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手を伸ばして、そして彼は。2

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 あの時、彼は確かに、自分に通信を寄越した。

 あの時、彼は確かに、声を発して、そうして自分を送り出したのに。





「意識不明の重体ってどういうことですか!!だって確かに今日の朝、彼は僕と話して……」
 ベッドから飛び起きたバーナビーを医師が手で制する。
「あなたも重症患者なんですから、大人しくしてください。――えぇ確かに彼は今日の朝、奇跡的に目覚めました。あなたに伝えたい事がある――そういってそのバンドを要求し、そうしてあなたに通信した。――通信が切れると同時に意識を失いました」
 医師は淡々と手元のカルテを読み上げる。
 ワイルドタイガー……鏑木・T・虎徹は搬送後緊急手術。5時に手術室からICUに移動。この時麻酔がまだ効いている時間なのに覚醒、緊急連絡を行いたいと搬送時腕につけていたリングを要求。
 バーナビー・ブルックス・Jrと3分ほどの通信を行い、その後再び意識喪失。現在に至る。
 体の酷い裂傷及び骨折多数。
 現在、小康状態を保っているが意識不明の重体。

「なんで……なんでこんなっ……」
『いいか、バーナビー。アイツは……だから。いいか、無茶するなよ。お前がいなくなったら泣く人間がいることを忘れるな』
 最後に聞いたあの助言のおかげで、バーナビーは辛くもウロボロスを制する事が出来た。病院に担ぎ込まれれば、「おじさん」が傷だらけになりながらも笑って迎えてくれると、そう思っていた。
「だって話してたじゃないか、生きてたじゃないか!!」
 頬を涙が伝う。握った手はいつものように握り返してくれる事はなかった。

 ただずっと、枕元から離れないバーナビーを見て、病院と会社は2人部屋の病室を用意した。英雄であるバーナビーに取材要請が殺到していたが、怪我を理由にアポロンメディアはそれを断った。
 実際バーナビーの怪我も右腕の骨折を始め、重症に値するものだったのだから。

 朝起きると、バーナビーは自分のベッドから起きて、隣の虎徹のベッドの枕元にある椅子に座る。ただ、彼を眺めているだけだけれども、息をしていることを確認できるだけでよかった。
 部屋には虎徹のつけている機械の規則的な音だけが響いている。

 3日目の朝、泣きそうな少女と心配そうな年配の女性がこの病室を訪れた。少女はベッドの脇に座っていたバーナビーを見て驚いたものの、その横で青い顔で寝ている父を見て、涙を堪えきれずに溢れさせた。
「おとうさんっ!どうしておとうさんが……!!」
 枕元のパイプ椅子を彼女に譲る。のそりと自分のベッドに戻ると、年配の女性が手伝ってくれた。
「……処置は全て済んでいるそうです。後は本人の気力次第だと聞きました」
 どこまで知っているのかと言いよどむバーナビーを見て、彼の母親はやんわりと笑った。そしてそっと口元に人差し指を置いて、後ろの孫娘を見る。
「虎徹から……息子から聞いています。今はバーナビーさんとお仕事をしていらっしゃったんですね」
「――お父さん、仕事の事ぜんぜん教えてくれないの。アポロンメディアに勤めてる事しか教えてくれなくて。バーナビーさんのことも今日始めて一緒に仕事してるんだって知ったんだよ、私。いつかは助けてくれてありがとうございました」
 真っ赤な目をそのままに、少女はそれでも頭を下げた。
 ぼんやりとその表情を見て、ようやく彼女と会った事があると思い出す。巨像に潰されそうになった彼女を、確かにバーナビーは助けていた。あの時虎徹が言った『ありがとう』の意味がようやく理解できる。
「……君が彼の娘さんだったんだね」
 羨ましくて、嫉妬した、彼の最愛の娘。
「……お父さんは、どうなるの?」
「……きっと眼を覚ますよ。だって彼はまだ僕が勝ったことを知らない」
 そうだ、彼は結果をまだ知らない。
 ジェイクの弱点を教えてくれて、ありがとうといわなければ。信用していなかったのかと苛立ちをぶつけた事もまだ謝っていない。彼の笑顔を、もう随分と見ていない。

 名残惜しそうに、二人は帰っていった。バーナビーがこの病室にいるということもあり、この部屋は厳戒態勢が引かれている。二人に申し訳なく思うと同時に、二人の空間が壊されなくて、心の端でバーナビーは安堵した。

 二人が去って、ドアの鍵が閉まったのを確認して、バーナビーはするりとベッドから降りた。
 さっきまで彼の娘が握っていたその手を両手で包み込むように握って、その手の甲を縋りつくように額につける。


「おじさん、早く起きてくださいよ。あなたに話したいことが沢山あるんですよ」

 まだあなたに伝えていない事がたくさんある。
 
 僕はもう、子供ではなくて、一人の男として、あなたの眼に映ることが出来るでしょうか?






 *****








 子供が泣いている。
 
 子供が二人、一人は大事な大事な愛娘。
 もう一人は、生意気なあの大きな子供の面影を残す少年。
 だから夢だと気づいた。

 泣きやんで欲しくて、二人まとめて抱きしめる。
 娘は胸に縋って泣いたけれども、その隣にいる少年はただただ静かに涙を流しているだけだった。
『泣けよ、泣きたいんだろ』
 うりうりと眦に指を押し付けると、ぶわっとその綺麗な顔がゆがむ。首にかじりついて声を上げて泣く少年の背中をぽんぽんと叩いた。
 大人になろうとしなくていいんだよ。大人だって、俺だってまだ子供のままだ。娘がいるから辛うじて親という大人の仮面を被れているだけで。
『おまえはまだ、子供のままでいいんだよ』
 大人でいた、子供の頃の分まで全部甘えればいいんだ。







 
 *****








 手になにか濡れた感触がした。
 ふわりと手に触る何かは覚えのある柔らかさ。
「……バニーちゃん……?」
 ちいさな、ちいさな吐息のような呼びかけだった。
「……っ!!」
 一瞬幻聴かと思った。だってずっと頭の中に響いている声だったから。ガバリと顔を上げてみれば、その顔は微かにこちらに傾いて、うっすらと目を、その甘い琥珀色の瞳が覗いていた。
「っ……!!」
 その事実に気づいた途端、ぶわりと視界が滲む。
 ただ、固まって自分を見ながら声も出さずに号泣するバーナビーを見て、虎徹が苦笑した。
「馬鹿だなぁ、お前。声出して泣けよ」
 夢の少年みたいにただ涙を流すだけのバーナビーの頭をぽん、と叩いた。それだけで身体は軋むように痛かったけれども。今のバーナビーにはソレが必要だと、ただ漠然と思ったから。
「っ、だれっのっ……せいですかっ……!!」
 ただ見つめてぽんぽんと頭を撫でるように叩くと、今度こそバーナビーはベッドに突っ伏して、なき始めた。
 夢と一緒だなぁと思いつつ、バーナビーが泣き止むまで虎徹はその柔らかな髪を撫でていた。