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白日

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ただ酷く苦しかった。


指と指の間を風船の紐がすり抜けて私達を放っていってしまう時の様なあっけない空しさ。
それは突然私の胸の中に現れて肺を満たして、気がつけば右手を振りかざしていた。
そういえば初めてだったなと思った。
誰かを本気で殴りつけたのは。


口笛を吹く軽やかさで名前を呼んで、翻るスカートの様に笑って、角砂糖を溶かす温度で優しい言葉を吐いて。
何故だか突然、それに耐えられなくなって。
嬉しいと思っていたことを覚えているのに。
私なんかには身に余るものだと分かっているのに。
だからこそ。
だから、きっと。


思い切り頬を殴りつけて、ぽかんとした顔がこちらに向けられて目があった瞬間眉間に向かって真っ直ぐ拳を叩き付けて、三回、四回、五回、六回、九回目から数えることよりもただその顔をぐしゃぐしゃにすることに一生懸命になって。
夢中って言うのは、夢の中なのに、私は夢中で、でもどうしてだろう指も手首も痛くて仕方なくて、でもどうしようも無くて、ふと目が合えば彼は当然の様に頬の筋肉を緩めて目を細めて、うん、私、それが嫌。


「嫌い?」
これは、嫌いって、言うんだろうか。
「もう俺のこと、嫌になった?」
分からない。
「……そっか」
何で私自身に分からないのに貴方はそんな分かった振りをするんだろう。
「でも。ごめんね」
いつも通り笑った。
「俺は好きだよ」
当然の様に。
「ごめん、好き」
げんざいこのばんごうはつかわれておりません。
「俺、硝子さんが、好きだよ」
繰り返される音信不通。
「硝子さんが俺のこと嫌いで嫌いでしょうがなくて、指の皮めくれる位に俺をぶん殴ってそれでもまだ足りなくて、刃物とか取り出して俺をザックザクに刻んでみじん切りにしてぐっちゃぐちゃにして、牛を見たこと無い人が焼きたてでデミグラスソースのかかったハンバーグを見ても絶対に牧場でのんびり草を食べてる牛の姿なんか想像出来ないみたいに、俺が本当はこんな姿形をしてたんだなんて誰も想像出来ないような感じにしちゃったとしても、俺は硝子さんのことが好きだなあって思ってる」
現在、
「ううん、違う。思うんじゃない。そんな曖昧なんじゃない。好きだよ」
この心は、使われておりません。


ねえお願い嫌って嫌って大嫌いって言ってこんな私に呆れて見捨てて好きとか愛してるとかそんな言葉で殴りつけないで大嫌いだって言って私を好きにならないでそんな薄っぺらくて安っぽいもので私を騙そうとしないでもっともっと強く私を嫌って憎んで愛さないで円周率の確かさで私を拒絶して宇宙の虚しさで私を握りつぶしてどうかどうか、


「だからさ、気が済むまで殴っていいよ」
わたしはどうしてほしいんだろう。
「もし、万が一だけど、勢い余って余りすぎて、もしも俺が何にも言わなくなったとしても気にしなくていいから。好きなだけ殴っていいから。怒ったとか、嫌いになったとか、愛想尽かしたとか、そんなんじゃないから。それは絶対無いから」
俺硝子さん、ほっとけないんだもん。
「馬鹿」
「知ってる」


びしょ濡れの虚像の中で貴方はやっぱり笑った。
作品名:白日 作家名:チハヤトキ