非水溶性の火と泥と
「あーあ、可哀相に」
ガラン、とした廃工場内に場違いな声が響く。可哀相と言いながらその声には欠片の同情すら含まれていないと思え、事実、声の主は入口に佇んで嘲笑っていた。
「君なんかに興味を示すからこうなるんだよ。俺は人間を愛するものとして、彼等に同情を禁じえない」
黒いコートの男はそこそこ広い空間を見渡して白々しく言葉を吐く。
「まあ自業自得って言えばそれまでだけど」
「ええ、自業自得です」
その言葉を切り捨てるように肯定して、少年は眺めていたファイルをパタリ、と閉じた。
「情状酌量の余地なく自業自得です。僕に喧嘩を売った彼等が悪いんです」
少年の周囲には複数の人間が倒れ伏し、少年は言葉通り何の感情もない眼で彼等を見ていたが、一度瞼を伏せると冷えた視線で男を睨めつけた。
「ついでに人畜有害でありながら未だに死んでない貴方も悪いです。世界に土下座してから死んで下さい」
「それは理不尽って言うんだよ」
少年はファイルを鞄にしまうと入れ替わりにライターと方陣の書かれた紙を手に取る。
「でもまあ、君くらいならまだ可愛気があるよね」
「そうですね、貴方くらいになるともう早く死んでくれと呪うしか出来ませんから」
男はポケットに両手を突っ込み、足でトントン、と地面を叩く。
「ははッ、可愛くない」
「結構です」
言い捨てた少年が紙に火を着けドラム缶へ放り込めばそこから炎が噴き上がる。彼は迷うことなくその中に手を入れるがその手は焼かれることなく、炎から蟲とも獣ともつかない何かが飛び出しては男へと突進していく。
「今日こそ始末させて貰います、外道遣い」
「冗談だろ、悪魔モドキなんかに」
トントン、と規則的に足元を叩いていた男が、ガッ、と地を蹴りつけるや泥とも蠕虫ともつかない何かが生えてくる。それは目も鼻もない面についた口をガバリと開いて炎から出た使い魔を呑み込もうと崩れかかっている体を蠢かせた。
悪魔モドキである竜ヶ峰帝人と、外道遣いである折原臨也が顔を合わせる度に一戦交える由は帝人の持つファイルにある。
そのファイルには所有者が今まで対峙してきた人間の最も大切なものがカードとして収められている。1人につき1枚で具象化されているそれは、ファイルの持ち主がカードを裂けばその人間の中から抹消され、程度によっては廃人となる危険な代物だ。子供が安易に持ち歩いて良いものではないだろうがファイルは帝人の手にあり、事実上にしても書面上にしても、彼がファイルの正当な所持者であることに変わりはない。ただ帝人の前、本来の所持者は正真正銘の悪魔であり、所有者が人間であってもファイルは人知を超えている。現在の所有者である帝人はそれを濫用することはないが身の危険が迫れば使うことに躊躇はない。実際的にも少なからず犠牲者は出ている。
人間を愛し、その歪んだ愛を以って他者を陥れる臨也にとってそのファイルは酷く気に食わない。
使い魔は許容出来る。彼が外道を使役していることもあるが、ただの人間でも家畜やら愛玩やらで他の生物を何かしらに使う、それと大差ない。しかし件のファイルは違う。他者の精神を侵犯し、蹂躙する。それが人の手によるなら臨也に言えることは何一つなかったのだが、人外のそれだというなら黙ってはいられない。彼なりに人間への愛を貫くならばファイルは邪魔な存在だ、消えて貰いたい。しかし帝人は自分を害する者に容赦がなく、それは彼の所有物にも適用されるために彼は全力で反撃する。
「魔女になり損ねた分際でこの世にしがみついてるんじゃないよ、いい加減に地獄へ堕ちろ」
「魔術師になれた可能性だってあります。貴方こそ腐れ外道の分際で外道遣いなんておこがましいですよ、死んで詫びて下さい」
初戦は彼が上京してきてすぐ、以来、勝敗が着かず今日に至る。