Da CapoⅤ
俺は煙草に火を付けながら、三人のやり取りを見ていた。
学園の屋上の出入りは生徒も教師も誰の許可も必要ではない。
邪魔なものが少ない、この高い場所から空に消えていく白が好きで、時々ここで喫煙タイムを迎える。
彼女の存在が、彼らを変えたと俺は彼女を評価している。
(ほんと、よくもまぁ、あいつらを上手く「コントロール」してるな)
本当はこういう事は「教師」がやる事なのだろうが。
(せんせいも、色々と大変だからな)
頭に浮かべてみる。
愛すべき五月蠅い小動物。
「人当たり」のいい人格者。
現実感の薄い求道者。
無感情を装う完璧主義者。
感情先行型の変わり者。
何百歩も後ろを行く者。
(あ、あいつもいたな…)
俺は思い出した。
この前、転校して来た奴の顔が浮かんだ。
こいつもかなり変わってる。
変わっていると言うよりも、「曲者」。
曲者も、彼女に恋をする。
(ストーカーちっくな曲者君…)
つい、俺は苦笑してしまう。
本当に、恐ろしい位の吃驚人間ばかりだ。
ひょっとしたら、こいつらだけで博覧会出来るんじゃないか?
そんな不謹慎な事を考えてしまう。
芸術家、と言う奴は困った事に「変人」が多い。
見えないものを求めるが故にか、どこか「壊れている」事が多い。
頭のネジだけじゃなく、心の鎖も。
跳んでいたり、錆びていたり。
兎に角、手に負えない。
形のないものに魂を与え、誰でも触れられるものへと昇華していく。
それは誰かの為の行動であったり、誰の為でもなく自分の為の行動であったり。
果ては、思想や宗教関連。
そう言ったものの為だったり。
理由は人それぞれだ。
だが、動機はひとつだ。
(魂が、表現を求めている、から…)
俺は白い煙を肺に吸い込む。
そして吐き出す。
風に流れていく、白を見つめながら、何となく過去を想ってしまった。
見えた墨色の空間。
手を伸ばしそうになってしまう。
首を振って、現実に戻す。
大きく溜息を一つ付く。
過去を後悔出来るのは、今があるから。
あの時こうして置けばよかったは、「今」しか出来ない行動。
例え話は好きじゃない。
それは「現実」ではないから。
だが、夢物語を語れるほど、俺は若くない。
青くもない。
自覚はしている。
職業柄、毎年毎年「若者」にあっている分、周囲の同年代よりは歳を取るのは遅いはずだ。
例えそうだとしても、時間は無常にも過ぎていく。
これは世界平等の事柄。
時代が変わっても、空間は変わっても。
空は世界をつなぐ橋。
此処で俺が息を止めて、二酸化炭素を世界から一瞬減らしたとしても。
(…何もかわらないっつーの…)
がりがりと頭をかく。
又大きく溜息を付く。
調子が崩れてきた。
自覚出来る。
体の奥のどこかに、小さな爪痕が付く。
じんじんと広がって響く痛みが、ある想いを連れて来る。
喉の奥が鳴る。
(…たい…)
こんなにも「使い物にならない」ものが、こんなにも愛おしい。
誰のものでもない、世界で唯一の「俺だけ」の芸術を表現出来るもの。
スポットライトを浴びたい、と言う単純な動機や理由じゃない。
ただ、
(…い、たい…)
小さく、呟いてみる。
だが、何時もと同じだ。
絡まる。
細い、その奥が悲鳴を上げる。
以前を知っている自分にとっては、受け入れがたい「音」。
鈍く、錆び付いて動かない。
役立たずの、俺の歌声。
小さい声ではなく大きな声の方が負担がかかりづらい。
息声よりも、はっきりと発声した方が、確かに「負担は少ない」。
(それ以前の問題だろ…)
苦笑しか出来ない。
涙はもう、出ない。
酒と一緒に体の奥へ流し、そして忘れた。
多分何処かへ捨てたのだ。
昔、こんな話をした事があった。
「もし、明日体の何処か絶対失わなければいけないとしたら、何処だ?」
冗談でも言う事じゃないが、若気の至り。
相手も何も考えてない「若さ」で全てを解決していた時代だ。
今でもその答えは出ないが、その逆は、今ならはっきり言える。
(俺は歌い…たい。まだ歌いたいっ…)
瞬間、指に熱いものが当たる。
「うわっちっ」
つい声をあげてしまう。
ざわ、と空気が動いた。
三人が俺の方に気が付いたのだ。
視線が飛んで来る。
(あちゃー…)
ばつが悪い。
何と言う最悪のタイミング。
過去を想ったり、「若者」の青春の一場面を素っ頓狂な声で潰してしまったり。
(わりぃことしたなぁ…)
本当に最低だ、と自分の中で反省する。
「先生」
彼女が声を俺にかけてくる。
「よぉ、何してるんだ、お前ら」
そこにずっといて聴いていたくせに、俺は本当に最悪の言い訳っぽい事を口にしてる。
滑稽、そのものだ。
一体誰に聞かせたいんだこの台詞は。
笑いたくて仕方がない。
「先生、何か楽しい事でもあったんですか?」
「ん?何でだ?」
「だって、先生凄く楽しそう…と言うか、笑いを堪えた様な顔をしているから」
俺は少し現実に戻された。
彼女には完全にばれていた訳だ。
(女は強いなぁ…)
完敗だ。
俺はなるべく「何時も通り」に、三人に対応した。
核心は言わない。
オブラートに包み込んで、その中身を見つけられたら、それなりの対応をして。
こうやって距離を取る。
目の前であまり納得が出来なさそうにしている少女を目の前にしながら。
その表情さえも、柔らかい日差しのような。
(あの時…)
ありもしないような「夢物語」を頭に過ぎらせてしまう。
これは、叶っていて欲しかったものの一つだが。
(一つくらいは、残していてもいいよな…)
俺は、そっと彼女が紡ぎ出すその器に、先ほど熱いものが当たった手で触れる。
伝わらなくてもいい。
伝わらない方がいい。
この距離が、俺にとっては一番心地いい。
二人の間では、優しい風が吹いている。
ゆっくりと早歩きで進む時間と、深い愛情に包まれている空間。
忘れかけた、捨てきったと思っていたパズルのピースを一つ一つ。
静かに拾い上げていく感覚。
それは、一枚の絵となる。
眩しく輝いた、その世界は俺にとっての、唯一の信じられる「夢物語」を紡いでくれる。
これから先もずっと、俺は、お前が奏でる音楽で。
世界が変わっていく姿を、そっと遠くで見守っていたい。
(だから、この距離を保たせてくれ、な。)
Da Capo Ⅴ. 了