優しくて冷たい世界
それをなんと表現するのかが分からない。
ぺたり、と分厚いガラス窓に手のひらを押し付ける。このガラスの向こうは真空の宇宙。氷点下の世界と自分の手のひらを隔てる分厚いガラスは、ひんやりとしている。
手のひらから伝わった自分の体温がガラスに移って、そこだけがほんのりと暖められる。空間に散っていた水分が、温度差で形になって現れる。薄く曇ったガラスからそっと手のひらを引き剥がすと、白かったガラスはすうっと透明に戻っていく。それをなんとなく眺めてから、再び手のひらをガラスに押し付けて、白く曇ったらまた引き剥がす。
「…なにしてんの、お前」
呆れたような呟きが、何度目かの動作の繰り返しをしているところで聞こえた。
「…休憩中」
ガラスに映った顔は、なんとも言えない表情をしていた。そこから視線と手のひらを引き剥がして答えると、あっそ、とそっけない呟きが聞こえた。
「…なんか、怒ってる?」
ガラスの中の顔は、そんな風に見えなくもないから苦笑交じりに尋ねると、何にだよ、とディアッカは溜息を吐いた。
「こんなとこでボーっと突っ立って休憩とかのたまうことか?ロクに寝てないことか?またメシ残したことか?なんでもそーやって抱え込んでることか?ホントは泣きたいくせに無理して笑ってることか?」
指折り数えて並べ立てた「理由」に乾いた笑いが零れた。
「それってつまり全部じゃ…」
そうだな、と頷いたディアッカはいつの間にかすぐ隣に立っている。
「けどホントは、そういう状況に追い込んじまった自分に一番腹立ててるよ」
情けなくってな、と彼は言うけれど
「…全然、そんなことないよ」
こうやって隣にいてくれるだけで、どれだけ心強いと思うだろう。どれだけ無茶をしてでも守りたいと思うのだろう。
世界を。
ひやりとしたものが指先に触れた。ちらりと視線を落とすと、それが先ほどまでガラスに張り付いていたキラの指だと知れる。珍しくキラのほうから指を絡ませてきたから、それを少し強く握り返した。
微かに震えた肩と、冷たい指先。
「…手ぇ冷てぇな、お前」
この手は、誰かの血に汚れていても。
この手で、すべてを守ろうとしている。
この細くて頼りない指先で。
「ディアッカはあったかいね」
ふふ、とキラは髪を揺らして笑った。
「元気、もらえるような気が、する」
僕はさ、とキラは窓の向こうを見詰めたまま呟く。
「…少しくらい、無茶したっていいんだ…って言うか、君がそうやって怒ってくれることも、なんか嬉しいし」
つまり、わざとか。
「…左様ですか」
溜息交じりに零れた言葉に、キラはまた笑った。
繋いだ手を引くと、微弱な重力の中で細い身体は簡単に捕まる。引き寄せて、抱き締めて。
「わざわざそんな気ィ引かなくたって、いつも見てるっての」
さすがに、正面切っては言えない。おとなしく腕の中に納まっていたキラもそれに気付いたらしく、微かに肩を震わせた。
「…笑うなよ」
気の抜けた言葉に顔を上げたキラは、お互い様だよ、と言っていつの間にか緩んだ頬に触れる。
「笑ってるもの、君も」
照れ隠しだよ、と返しながら柔らかな髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。
優しい世界が欲しいな、とその人は言った。
「…いつか、来るよ」
僕たちが作るもの、目指すもの。
どこまでも立ちはだかる世界の全ては、ひどく冷たい。全ての人に優しい世界なんて、永遠に来ないのかもしれない。
それでも。
「…守りたい、世界があるんだ」
あなたが生きる場所を
どれほどつらくても、そこだけはきっと、とても優しいのだと。
小さく零れた言葉に、その人はそうだな、と頷いて。
やわらかく髪を撫でる心地好さに、ゆっくりと目を閉じた。
END
2005.8 up