煉獄の恋
混乱している京都支部の様に心を砕きつつも、気心の知れた者同士で一時の談笑を交わしていた。
だがそれがそもそもの間違いであったのかもしれない。
当の廉造ですら、どうしてその時にそんな話題を彼に投げかけてしまったのか、理由がわからなかった。迂闊であったとしか言えなかった。
「いやー、それにしても神木さん面白いわあ。坊にあっこまでずけずけ言える子、そう見たことあらしませんから、なんや新鮮でしたわ。
どないですか、坊。お付き合いするんに、神木さんみたいな子ぉとか」
案外お似合いかもしれませんえ、と口にしたところで、酷く不機嫌そうな勝呂の声が志摩のお喋りを制した。
「女には興味無い」
さよですか、と唇の動きだけで志摩は返答をした。にっこりと浮かべた笑みは、欠片も動揺に崩れることはなかった。
いつもの笑みを顔に貼りつけながら、ああきっとこれはあの言葉が来るのだろう、とは容易に予想がついた。どこまでも自分に正直で嘘のつけない人だから、これは言わずにはいられないだろうな、とも思った。
そして、彼の予想に違わない言葉を彼は口にした。
「志摩、俺はお前のことが……」
何か触れたら切れそうな真剣さを孕んだ声色を、途中で志摩は綿のようにやんわりと制した。
「坊。それ以上は口にしたらあきません」
口調はあくまで柔らかくとも、きっぱりとそれ以上の言葉を拒否する響きを含んでいた。
それがいつもの志摩の、末っ子特有のどこか甘ったれたところのある口調ではなく、まるでずっと年嵩の兄か何かのような大人びた口調であることに、勝呂は気づけていなかった。
もしそれに彼が気づくことができていたのならば、そもそも志摩が制止をかけるようなことも無かっただろう。
「なんでや」
己の言葉を制された苛立ちを露わにしながらも、反らされることのない真っ直ぐで真剣な眼差しに、志摩は口元の笑みをますます深くした。
彼が真剣であればあるほどに、ああ、本当に彼はわかっていないのだと思わずにはいられない。
自分と志摩の違いというものを。
険しい勝呂の視線とは裏腹に、志摩はあくまでも普段通りの柔らかな雰囲気を崩さない。けれども流されることなく、きっぱりと同じ事を繰り返した。
「なんでもです。あきません。それを聞いたら俺は坊のところから離れななりません。それでもええんやったら、どうぞ言ってください」
「志摩……」
何故だ、と不服と悲哀をありありと顔に浮かべながらも、制止を振り切り全てを口にすることよりも、志摩が自分の元から離れてしまうことの方を恐れたのか、それきり勝呂は口をつぐんだ。
(堪忍しとくれやす、坊……)
勝呂にわからない程度に、そっと志摩は目を伏せた。
想いを口にするというのは、異性の間柄ならばいざ知らず、同性間での障壁というものはどれほど大きく厚いものになるのだろうか。
そこに至るまでにどれほどの自問自答、葛藤と苦悩を繰り返してきたことかと考えを巡らせれば、言わせてしまえればいっそ良いのかもしれない。
けれど、それはできない事だと、恐らく彼と同じ葛藤と苦悩の道を歩んだはずの志摩は思っていた。
これが志摩だけならば、それは良い。
例えば上の兄たちが伴侶を迎えられないだとか、あるいは後継ぎに恵まれないだとか、そういった、ひっ迫した事情にならない限り、五男坊である彼に対して、直接の大きな家の問題は降りかかってこない。
だが彼は違う。
座主血統の一人息子。
一体どれだけ悩んだことかわからない。ただの同性同士での恋愛感情であればまだ救いがあったかもしれないものを、よりによって最も向けてはならない相手に向けてしまった。
彼のため、彼の家のため、そしてそこに連なる明陀のためを考えれば、一時の感情に身を委ねさせ、道を踏み外させることがどうしてできようか。
(坊が想っててくれる、いうだけで……それだけで十分です……)
どうしてそれ以上の事を望めるのだろうか。
他の何よりも自分だけを選べ、などとそんな残酷な事を。
本当は勝呂の告白に踊りだしたいくらいの喜びを感じている。しっかりと確かな言葉でもってそれを噛みしめたくもあった。けれど、それは求めてはならない。たった一度だけであったとしても、その禁断の果実の味を知ってしまったならば、断ち切ることは今以上に容易な事ではなくなってしまう。
今はまだ熱情だけに浮かされている勝呂は、言えば志摩だけを選ぶだろう。けれどもきっといつか後悔する時が必ず来る。現実から目を背け、夢のような甘いものばかりを口にし続けることは到底できないのだから、彼がその時後悔をしないよう、そして自分もまた傷つかないよう、彼と自分自身のために、志摩は己の気持ちをぐっと押し殺し、線引きをせねばならなかった。
(せやからこれは、叶ったらあかん気持ちのままで、ええんです)
こんな気持ちに気づかなければ良かったと何度悔いたことかわからない。
いつ抱いたとも知れない許されない恋心は、秘めているだけで廉造の胸を熱く焦がし苦しめた。けれども彼もまた同じく恋という名の煉獄の炎に焼かれているのだとすれば、不思議と地獄の業火も温く思えた。
彼の気持ちを垣間見ることができた、それだけで志摩には十分だった。
耳に痛いほどの重い沈黙が続いていた。
これを打ち破ることができたならばどれだけ良いだろう。そんな甘い誘惑に流されそうになるが、ぐっと堪える。いつまでも夢見るばかりの子供ではいられはしないのだ。
そのうちに堪えきれなくなったのか、勝呂は悔しげに唇を噛み、志摩から視線を外した。だから彼は、彼の視線が外れた直後に志摩の笑みが今にも泣き出しそうなものに変わった事を目にすることができなかった。
「堪忍ですえ……」
その謝罪は、勝呂だけではなく自分自身の本心にも向けられていた。
きっと生涯口にすることの無いだろう己の恋心。
二度と浮かびあがってこないように、そっと胸の奥底に沈めた。