敗残の後
敗残の後
その日その時、刃鳥は庭に出て、木々を観察してはどこをどう剪定するかを考えていた。
いや、厳密にはそうしているフリをしていた。実際頭の中はまったく違うことを考えていたからだ。
(頭領……)
正守は今、裏会のほうに出向いている。正守は秘匿の掟とはぐらかして直接教えてはくれないが、おそらく幹部会『十二人会』の会合が開かれているに違いない。面子はもはや半数を切るところだと風の噂に聞いた。
嫌な予感が止まらなくて、書類仕事は手につかず、こうして人の少ない庭を歩いている。そんな時、バタバタと門の方から少年少女達の声が聞こえてきた。
「副長!」
真っ先に刃鳥の元へと駆け寄ってきたのは絲だった。長いスカートを駆けるのに邪魔にならぬよう握りしめて必死に走ってくる様子に、尋常ではないものを感じ取って向き直る。
「どうしたの?」
「頭領が……」
蚊の鳴くような声でそう告げると目に涙を浮かべる。
「頭領が、どうしたの!?」
刃鳥の質問への回答は後ろから告げられた。
「襲われたヨ」
振り向くと、それは刃鳥の命を受けて高い部屋から裏会本部を透視していた箱田だった。細い手足をさらに竦めるようにして震える声で羽鳥に告げた。
「裏会本部ガ……襲撃されたヨ」
再び騒がしくなった門の方を見ると、騒ぎを聞いて駆けつけた轟と武光が、非力な少年達の手から二人がかりでぐったりとした正守を担ぐところだった。
そのまま正守は治療室へと運ばれた。意識のなくなった正守の身体をあらためようと、巻緒がその首を覆う襟巻きに手を掛けた時。
「……っ!?」
巻緒が息を呑んだ。次いで正守を覗き込んだ行正が声を上げる。
「染木!これ、何かわかるか」
慌てて駆け寄ってきた染木が正守の首すじに手を当てる。その時はじめて、刃鳥はそこにある禍々しい刻印を目の当たりにした。
「――っ…!」
「首全体を一周してるみたいですね……」
それは×印を重ねてできた刻印で、正守の首に漆黒の線を形作っていた。
「多分、頭領が自分でやったまじないだと思います。今回の襲撃とは関係ない、もう少し古いものですね」
その禍々しさと痛々しさが消えたわけではないが、襲撃の結果ではないことに刃鳥は胸をなで下ろす。と同時に、今までその存在に気付かなかった自分に忸怩たるものを感じずにはいられなかった。いつから正守は首の刻印を隠すようになったのか。思い出そうとしても、今は焦りがそれを邪魔する。
「とりあえず……そっちのほうは後回しにして、今は治療に専念してちょうだい」
そう言いながらも、最もその刻印を気にしているのもまた刃鳥だった。
様々な話を検証すると、どうやら裏会は襲撃を受けて、正守は裏会総本部からここ、夜行へと自力で戻ってきたらしいということに落ち着いた。
肉体的な損傷は殆ど無く、けれど『気』――神経と精神をすり減らしてしまったようだと菊水と白菊は告げた。「じきに意識は戻る」という二人の言葉があったため、正守が横になっている布団の回りに夜行の面子が勢揃いしてその瞼が開くのを今か今かと待ちかまえている。その首の刻印については、誰一人知る者はいなかったらしい、時折秋津や影宮がぼそぼそと言葉を交わしていたが、憶測の域を出てはいないようだ。
ふいに襖が開いてその場にいた者全員がそちらのほうに振り返ると、一同の視線を受けて立つ翡葉が申し訳なさそうに刃鳥に告げた。
「駄目でした。総本部からは芳しい情報は入ってきません。俺、直接行ってみますか?」
「いや」
翡葉を制したのは細波だった。
「十二人会でか、総本部全体でかはわからないが、何かがあったのは確かみたいだ。なるべく動かないほうがいい」
「でも……」
翡葉が少し苛立たしげに視線を彷徨わせる。とてもじっとしてはいられないという様子に、刃鳥も制止の声をかけた。
「頭領の意識が戻るのを待ちましょう。調査はそれからに……我慢して、翡葉」
「……はい」
「皆も。できるだけまとまってここにいましょう。裏会で何か起こったのだとすれば、次は夜行かもしれないわ」
その言葉に翡葉をはじめとした一同は背筋を伸ばして緊張した顔をした。
正守はそれから更に一時間程経ってから、目を覚ました。
その口から語られたのはシンプルで、けれど重い一言だった。
「裏会が――落ちた」
裏会総本部は今やその人員ごと総帥の手によって陥落されたという。
「じゃあ、白道や、黄道は?」
総本部詰めの二人の名をアトラが問うと、正守は目を伏せて首を横に振った。
「おそらく、一緒に洗脳されただろう」
「そんな……!」
「後で箱田に透視してもらいましょう。五体満足なら、まだ何か方法があるかもしれない」
アトラの肩に手を当てて宥めながら、刃鳥は正守の代わりに指示を出す。
「頭領にはこのままここで休んでもらいましょう。いいわよね、白菊、菊水」
「それがいいだろう」
「聞いたわね、箱田。裏会総本部の様子を透視して。皆は襲撃に注意して屋敷を警護すること。アトラ、避難させた子達の安否を一応確認に行ってちょうだい。私が屋敷に残るから何かあったらすぐに報告するように。いいわね?」
刃鳥の指示に、一同はうなずき、各々の持ち場へと去っていった。
「俺がいなくてもやっていけるな、夜行は」
二人きりの部屋で正守がそんなことを言い出したので、刃鳥はむっとする。
「今このタイミングでそんな気弱な志じゃ困ります」
「はいはい」
「ところで、その――」
刃鳥が無意識に自分の首に手を当てた時、正守も自分の首筋に手を当てて、そこに遮蔽物のないことに気付いたらしい。
「ああ、このしるしか」
「はい。どんなまじないか、は聞きません。ただ、何故隠していたのかが知りたくて」
「まじないの内容を聞かれたくなかったから、じゃあ駄目かな?」
バツが悪そうに正守は襟元を少し隠すようにするが、もはや無駄なことだ。
「言葉遊びをしているつもりはありません」
「こっちだってそんなつもりじゃないよ。聞かれたくなかったんだ、それだけさ」
「では、聞きません。けど一つ言わせてもらっていいですか」
「なに?」
叱られた子供のような、こんな時の正守の声はやけに優しく耳に響くから困る。
「あなたがいなければ夜行はやっていけません。それをお忘れなく」
「手厳しいねぇ」
苦笑いを浮かべながらも頷いた正守に安堵して、刃鳥は立ち上がった。
「では、ゆっくりお休みになっていてください」
「そうするよ」
刃鳥は廊下に出ると、ゆっくりと襖を閉めて、屋敷の警護に穴がないか確認しに一歩を踏み出した。
<終>