夕方ジェネレーション
こんな情景にはきっと薄暗がりが似合う。
電灯でもぽつりと灯っていたならバッチリ、言うことナシだ。
なのに今日ときたら綺麗に晴れ上がった空、夕暮れに差し掛かった街は鮮やかなオレンジに染まっていて、俺とあいつにはまるで似合わなくて吐き気がする。
げほ、と体が欲するままに咳をしてみたら鉄の味が口に広がってあいつの白いシャツが紅く汚れた。ハハ、このシミはそう簡単には落ちないだろう。母親に迷惑をかけるのをきらって自分で洗濯をする男の舌打ちを聞いて、男が家に帰ってからするであろう苦労を思い嗤う。せいぜい面倒臭い思いをして洗えばいい。それが俺にしたことへのせめてものつぐないじゃないか。
大好きな弟さんからもらった服が大嫌いな俺の血で汚れたのが気に触ったのか、シズちゃんは俺の顎を乱暴に引っ掴んで、俺の顔に噛み付いた。シズちゃんはキスひとつまともにできない。動物だってもっと丁寧な愛撫するんじゃないかなァ?おかげさまで俺の顔はシズちゃんの指圧でできた打ち身だとか噛み傷でいっぱいだ。毎回こんなじゃそのうち俺の顔はふためと見られなくなってしまう。あの新羅でさえ「臨也は本当に顔だけは綺麗だよねえ」って褒めてくれたようなうつくしい顔なのに。「だけ」は余計だけどさ。
「なに考えてんだ」
なんて、仏頂面のシズちゃんがまぬけな質問をしてくるから、
「べっつにィ。シズちゃんはキスまで化物級でうらやましいなあと思って」と答えておいた。すぐに頭に血を上らせて殴りかかってくるシズちゃんに、簡単だなあ、と思う。
ひどい馬鹿力で繰り出されたパンチで、簡単に俺の肩は砕かれた。あーあ、なんて他人事のようにちらと自分の肩を見ながら、ただただ頭を熱くして、俺への怒りで我を忘れるシズちゃんをうらやましく思う。
俺も、シズちゃんみたいに簡単だったらよかった。
思わずつぶやいた言葉に「喧嘩売ってんのか」とこめかみに血管を浮かせて物騒な笑みを浮かべるシズちゃんに「売ってないよ」と微笑んでみせる。そう、喧嘩なんて売ってない。俺は本当にシズちゃんみたいになりたかったんだ。
ずっと前から君みたいになりたかった。
オレンジの光が差し込む部屋の中でひたすらに自分をちいさくちいさくして、三角座りで世界を眺めた日々を思い出す。あのころ俺は居ても居なくても同じに思えるほど、噛み合う歯車の一部で、その世界から抜け出す術はどこにもなくて、ただ降り注ぐ光のように無理矢理に俺を引き摺り出そうとするまわりに俺の存在が必要だと、俺は特別だと認めさせることに必死だった。
君みたいに「特別」な「化物」にはわからないだろうなあ。
わかってもらいたいとはかけらも思わないけれど。
「ねえ、シズちゃん」
激痛の走る腕で俺より背の高い男を壁に押し付けて、もう片方の腕で腰のあたりを撫でる。あ、とちいさくつぶやいて耳を赤く染める男にイライラを募らせながら、それを感じさせぬようやわらかな笑顔を浮かべて耳元でちいさく、こんなんじゃなくてもっときもちいいことしようよ、とつぶやく。男の吐く熱い息が首筋にかかる。筋張った大きな手が俺の腰にかかる。
ねえ、シズちゃん、君は本当に簡単だね。
俺がどんなきもちでいるのかなんて微塵もしらずに。最低だ。最低だよ。
化物相手に「こちらへおいで」とささやくちっぽけな俺のちいさな心を暴くように、オレンジ色の夕日は、街の片隅に寄り添う一人と一匹を、まぶしく照らしていた。
作品名:夕方ジェネレーション 作家名:坂下から