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カーテン越しから髪にキス

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はらはらと落ちていく雪。窓の外で空から舞い落ちる雪はきっとつもりはしないのだろう。
関東で降る雪はどれも水分を多く含んでいて、すぐに雨と同化してしまう。
真綿のような白さはほんの刹那。道路に落ちれば薄汚い土色をまとって、
車や自転車、人々に踏み荒らされて汚れてしまうのだ。
帝人はそんな、一瞬の美しさを誇る霙雪を眺めながらポツリとその乾いた唇から言葉を漏らした。

「臨也さん・・・」

ベットで寝たきりになったのはいつの頃だったか。
流行病で治す術も無いと宣告され、伝染病だからと家族を始め、友人、恋人からも引き離されて。
最早隔離病棟の一室で1人、帝人は己の死期がくるのを待つばかりだった。
生きている理由も無く、虚空にただ存在しているだけの生活。
思い出すのは楽しかった日々と、最愛の人の優しい微笑み。

「臨也さん・・・」

知らず知らずのうちに、帝人は青い瞳からぽろぽろと涙をこぼしていた。
熱を持った雫はしかし、すぐに冷たくなり頬を伝って枕に吸い込まれる。
細くなりすぎた自分の指ではシーツを握りしめることさえままならず、
帝人は震える指に精一杯力を入れて真っ白なシーツを掴んだ。
嗚咽を零すことが嫌だった。人に自分の泣き声を聞かせるのが嫌だった。
だから必死になって声を殺す。
これで看護婦に心配されたら、きっと帝人の心は壊れてしまうだろうから。

「い・・ざや・・・さ・・・っ」

それでも、やはり、1人は寂しい。独りは辛い。
きりきりと心臓が軋みを上げて、帝人の身体を痛めつける。
大好きで、愛している人の名前を呟きながら、帝人は唇をふるわせた。
今、あの人はどうしているのだろう。
食事はきちんと取っているのだろうか、池袋最強と言われているあの人とまた喧嘩でもしているのだろうか。
笑って、いてくれているだろうか。
ちゃんとお別れを言えなかった自分。さようならと告げられなかった自分。
もう、二度と会えないのに、伝えられなかった。話せなかった。

「ごめんな・・・さい・・・っ・・・ごめんなさっ・・・」

涙でぼやける視界に雪が降り続いていくのが見える。
その時、冷気が突然病室に流れ込み帝人はぶるりと身体を震わせた。
この隔離病棟で冷暖房管理は当たり前のはず。
帝人は驚きで瞼を数度瞬きさせた次の瞬間、信じられない声が帝人の鼓膜を揺らした。

「こんばんわ帝人くん」

どくん、と心臓が大きく脈打つ。唇が先ほどとは違う意味で震えだした。

「漸く会えた」

帝人はおそるおそる声のする方に頭を向ける。
カーテン越しでも分かる、帝人が最も案じていた人。
会いたくて、伝えたい言葉を伝えられなかった最愛の、恋人。

「臨也さん・・・」

かすれる声。震える唇。そんな聞き取りにくい言葉でも、臨也は聞き取ってくれた。

「うん、帝人くんに会いたくてさ、我慢できずに会いに来ちゃった」

ふっと彼が微笑ったのが帝人にも気配で伝わる。
流行病で、感染病で、隔離されている病人にわざわざ会いに来るなんて、酔狂にも程がある。
それでも、そんな臨也の心に、行動に帝人はまた瞳に涙の膜を浮かべた。

「帝人くん・・・」

臨也はそう言うと、カーテンに手をかける。
その姿に帝人は目を見張った。そして、自分でも驚くほどはっきりした声で臨也に叫ぶ。

「だめ!開けないでっ」

帝人の声に臨也の手がぴくっと跳ねて、すぐにカーテンから外された。

「お、お願い・・・で・・す。開けちゃ・・だめ・・・っ」

「帝人くん・・・俺は良いんだよ?俺は、帝人くんと同じ病気になったって・・・いいんだ・・・」

帝人は動かなくなりつつある首を振りながら歯を食いしばった。
甘美な臨也の言葉。臨也も同じ病気になれば、一緒にいられるかもしれないと思った弱い自分の心に帝人は蓋をする。

「ぼ、僕は・・・貴方にだけは・・・い、いきてほしいっ・・・」

カーテン越しに、臨也の息を詰める音が聞こえた。
ぎゅっと臨也がカーテンを握りしめ、苦しそうな声を出す。

「俺は君がいなきゃ・・・生きている意味なんて・・・もう・・ないんだよぉ・・・」

ぎりぎりと痛み悲鳴を上げる心に、帝人は顔を歪ませる。
出来ることなら、いてあげたかった。側にずっと、一緒にいてあげたかった。
けれど、それは叶わないから。無謀な、不可能な夢だから。

(お願い神様・・・どうか、ほんの少しで良いから・・・僕に起きあがる力を貸して・・・)

帝人は心の中で念じると、肘をついて身体を持ち上げようとする。
骨と皮だけになった腕が、身体の重みに耐えられずぎしぎしと軋み、叫びを上げる。
それでも、帝人は身体を起こそうとすることを諦めない。
そして漸く身体を起こすと、カーテン越しに握りしめられている臨也の手をそっと、己の手で包み込んだ。
その瞬間、臨也の手が帝人の手をカーテンと共に握りしめる。

「帝人くん・・・っ」

泣いているのだろう。あの折原臨也が。たった1人の人間のために。
雪の所為で、全ての音が吸い込まれ、病室に響くのは臨也の鼻をすする音だけ。

「臨也さん・・・僕・・・僕ね・・・貴方に伝えたいことがあるんです・・・」

帝人は涙をこぼすまいと、目に力を入れて瞬きをしないよう心がける。
伝えられなかった言葉。告げることができなかった言葉。

「臨也さん・・・今まで・・・ありがとう・・・・」

カーテン越しでもきっと臨也になら分かるだろう。そう、帝人は確信している。
だから、帝人は精一杯口角をあげて、微笑んだ。
ぐしゃぐしゃな笑顔だと思うけど、それでも帝人は笑った。

「さようならっ・・・」

臨也が歯を食いしばったのだろう。ぎりっという音が帝人の耳に入った。
そして、臨也の手が一度掴んでいた帝人の手を離したかと思うと、
カーテンごと更に華奢になった帝人の身体を抱きしめた。

「愛している・・・愛しているっ・・・!」

臨也の体温。カーテン越しでも伝わってくる懐かしい香り。
泣きたくないのに、涙なんてこぼしたくないのに、
はらりと一粒の涙を皮切りに、帝人の瑠璃色の瞳から涙が止めどなく溢れてくる。

「いざやさん・・・っ」

臨也は震える帝人の身体を壊れそうなくらいに抱きしめながら、
カーテン越しに、帝人の髪に唇を当てた。

「さようならなんて・・・言わないで・・・。俺は、君と離れたくない・・・!」

それができたら、どんなに幸せだろうと帝人は心の中で叫びながら、
カーテンの布ごと臨也の服を掴みながら涙をこぼす。


それから数日後、帝人は静かに息を引き取り、臨也もその後を追うようにして忽然と新宿から姿を消した。