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urban guitar sayonara

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駅に着いたのは丁度午後六時だった。
この時間帯はもっと家路を急ぐ人でごった返していたような気がしたのに。
人通りまばらな駅前通りを抜けて、押しボタン式信号の「止まります」ボタンを押して、携帯のカレンダーを開いて、今日は祝日だったことをやっと理解する。
今日は何曜日で、後何日で週末で、いつが祝祭日で。
毎日毎日カレンダーやら朝のニュースやらでそんな当たり前の情報は常に受け取っているというのに、なのにそれをすっぽりと忘れてしまうのは、この街を出てからはごくありふれたことだった。
だからと言って特に困ることなどそうそう無い。
別に無いのだけれど、けれど、それにほんの僅かだけ焦りを感じたことは、ある。
少しずつ、少しずつ、日々はなだらかに舗装されていく。
平穏と惰性に固められたその繰り返しを良いと取るか悪いと取るか、それは恐らく人それぞれであろうけれど、少なくとも音楽を生業として生きようと決めていた人間にとっては迷うことなく後者であろう。
だからこそ、自分はここに帰ってきたのだ。
ごった返す人の群れも弾けるような音の群れもけばけばしい光の洪水も無い、ただ長い灰色の坂道が続く、この街へ。


そう簡単に成功するなんて、露ほども思っちゃいなかった。
あのパーティーに招かれたという後ろ盾があろうとも、東京と言う街がそれだけでどうにかなるような甘っちょろい場所であるなんて、そんなことずっと前から分かっているつもりだった。
それでも、そうだと分かっていても、幾つかのアルバイトと月に数回のバンド練習と客の疎らなライブをがむしゃらに繰り返して、ただそれだけで過ぎた五年の歳月は思った以上に重苦しくて、さして頑丈でもないこの心をへし折るには十分だった。
金なんて勿論無いし歌にしないとやりきれないようなこみ上げるものも今更ある筈無い。
殆どの荷物は既に実家に送ったので今持っているのはショルダーバッグ一つ分と手に持ったギター一つだけ。
とても身軽だったし、空っぽだった。
とりあえず真っ直ぐには歩けたから、ずんずんとかつての通学路を歩いた。
遠き山に日は落ちての旋律がうすぼんやりと響いては木霊の様に響いて消えてを繰り返している。


「あ」


懐かしい声を聞いたのは、家まで後十分少々の所だった。
上り坂の終点、小さな夜空と混ざって赤黒く染まった夕日を背負い首を傾げる、彼女。
らしき、人。


ナカジくん
ナカジくんだあ
久しぶり
こっち帰ってたんだねえ


きゃあきゃあと心から自分なんぞとの再会を喜んでくれるその高い声も、笑顔も、皆同じだった。
今更身長だってお互い伸びたり縮んだりもしないから、目線だってそのままで。
変わらない風景に変わらない声に変わらない自分に。
だから、どうしても。


「……髪」
「あ、これ?」


びっくりした?
そう言って笑ってくるくると二つ結びの片一方を指で弄ぶ。
その指に絡みつくのは自分がよく知っていた混じり気の無い真っ黒では無かった。
何度ブリーチをかけたのか、ぱさぱさでツヤの無い金色らしき薄汚れた色の髪。
きっと触れればビニールとかプラスチックみたいなつるりとした感じなのだろう。
幼い頃遊びに行った従姉妹の家の玩具箱の中に突っ込んであったバービー人形を思い出させる色。
けれど彼女の顔はあんまりにも日本人過ぎて、白いシャツに紺のカーディガンというテレビに出てくる病院の婦長みたいな格好も相俟って、すこぶる、似合っていなかった。
何だか面食らってしまって、そのまま、吃驚したと返すと、五年前から変わらない笑顔でやっぱり彼女は笑った。

「……何時頃から染めた」
「あー、大学入ってすぐかなあ。知らない人ばっかりで、皆おしゃれで可愛くて、ああ、私も頑張らなくちゃって、でね、思い切ってやっちゃった」
「で、お洒落か? それで?」
「あはは、相変わらず厳しいなあ、ナカジ君は」


相変わらず笑っている。
彼女は笑っている。
けれど夕日は落ちて夜になる。
ずるずると、夜に引きずりこまれていく。


「頑張ったよ、多分、ナカジ君とかタロ君とかが頑張ってることに比べれはどうってことないことかもしれないけど、そんなどうってことないこと、頑張ったよ。講義とか、アルバイトとか、後色々。頑張ったんだよ。ホントだよ。……でもね、無理でした。私何を頑張ってるのか、分からなくなっちゃいました」


底抜けに明るい声で、何かの劇の台詞みたく言葉はつらつら紡がれた。
大学を辞めた、家に戻った、ずっと部屋に閉じこもった、しばらくして耐え切れなくなってバイトを始めた、でも髪は戻さない。
どうして。――似合わないのに。
本音を隠しもせずに言うと、答えはすぐ返ってきた。
だって、今更元に戻したって意味なんか無いもの。


「別に、今更も糞も無いだろ」
「あるよ」
「無い」
「じゃあ、例えば、私が今髪を黒くしたら、ナカジ君は可愛いって言ってくれるの?」


その言葉に思わずまじまじと目の前の彼女の顔を遠慮なく見つめてしまう。
そして何も言えない自分が、正直過ぎて歯がゆくて、どうすればいい。
髪を染めたって、あの高校の制服に臙脂のジャージを着込んでみたって。
唇を歪めてゴムの様に笑う彼女は、もう自分の記憶の中で笑っていた彼女とは、どうにも違うのだから。


「ね、そんなものだよ」


そうだ、そういうものなのだ。
自分だって、こんなにも胸の中で渦巻く何かを、今はもう歌にして吐き出すことなんか出来ない。
どうすればいい、どうすればいい。
手の中で何かを握り締めようとして、でももうその指先もまるで血が通っていないかのように動かなくて。
そして『何か』は、つるんと滑り落ちて、音も無く割れた。


何も変わらない街。
薄暗い夜が落ちた長い長いアスファルトの坂の上。まだ、二つの影法師は動けないままでいる。
作品名:urban guitar sayonara 作家名:チハヤトキ