手紙
手紙
裏会にも、女性はいる。そう多くはないが、異能者の出現率に性別は関係ないと言われている。
今日の仕事相手の秘書(のようなことをしている人物)は年の頃二十歳そこそこの快活な女性で、興味本位であることを隠さずに正守に話しかけてきた。
「墨村さん、ですよね。噂は聞いてますよー、その若さで夜行を立ちあげたって、すごくないですかー?」
建物の入り口まで見送りするようにという上司の命令に従って正守を案内しながらも、早口でまくし立てる。
「すごくなんかないよ」
これは謙遜ではなかった。自分の上を行く能力者などいくらでもいるのが、裏会の底深さだ。
「ところでぇ、個人的な質問ですけど、特定の相手はいないんですかー?」
「っ!」
不意打ちだった。思わず立ち止まってしまいそうになって、慌てて早足で再度歩き出す。
「今の反応で分かっちゃいましたー、やっぱり特定の人がいるんですねっ」
「君……」
少々咎めようとも思ったが、くすくすと正守を笑う笑顔はなんだか憎めない。
「そうだね、いるよ、とびきりかわいい子猫が一匹……内緒にしてくれるかい?」
「勿論ですっ!」
びしっと敬礼する姿に、適わないなあ、と正守は頭を掻いた。
「ただいま」
母屋の玄関を開けて声をかけるが、返答はなかった。どうやら皆出払っているらしい。時刻は夕刻を少し回ったあたりで、正守も今夜は戻れないだろうと告げて出かけていたので、仕方がないだろう。
だが出かけるなら出かけるで鍵をかけるべきではないのか。刃鳥に後で相談しようと思いながら自室に向かうと、玄関から声をかけても届かないような奥の廊下で誰かとぶつかった。
「いたっ」
「――閃」
正守に押されるようにして後ろに下がったのは閃だった。
「すいませんっ!あ、おかえりなさい、頭領。ちょうどよかった」
「ん?」
正守より低い目線から上目遣いに見つめる姿は、自分で言ったとはいえ本当に人なつこい子猫のようで、ひそかに胸が昂揚する。
「この手紙を頭領に渡してくれってさっき来た客人に頼まれて」
閃は手に持っていた封筒を正守に渡す。正守は蝋で封を施されたそれをその場で開く。
「……ふうん」
手紙の内容は正守に来訪を促す裏会調査室からの召喚文だった。とある神佑地を空間支配系能力者に見て貰いたいと書いてある。
「いいんですか、俺の前で開けたりして」
「ん、平気。簡単なお仕事の手紙だよ。それより」
いったん言葉を切ると、手紙を懐に入れて正守は閃の身体を引き寄せた。
抗う暇もなく、閃の軽い身体は正守にいいように抱き寄せられた。
「他に誰もいないんだよな?」
そう呟きながら、正守が閃の顔に自分の顔を近づけてくる。
「っ!」
驚いて硬直してしまった所に、キスが施される。
それは呼吸ごと貪られるような接吻だった。
「……んっ」
途端に頭がくらくらしてきて、咄嗟に正守の袖を掴む。正守はそれに気付いてふっと笑うと、また舌で、唇で閃を嬲る。
――いけない。
「もうやめて、……ん」
このままでは、溺れてしまう。
今日は何故かそれが恐ろしいもののように感じられた。
「足りないか?」
「そういう問題じゃ――」
いや、足りない、と思い返す。けれど。
「……足りないです……たぶん」
足りないのは愛されているという実感。
今の自分には正守に身体を預けることで確かめるしか術はない。そのことが哀しい。
それを知りながらいつものように正守に身体を投げ出そうとしたのだったが。
「……?」
正守が奇妙な顔をして自分を見ていることに気付いた。
「どうしました?俺なら別に――」
「素直なのはいいことだが、顔に嫌だって書いてあるぞ、子猫ちゃん」
「!?」
衝撃を受ける閃を正守は優しくひきはがす。
「何を考えていた」
「特には何も……」
「本当に、顔に出るな、お前は。俺が信用できないか」
「ちが……」
違うのだろうか。本当に?
自分は身だけでなく心をも含んだ全てをこの人に預けることが、できているだろうか?
それきり閃は押し黙った。どんなに考えても、いい言葉は見つからなかった。
心の中で正守は溜息をつく。
近頃閃は時折こんな顔をする。迷子になった子猫のような顔だ。
それも、二人きりでいる時だけだから、自分が原因なのだろうとは思う。
正直心当たりが多すぎてわからないと言いたいところなのだが、不安なのだろうということだけは伝わってくる。
「閃。お前、自分の足で立っているか?」
「え?」
「誰かに無条件で頼ったりしてないか?何も考えず何ものかに縋ったりはしてないか?」
「それは……」
閃が落ち尽きなく視線を彷徨わせる。顎を掴んで自分の方を向けたい衝動を抑えながら正守は言葉を続けた。
「自分の頭で考えて、自分の足で立ってないと、心の置き場所を失うぞ」
「心の……置き場所」
「今のお前は、それを無くしかけてるように見える」
「!!」
閃が大きな目をさらに見開く。どうやら当たらずとも遠からず、だったらしい。
「……頭領は」
ふっ、と閃が身体の力を抜いたのが伝わってきた。
「どうしてそんな、俺の考えていることまでわかるんですか」
「年の功かな?」
「はぐらかさないでください」
別に、心が読めるわけでもない自分が、閃の考えていることを分かるわけではない。
ただ心当たりがあっただけだ。
「俺も同じ気持ちだからだよ」
未来の見えない関係。身体が繋がっている時だけの成就。
二人でいる時間が長くなるほどに、一人でいる時間が長く感じるようになってきて。
いつの間にわがままになってしまったのだろうかと己を見直しては寂しさだけが募っていく。
「こんな、稚児みたいな扱いをして、まだ若い青少年に疵をつけてしまったからな」
「疵だなんて――」
「俺は最初から考えたことさえないけどさ、お前には普通に可愛い子と恋愛して幸せになるっていう未来が――」
「やめてください!」
思いがけず強い口調で言われて閃の顔を見ると、痛いくらいまっすぐに正守を凝視している。
「夜行に残ると決めた時から、俺の未来は夜行の未来と繋がってます。その夜行を率いるのは頭領です。だから俺は、頭領とずっと……そのつもりで……」
ひとつ息をつくと、そうか、と閃はつぶやいた。
「――何を迷ってたんだろう、俺――俺は、頭領に何があっても、夜行の一員です。たとえば頭領が結婚したとしても、誰にも話さずに祝福してみせますよ」
そう一気に告げた閃の顔は晴れ晴れとしていて、正守には少し眩しいくらいだった。
「そうか」
嬉しさをどう伝えるか考えあぐねて、閃の頭に手を載せるとその頭を優しく撫でた。
「俺も、誰にも言うつもりもないし、お前を手放すつもりもないよ」
「はい」
閃は大きく頷く。
「それでいいんです。それだけで、俺」
ふと気付くと閃が正守の袖を握っている。正守は渾身の力を込めて閃を強く抱き寄せた。
「頭領?」
「不安にさせて、悪かった」
「いえ。俺が一人で悩んでいただけですから……それより頭領、手紙が」
「ん」
裏会にも、女性はいる。そう多くはないが、異能者の出現率に性別は関係ないと言われている。
今日の仕事相手の秘書(のようなことをしている人物)は年の頃二十歳そこそこの快活な女性で、興味本位であることを隠さずに正守に話しかけてきた。
「墨村さん、ですよね。噂は聞いてますよー、その若さで夜行を立ちあげたって、すごくないですかー?」
建物の入り口まで見送りするようにという上司の命令に従って正守を案内しながらも、早口でまくし立てる。
「すごくなんかないよ」
これは謙遜ではなかった。自分の上を行く能力者などいくらでもいるのが、裏会の底深さだ。
「ところでぇ、個人的な質問ですけど、特定の相手はいないんですかー?」
「っ!」
不意打ちだった。思わず立ち止まってしまいそうになって、慌てて早足で再度歩き出す。
「今の反応で分かっちゃいましたー、やっぱり特定の人がいるんですねっ」
「君……」
少々咎めようとも思ったが、くすくすと正守を笑う笑顔はなんだか憎めない。
「そうだね、いるよ、とびきりかわいい子猫が一匹……内緒にしてくれるかい?」
「勿論ですっ!」
びしっと敬礼する姿に、適わないなあ、と正守は頭を掻いた。
「ただいま」
母屋の玄関を開けて声をかけるが、返答はなかった。どうやら皆出払っているらしい。時刻は夕刻を少し回ったあたりで、正守も今夜は戻れないだろうと告げて出かけていたので、仕方がないだろう。
だが出かけるなら出かけるで鍵をかけるべきではないのか。刃鳥に後で相談しようと思いながら自室に向かうと、玄関から声をかけても届かないような奥の廊下で誰かとぶつかった。
「いたっ」
「――閃」
正守に押されるようにして後ろに下がったのは閃だった。
「すいませんっ!あ、おかえりなさい、頭領。ちょうどよかった」
「ん?」
正守より低い目線から上目遣いに見つめる姿は、自分で言ったとはいえ本当に人なつこい子猫のようで、ひそかに胸が昂揚する。
「この手紙を頭領に渡してくれってさっき来た客人に頼まれて」
閃は手に持っていた封筒を正守に渡す。正守は蝋で封を施されたそれをその場で開く。
「……ふうん」
手紙の内容は正守に来訪を促す裏会調査室からの召喚文だった。とある神佑地を空間支配系能力者に見て貰いたいと書いてある。
「いいんですか、俺の前で開けたりして」
「ん、平気。簡単なお仕事の手紙だよ。それより」
いったん言葉を切ると、手紙を懐に入れて正守は閃の身体を引き寄せた。
抗う暇もなく、閃の軽い身体は正守にいいように抱き寄せられた。
「他に誰もいないんだよな?」
そう呟きながら、正守が閃の顔に自分の顔を近づけてくる。
「っ!」
驚いて硬直してしまった所に、キスが施される。
それは呼吸ごと貪られるような接吻だった。
「……んっ」
途端に頭がくらくらしてきて、咄嗟に正守の袖を掴む。正守はそれに気付いてふっと笑うと、また舌で、唇で閃を嬲る。
――いけない。
「もうやめて、……ん」
このままでは、溺れてしまう。
今日は何故かそれが恐ろしいもののように感じられた。
「足りないか?」
「そういう問題じゃ――」
いや、足りない、と思い返す。けれど。
「……足りないです……たぶん」
足りないのは愛されているという実感。
今の自分には正守に身体を預けることで確かめるしか術はない。そのことが哀しい。
それを知りながらいつものように正守に身体を投げ出そうとしたのだったが。
「……?」
正守が奇妙な顔をして自分を見ていることに気付いた。
「どうしました?俺なら別に――」
「素直なのはいいことだが、顔に嫌だって書いてあるぞ、子猫ちゃん」
「!?」
衝撃を受ける閃を正守は優しくひきはがす。
「何を考えていた」
「特には何も……」
「本当に、顔に出るな、お前は。俺が信用できないか」
「ちが……」
違うのだろうか。本当に?
自分は身だけでなく心をも含んだ全てをこの人に預けることが、できているだろうか?
それきり閃は押し黙った。どんなに考えても、いい言葉は見つからなかった。
心の中で正守は溜息をつく。
近頃閃は時折こんな顔をする。迷子になった子猫のような顔だ。
それも、二人きりでいる時だけだから、自分が原因なのだろうとは思う。
正直心当たりが多すぎてわからないと言いたいところなのだが、不安なのだろうということだけは伝わってくる。
「閃。お前、自分の足で立っているか?」
「え?」
「誰かに無条件で頼ったりしてないか?何も考えず何ものかに縋ったりはしてないか?」
「それは……」
閃が落ち尽きなく視線を彷徨わせる。顎を掴んで自分の方を向けたい衝動を抑えながら正守は言葉を続けた。
「自分の頭で考えて、自分の足で立ってないと、心の置き場所を失うぞ」
「心の……置き場所」
「今のお前は、それを無くしかけてるように見える」
「!!」
閃が大きな目をさらに見開く。どうやら当たらずとも遠からず、だったらしい。
「……頭領は」
ふっ、と閃が身体の力を抜いたのが伝わってきた。
「どうしてそんな、俺の考えていることまでわかるんですか」
「年の功かな?」
「はぐらかさないでください」
別に、心が読めるわけでもない自分が、閃の考えていることを分かるわけではない。
ただ心当たりがあっただけだ。
「俺も同じ気持ちだからだよ」
未来の見えない関係。身体が繋がっている時だけの成就。
二人でいる時間が長くなるほどに、一人でいる時間が長く感じるようになってきて。
いつの間にわがままになってしまったのだろうかと己を見直しては寂しさだけが募っていく。
「こんな、稚児みたいな扱いをして、まだ若い青少年に疵をつけてしまったからな」
「疵だなんて――」
「俺は最初から考えたことさえないけどさ、お前には普通に可愛い子と恋愛して幸せになるっていう未来が――」
「やめてください!」
思いがけず強い口調で言われて閃の顔を見ると、痛いくらいまっすぐに正守を凝視している。
「夜行に残ると決めた時から、俺の未来は夜行の未来と繋がってます。その夜行を率いるのは頭領です。だから俺は、頭領とずっと……そのつもりで……」
ひとつ息をつくと、そうか、と閃はつぶやいた。
「――何を迷ってたんだろう、俺――俺は、頭領に何があっても、夜行の一員です。たとえば頭領が結婚したとしても、誰にも話さずに祝福してみせますよ」
そう一気に告げた閃の顔は晴れ晴れとしていて、正守には少し眩しいくらいだった。
「そうか」
嬉しさをどう伝えるか考えあぐねて、閃の頭に手を載せるとその頭を優しく撫でた。
「俺も、誰にも言うつもりもないし、お前を手放すつもりもないよ」
「はい」
閃は大きく頷く。
「それでいいんです。それだけで、俺」
ふと気付くと閃が正守の袖を握っている。正守は渾身の力を込めて閃を強く抱き寄せた。
「頭領?」
「不安にさせて、悪かった」
「いえ。俺が一人で悩んでいただけですから……それより頭領、手紙が」
「ん」