Complicated GAME
Act.3 Ginger Milk Tea
ノイズ、ノイズ、ノイズ。
ノイズだらけの世界。
耳から追い出したって、頭から追い出したって。
そいつらはいなくなるわけじゃない。
だから歌おう。
何も聞こえないように。
おさないワガママを通して、
うたおう。
そうすれば、ほら。
ノイズは、ただ周りを吹き抜けていく、
すずしいそよかぜ。
*
「……帰ってきてたんなら、連絡くらいしてくれれば良かったのに」
暖かな店内を冷たい外気から守っているガラスを、淹れたての紅茶の湯気が曇らせる。
注文したジンジャーミルクティーが運ばれてきて、開口一番アルはそう切り出した。
対するイブカは、だいぶ冷めてきているストロベリーティーのカップで口元を隠し、そ知らぬ顔。
いつものこととは言え、アルはちいさく溜め息をついた。
「まあ、いいけど。いつから帰ってたんだい?」
「ついさっきだ〜」
「………………」
ついさっき、という言葉に、(それなら部屋は汚されていないな)と、どこかずれた方向で安堵するアレフ・H・ワトソン28歳。
―――それにしても。
イブカがどこかイギリス国外にふらりと出かけ、アルがそれを追って出張になったときなどは時々からかい半分に出迎えてくれたりもするイブカだが、ロンドンに戻ってくるときには、いつもふらりとアルのフラットに現れては好き放題にくつろいでいる。
こんなふうに、最初に外で会うのは初めてかもしれなかった。
「……もしかして、イブ?」
「あ?」
「僕が帰ってくるの、待っててくれた、とか?」
こんな、ケンジントンの駅の目の前の喫茶店で、駅が見渡せる窓際の席に陣取って。
「……何でオレがそんなことしなくちゃいけないんだ〜?」
「そ……そう、だよね……ごめん、変なこと言って」
ちらり、とこちらへくれたイブカの視線が、妙に冷ややかだ。
「……サンポのついでだ〜」
テーブルの上では、熱く柔らかかったはずのフォンダンショコラのチョコレートが、すっかり冷めて固まってしまっている。
不機嫌そうなひとことを放り捨てて、ぐいっとイブカはカップに残ったストロベリーティーを一気に飲み干した。
あたたまっていたはずの胃が、ほんのちょっと冷たくなった。
*
こんなふうに肩を並べてロンドンの町を歩くのは、そう言えば久しぶりな気がする。
そんなことを思いながら、アルは自分の肩ほどの身長しかないイブカを見下ろした。
きょろきょろと何やら視線をさまよわせているこのこどもは、こうして見ると、やはり小さい。
それなのに、いつもそれをあまり感じないのは……
「お、あった! アル、フィッシュ・アンド・チップス買ってこうぜ〜」
「……ひょっとして、さっきからスタンドを探していたのかい?」
「おー、やっぱロンドンっつったらコレだろ?」
「いいけど、部屋に持って帰ってもビネガーをこぼしたりしないで……あ、おい、イブ!」
「買ってくるぜ〜!」
アルの小言を聞いているのかいないのか(恐らく聞いてはいないだろうが)、止める暇もあらばこそ。
まるで体重を感じさせないような動きで、フィッシュ・アンド・チップスのスタンドめがけてイブカは走って行ってしまう。
(……あ……)
その後ろ姿を見送って、気付く。
あのこどもが、その小ささを感じさせないのは、これなのだと。
イブカは、いつだってアルに後ろ姿ばかりを見せている。
どこへでも行ってしまうイブカの後ろ姿を、アルはいつも追いかけてきた。
隣に並ぶことなんて、ほとんどないことだから。
「……ちょっと……情けないか、な……」
イブカは、まだ16にもなってはいないのに。
その年齢当時の自分などは、パブリックスクールで漫然と過ごしていたものだったのに。
過ごしてきた時間の濃さが比較にならないのだろう、とは思うけれど、10歳以上も年上で、そろそろ三十路に手が届こうかという年齢の男がたった15のこどもにやすやすと振り回されている現状というものを考えると……
無邪気な顔でフィッシュ・アンド・チップスを注文しているイブカを見つめながら、知らず、がっくりと肩が落ちてしまう。
(もし……僕が立ち止まっていた10年の間。イブの半分でも密度の濃い時間を送っていたら、もう少しはましだったかな……)
考えても仕方のないことをつらつらと脳裏に行き来させてしまうあたりが、このアルという青年の特徴と言えば特徴か。
気がつけば、湯気をたてているフィッシュ・アンド・チップスの包まれた新聞紙を抱えたイブカが、目の前で彼をまじまじと見つめていた。
「アル〜。あんた、またしょうもないこと考えてそうだな〜」
「え、い、イブ!」
「そ〜んなことばっかやってると、将来ハゲるぜ〜? ってか、もうそろそろヤバいかもな〜」
「なっ……! 僕はまだ28……」
「もうじき30だな〜」
「イ……イブっ!!」
「ははっ。んなことより、さっさと帰ってコレ、食おうぜ〜」
「まったく、人を何だと……って、ずいぶん買ったな。これ、全部食べる気か?」
「久しぶりだしな〜。二人ぶんだ〜」
「あ、ありがとう」
先に立って歩き始めたイブカが、チップスをひとつつまんでひょいと口に放り込む。
モルト・ビネガーの食欲をそそる匂いがアルの鼻先にまで流れてきた。
「フィッシュ・アンド・チップスもいいけど……今日の夕食はどうしようか?」
「何でもいいぜ〜」
「冷蔵庫に、何かあったはずだけど……じゃあ、何か作るよ」
「メシは何でもいいけど、後であんたが隠してる紅茶、とっておきの、淹れてもらうぜ〜?」
ニヤリ、とイブカは笑う。
これだけは絶対に見つからないように、と細心の注意を払って隠した茶葉の存在をほのめかされたアルが、ぎくりと頬を引きつらせる。
「な、なんでそれを……」
「いーじゃん。久しぶりだし〜?」
「………………」
どうせ、隠しカメラなり盗聴器なり、山ほど仕掛けてあるのだろう。自分の借りているはずのあのフラットには。
それでも、(まあいいか)、などと思えてしまえるのは。
「……わかった。後で淹れてあげるよ」
「お、ラッキ〜! ならあそこでケーキでも買ってこうぜ〜」
「何がいい? 買って来るけど」
「……どーゆー風の吹き回しだ〜? 明日は大英帝国最後の日かもな〜」
「どういう意味だよ!? ……いいよ。だって」
久しぶり、だからね。
作品名:Complicated GAME 作家名:物体もじ。