言え、モビルスーツに乗って宇宙に出ると言うのは、思いの外体力を奪われるのだと気付いたのは最近。その強すぎる力を間違える事なく、と言う重い責任と、強い思い。
要するに自分はプレッシャーに弱いのだと、ある日指摘されて気付いた。
もう少し気楽に行けば、とその人は言う。
「そんな気ィ張りっぱなしじゃさ、疲れてしょうがねぇだろ。」
この人は気の抜き方とか、はぐらかし方が上手いのだと思う。
フラガに、似ている。
再会した親友が、家族かも知れない少女と過ごす事が多くなって。
気に掛けてくれた父親のような人は、やはり母親のような女性と一緒にいる姿を良く見掛けて。
気が付いたら、この人がいたのだ。
ばたん、とロッカーの扉を閉める音で現実に引き戻される。
「…どうした?なんかすっげ、ぼんやりしてるけど?」
不意に視界を塞ぐように現れた菫色の瞳に、驚いて思わず引いた。その動作に苦笑を零して、ひでぇ、と続ける。
「…ごめん…」
びっくりしただけだから、と取り敢えず素直に謝罪して、緩く笑みを浮かべた。
ディアッカは少し、嫌な顔をする。
この反応は、もう癖だ。
生まれたばかりの赤ん坊が、そうすれば誰かが護ってくれると本能で知っていて浮かべる笑みと同じで。
そうすれば、大抵の人は流してくれるけれど。
おまえな、と溜息混じりに呟いたその人は、手に持ったままだった青い制服の上着を取り上げて広げる。
「とりあえず、これ着て。部屋戻ってそれから。」
その言葉の意味する所も、すぐに理解出来るけれど。
どうしてそうなったのか分からないけれど、気がついたらそんな関係になっていた。しかも困った事に、それが嫌ではないから。
「…元気だね、ディアッカ。」
苦笑混じりに返すと、そうじゃねぇよ、と言ったその人はただ笑ってキラの頭をがしがしと掻き回した。
この艦の士官室は、基本的に二人部屋だ。
ただ今まで士官クラスの人間が少なく、部屋に余裕があったから一人で使っていただけで。
なんでこの人が同室に割り振られたのかが良く分からない。ちなみに、同時にこの艦に乗る事になったアスランは、フラガと同室にされている。普通は逆なんじゃないだろうか、とも思ったけれど、唯一に近い元ザフトからの二人だから、恐らく監視目的もあるのだろうと思えばとりあえず納得はする。
「…こーいう事に抵抗がないって言うのも、問題な気がする…」
最初はただ、隣りで手を握っていてくれただけだったのに。
ぽつりと零したら、とても不思議そうな視線が返って来た。
「…別に?」
オレお前のことわりと好きだし、とさらりと続けて。
「わりと?」
それは少し不満だ。
思った事が出ていたのか、ディアッカは訂正、と言って笑って。
「ちゃんと、好き。」
薄い毛布ごと抱き締めて、とても近くでそんな事を言う。
「…ときどき、恥ずかしいよね、ディアッカってさ…」
それは正直な感想だ。
自分だったら、とても言えない。
ひでぇなあ、とディアッカは言って、また笑った。
「それが、良いとこだろ?」
普通、そう言う事は自分では言わないんじゃないかな、と思いながら。
「…そう言う事に、しとく。」
小さく、笑った。
お前、危うすぎたんだよ、とその人は言った。
今よりももっと、ぎこちない会話しか出来なかった頃に。
時々、とても嫌な夢を見て目が覚める。寒い訳でもないのに身体が震えて、止まらない。
怖い、と思っても。
ただ、きつく自分の肩を抱き締めて、小さくなってそれをやり過ごす事しか出来なかった。
敵と呼んだ人でも、そう何度も安眠を妨げる訳にはいかないと思っていたのに、その人はある日突然ベッドの端に腰を下ろして、ずっと手を握ってくれていた。
本当は、誰かにそうして欲しかったのだと、気付いた。
大丈夫だと、言って欲しかった。
形のない色々なものをくれたその人が、気がついたら誰よりも大切になっていて。
世界を護るとか、そんなに大きな事が出来る筈がなくて。
それがただの建前だと言ったら、どんな顔をするんだろう、と思いながら。
これ以上、下がる事が出来ないのは後ろにあなたがいるから。
そこで留まって前を向いていられるのは、あなたがいてくれるから。
ただそれだけは失くしたくないと思うような。
きっと、そう言うものなのだと。