鳴らない電話
共に異界へと足を踏み入れ、神佑地での戦闘を経て戻って後――。
ぼろぼろになっていたはずの正守は、元気な声で電話をかけて寄越した。異界に入る前に手渡されたもので、異界から出て後兄を呼び戻したものでもある。
『や、元気?』
登校途中の並木道で、どこか罪悪感に似たものを感じながら歩きながら通話を続ける。
「元気?なわけねーだろ馬鹿兄貴」
風の噂に、件の神佑地は正守が平定したと聞いてはいたものの、自分以上に満身創痍だったはずの正守が、何故こんなにも元気なのかが良守には不思議なくらいだった。
「まだあちこち痛えし、つーか兄貴はなんでそんな元気なんだよ」
『まぁ方法は色々あるからね』
電話の向こうで含み笑う気配がする。なんだか勘に触って、つっけんどんに言った。
「とにかくもう、ああいう無茶は禁止な!」
『なに、気ぃ使ってくれちゃってんの?』
「俺も無事じゃなかったろーが!」
『――それは本当に悪かったと思ってるよ』
正守は殊勝にも謝意を告げた。なんだか調子が狂う。
「無茶するなら……また、俺も連れてけよ」
その良守の声を聞いた電話の向こうの正守は、おどけた声ではあるが、その内容は良守を傷つけるに充分だった。
『俺とお前じゃ、住む世界が違うんだよ。いい加減気づけ』
――気づきたくない、そんなこと。
『俺は夜を行く。お前は日の当たる場所にいろ』
――烏森での任務だって夜なのに、どうして。
『そしたら俺は安心してられるんだよ』
――そんな風に言われたら、納得せざるを得ないだろう。馬鹿兄貴。
『わかったな?』
もう一度念を押されて、良守は黙り込む。だがすぐに沈黙に耐えきれなくなる。
「わかったよ、この馬鹿兄貴!」
そして受話器を叩きつけようとして、今使っている電話はそういう使い方をするものではないと思い至って、そろそろと通話を切る。
受話器の向こうで正守がどんな顔をしているのか、考えるのも嫌だった。
「どうしても、分かりあえないってのかよ……」
もう鳴らない電話を握りしめながら、それでも心の中で叫び続ける。
自分のことなんて、いくら傷つけてもいいから。と。
昼休み。
いつもはよく眠れる場所のはずの屋上にいて、良守は携帯電話を眺めていた。
いつからだろう。
いつの間にか、電話を待つだけの自分になった。不思議なものだ。手のひらに収まるサイズの小さな電化製品、これ一台だけでいつでもすぐに繋がることができるというのに、持ち歩くようになる前よりずっと寂しくなるなんて。
耐えきれず溜息をつくと、良守の視界に人影が現れた。
「なーに、思春期?いやらしい」
良守の溜息を見ていたらしい、閃がこちらにやって来る。
「なんでいやらしいって事になるんだよ!?」
「いかがわしいこと考えてたんじゃないの?携帯でエロサイトでも見てさー」
「ちげーよ!」
言い合いながらも良守の隣に閃も寝転がる。
「なんかあったのかよ?」
その声に少なからず労いの声音が含まれていて、良守も素直な気持ちになる。
「なんつーか……苦しい」
「うん」
わかるかも、と閃もつぶやく。
「いつ来るかわかんない電話でも、待っちゃうんだよな」
「ま、期待ってのは自分でコントロールするの難しいからな」
「期待ねぇ……そうかも。俺、期待してるんだな」
「だと思うぜ」
閃は良守の言いたいことを理解しているはずはないのだが、それでも的確な合いの手を打ってくる。
「でも離れるなんて考えられない。今のままだと痛いままなのに」
「痛い?」
他にいい言葉が思いつかなかった。心を苛むこの感覚は、痛いとしか形容しようがない。それなのに。
「痛い、けど、気持ちいいってゆーの?」
「うえぇえ!?」
閃が素っ頓狂な声を上げたので、良守は眺めていた携帯電話を取り落としそうになる。
「なに変な声出してんだよ?」
「だってお前、そんなプレイなんて……ノーマルじゃないぞ?」
「プレイ?」
「え、違うの?」
何か思い当たることがあったらしい閃が、ぱたぱたと顔の前で手のひらを振ってみせる。
「無し。いまのナシ。気にしないで。で、痛いのって、どこよ?」
「んー、心、かなぁ……」
確たる答えは最期まで浮かばずに、良守はまた一つ、空に向かって溜息をついた。
<終>