月華
たまにふと、そう思う。
勿論、戦場で舞うように戦う彼を目にした者達も、口を揃えてそう揶揄する。
しかし自分はその姿以上に、神秘的な彼の姿を知っている。
自分だけしか知らない、その姿を。
姿の見えない政宗を探し、屋敷中を歩き回る。
また何処に行ってしまわれたのかと、小十郎は胸の中で呟いた。
先程覗いた幾つかある中のひとつである彼の自室に再び足を向け、襖を開ければやはりそこには彼の姿は無かった。
息を吐き、襖を閉めようとした時、奥の障子に影が映っているのが見えた。
小十郎は部屋を抜け、静かに縁側に続く障子を引いた。
そこには障子に背を預け、ぼんやりと夜空を見上げている政宗の姿があった。
月明かりに照らされて、その姿はぼうっと光を帯びているように見える。
その美しさに思わず息を飲み、小十郎は時が止まった錯覚に陥った。
さわ…と、微かな風が葉を鳴らしたその音で、小十郎は我に返る。
「政宗様」
小十郎が声を掛ければ、政宗は視線だけで小十郎を見上げた。
「このような場所で何をしておいでです。お風邪を召されますぞ」
そう言いながら政宗に歩み寄ると、政宗は薄く微笑って言葉を紡いだ。
「なら、お前が暖めればいい」
その、まるで誘われているような艶を含んだ眼差しに、小十郎の胸が大きく音を立てる。
「Right away」
その言葉に小十郎は、政宗の背と障子の間に割って入り、今度は自分が障子に背を預けて座りその身で政宗の身体を包んだ。
腕を政宗の前に回してやれば、政宗はその腕に頬を寄せるように頭を凭れ掛けさせた。
「…お前はあったけぇな…」
囁くように紡がれた言葉には、安堵の色が混じっていた。
小十郎は腕を折り、その手で政宗の頬に触れる。
「…このように冷えていてはそうお感じにもなられましょう」
「…No…」
そう呟いて、政宗は頬に添えられた小十郎の手に、自分の手を重ねた。
「…お前の体温は…俺を包むから…」
その言葉に答えるように、小十郎は政宗を抱き締めた。
細身ながらも鍛えられたその身体は決して頼り無くは無かったが、小十郎の逞しい身体にはすっぽりと収まった。
「…して…此処で何をしておいでだったのですか?」
「…月を観ていた…」
再び空に視線を移した政宗に、小十郎も天を仰ぐ。
満天の星空に、ぽっかりと浮かんだ満月が二人を見下ろしていた。
「…何か思う所がおありで…?」
静かに問うと、政宗は暫く口を噤んだ後、細く息を吐いた。
白い吐息が冷たい空気に溶けて行く。
「……懐かしい気がした……」
「月が、ですか?」
ぼんやりと輪郭を滲ませた満月を眺めながら、小十郎は再び問うた。
「…月に郷愁をお感じになられたと…?」
「Why…何でだろうな…満月を観ると帰りたくなる…手を伸ばせば届くんじゃ無ぇかとさえ思うんだ…」
そう言いながら、政宗は小十郎の手に添えていた自分の手を緩やかに伸ばし、月に翳した。
腕を伸ばした事で政宗の身体が小十郎から浮いて離れ、小十郎は視線を政宗に落とす。
小十郎の角度からは政宗の表情は見えない。
その瞳はどのような色を含み、月を見上げているのか。
月の光に照らされ、白い肌が透き通るように銀色に輝いて見える様に、このまま光の中に溶けて消えてしまうのではないかと言う不安感に駈られ、小十郎は引き戻すように政宗を抱き締める腕に力を込めた。
ほんの少し浮いていた政宗の身体が、再び小十郎の胸に収まる。
その政宗の肩口に、小十郎は顔を埋めた。
「小十郎?」
少々驚いたように政宗が小十郎を観る。
このように衝動的な様子を見せる小十郎は初めてだった。
「…What's your problem…?」
こつん、と、小十郎の頭に自分の頭を寄せ、政宗は穏やかに言葉を紡いだ。
そうして今度は政宗が小十郎の頬に手を添える。
「…政宗様が消えてしまいそうな気が致しました故…」
そう呟いて、小十郎は更に政宗を抱き締める。
政宗は意外そうに瞳を見開いた。
「俺が…?」
「はい…政宗様が月に攫われてしまうかと…」
政宗の肩口に顔を埋めたまま、小十郎は漏らした。
「政宗様のお帰りになられる場所は、月ではございませぬ…例え誠に政宗様のお帰りになられる場所が月であったとしても…それでもそれは……小十郎の元でございます……」
まるで身を切るように絞り出された声で言った小十郎に、政宗はうっすらと笑みを浮かべた。
「……No wonder……俺の帰る場所は、お前の元に決まってるだろ……?」
政宗は身体を捩ると、小十郎の顔を上げさせ、彼の首に腕を回した。
「お前は、俺の物だからな…俺が離さねぇよ…」
そうして政宗は、小十郎に口付けた。
数回啄むように唇を食み、ゆっくりと離すと、政宗はそのまま頬を撫でるように唇を滑らせた。
腕を解き、小十郎の首筋まで唇を落とした政宗は、ゆるりと口を開き、彼の首筋に歯を立て噛み付いた。
「っっ…!」
突然の痛みに小十郎は声を漏らす。
政宗は今しがた噛みついたその場所をぺろりと舐め、身体を離した。
「印、だ」
そう紡ぎ、政宗は小十郎と視線を絡ませる。
「お前に、俺の物だって印を付けた」
「政宗様…」
政宗は小十郎の髪に触れると、いつもされているように優しく撫でた。
「いつもと逆だな」
そう言って笑みを浮かべれば、小十郎はほんの少し困ったような色の混ざった微笑みを政宗に向けた。
「面目ございませぬ…」
きっと、月華の所為だ、と。
そう胸の中で小十郎は呟いた。
自分は満月の月華に、呑まれてしまったのだ。
「…命に代えてもその背中は小十郎がお守りすると…そう誓っておりましたのに…小十郎がこのような事で惑わされるようでは竜の右目の二つ名を語る資格もございませぬな…」
「何言ってやがる…俺の背中を守れるのは後にも先にもお前しか居ねぇよ。お前以外、俺は認めねぇ」
政宗は、先程小十郎の首筋に刻み付けた歯形をするりと指でなぞった。
「この印、忘れんじゃ無ぇぞ」
「…御意」
その小十郎の言葉に、政宗は薄く微笑う。
そうして再び自分の背を小十郎の胸に預け、静かに瞳を閉じた。
首筋に刻まれた竜の印の熱は、じわりと染み込むように小十郎の中に広がった。
Fin