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【サンプル】からっぽのまにまに

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*朝の話から抜粋


 微睡から、ようやく目を覚ます。
 臨也はまだまとわりついてやまない睡魔を打ち払うように瞬きをして、すぐそばに設置してある目覚まし時計に視線をやろうと、首を動かした。カチコチと微かな音をたてるその時計の長針がもう頂点に差し掛かろうとしている。あ、まずい。そろそろ音が鳴り響いてしまう――。
 そう思った瞬間、ピピピとけたたましい音が寝室に響き渡る。そして臨也が目覚まし時計をどうにかしようとする前に、違う人間の手が振り落とされる。
 けれどもその手が落ちたのは、目覚まし時計ではなく何故か臨也の頭だった。
「――いてっ」
 昨日は拳だったが、今日は手刀だった。その違いはなんなのか臨也は知らない。知らないが、本当にいい加減ターゲットを間違えないで欲しいと思う。どうしてこうも毎朝、恋人に殴られなければならないのか、いつも疑問に思っている臨也なのだった。
 再び彼が自分に攻撃をしてこないうちに、臨也はけたたましく鳴っている目覚ましを持ち上げ、彼の耳元へと移動させる。睡眠の妨害にしかなっていないその音に、彼は目を閉じたまま眉間に皺を寄せていた。
「朝だよー」
 そんな声をかけても、彼はまだ夢の中。頑張って働き続ける目覚まし時計を抱え込んで、布団の中へ潜ろうとする。
「こらこら。いい加減にしなさい」
 目覚まし時計を救いだし、再び彼の横に置いても、やはり彼はそれを抱え込もうとする。仕方ないので、臨也はその働き者の目覚まし時計を止めて、彼の体をゆすった。
「帝人くん、起きて。朝だよ」
「……まだ、」
「まだじゃないよ。朝だって言ってるだろ。俺は別にかまわないけど、困るのは君じゃないか」
「うー……」
 一度だけ帝人の目が薄く開くが、すぐに再び閉じられてしまう。ダメだこりゃ、と臨也は布団から出て立ち上がり、自分と帝人を包んでいたそれを思い切りはぎ取った。
 朝特有の、まだひんやりとした空気が辺りをふわりと通り過ぎていく。その温度に、それまで優しく温められていた帝人はぶるりと体を震わせた。
 小さく丸まった帝人に、臨也は先ほどの仕返しとばかりに手刀を食らわせる。まさかそんな攻撃をされるとは思ってもみなかった帝人はまともにそれを受けてしまい頭を抱えてますます小さくなってしまった。
「起きろ」
「…酷い、です」
「酷いのはどっち?また今日も俺、君に殴られたんだけど。いい加減覚えてくれる?俺は目覚まし時計じゃないから、俺を殴っても音はやまないんだよ」
「…でも、時計、止まってますよ」
「俺が止めたの。君じゃなくて、俺が止めたの」
「そうなんですか…」
 小さくなっていく語尾。再び夢の世界へと足を踏み入れようとしている帝人に、臨也は重い溜息をついた。以前はそうでもなかったはずなのに、帝人は朝にすっかり弱くなってしまった。原因がわからない、わけではないのだけれど、それを差し引いても弱すぎる。大体、体力を消費しているのは臨也も同じなのだから――と考えて彼と自分の体力は決してイコールで結べないことに気が付く。高校を卒業し、大学生になった帝人は、必須だった体育の授業がなくなって運動する機会が減ってしまった分、体力も合わせて減っている気がする。今度ジムにでも放り込んでみるか、と帝人が聞いたら全力で拒否してきそうなことを臨也は考えてみるのだった。
 そしてうんともすんとも言わなくなった帝人に馬乗りになって、口と鼻をそっと塞ぐ。
 最初こそ大人しくしていた帝人だったが、やがてはたと目を大きく見開き、臨也の手から逃れようと懸命にもがき始めた。それを確認し、臨也はすぐに帝人を解放する。
「殺す気ですか!」
 さすがに息を止められたというだけあって、帝人の抗議には鬼気迫るものがあったが、臨也はそれをあっけらかんとして受け止め、「だって起きないからさあ」と非難してみる。
「そんなことしなくても起きますってば」
「どうかな。毎朝君を起こしている身として言わせてもらうけどね、目覚まし増やした方がいいんじゃない?一個でも十分やかましいけど、あと四個くらいあればさすがに君でも起きるでしょ。それで起きなかったら俺はもうどうしたらいいのかわからないよ」
「…臨也さんは自分のせいだっていう自覚がないんですね。残念です」
「どうして俺のせいなの?起きられないのは自分のせいだろ?」
 首を傾げると、「それ、自分で可愛いとか思ってます?もう三十路なんですから自重してください」といささか失礼な発言をされる。臨也は二十八歳なのであって、まだ三十路ではない。毎回訂正するのだけれど、帝人はことあるごとにこの話題を持ち出してくる。どうやらこの話題であれば臨也に口で勝てると思っているようだ。まったく幼稚な考えは二十歳になっても変わらない。
「大体さあ、昨日は帝人くんが一人で寝るのが淋しいっていうから、一生懸命早く仕事を終わらせて、君の就寝時間に合わせてあげたんだよ?感謝されるべきなのに、どうして文句言われなきゃなんないの」
「淋しいなんて言ってません。勝手に捏造しないでくださいよ。貴方が勝手にベッドにもぐりこんできたんじゃないですか!」
「もぐりこむっていうか、この家にはベッド一つしかないんだけどね」
 もちろんそれは互いが了承してその形になったのであって(大きさは二人でも十分すぎるほどのキングサイズだけれども、寝る時は大抵中心に寄り添って眠ることが多い。それはもうすでに暗黙の了解となっている)、帝人の言葉は実に今更である。
 反論する術がないのか、帝人は臨也に言い返すことはしなかったが、ぐいぐいと臨也を自分の上からどかそうとする。足でがっちりと帝人の腰を固定しているので、元々力不足な帝人の抵抗など、臨也にとっては些細なものでしかない。またそれが帝人を苛立たせ、顔を歪ませてしまうのだけれど、臨也はそれすら楽しんでいるので特に問題はない。
「…早くどいてくださいよ」
「わかったわかった、どいてあげるよ。帝人くんをちゃんと覚醒させたらね」
 開いて握って、を繰り返す臨也の両手を見て、帝人は顔を青ざめる。帝人が両脇を触れられただけで絶叫するのを臨也は知っている。それがこの上ない嫌がらせになることも。
「俺だって本当はこんなことしたくないんだよ?でも帝人くん全然起きてくれないし、俺のこと殴るし、終いには三十路扱いって酷くない?毎朝毎朝、献身的に帝人くんを起こしてる俺に対してあんまりにも感謝の念がかけてるよねえ?これってさ、お仕置きされても、文句言えないと俺は思うんだ」
「い、臨也さ、」
「大丈夫、大丈夫。怖いことなんてなーんにもないよ。だって、帝人くんを起こしてあげるだけなんだからさ。ね、俺って優しくて健気でしょう?」
「僕、もう、起きてます!」
「聞こえませーん」
 実に楽しそうに笑う臨也に対し、すでに帝人は涙目である。しかしその顔に更なる欲を膨らませて、臨也は帝人へと手を伸ばした。
 部屋には帝人の叫び声が響いていたが、残念ながら防音設備が整った部屋からはその声が漏れることはなく、誰かが帝人を助けに部屋へ乱入してくる、なんて展開は絶対にありえないのだった。


(以下、本編に続く)