タナトスへの幻想
いつもの優しい笑みではなく、そこにはまるで感情をすべて削ぎ落としたかのような顔をしたアレンくんがいた。けれどいつもの無理して笑うのよりずっと愛しいと感じて、私は思わず抱きついた。アレンくんは抱き返してはくれなかった。
「この世界は息がしにくい。だめなんです。もう、この腐った世界を見ていられない」
「・・・・・・そう」
悲しかった。私の世界と彼の世界は、大きく意味が異なる。私の世界はとっても狭くて、私が大切だと思ったものだけを詰めたまるで宝箱のような世界だから、息がしにくいなんてことはありえない。
けれど、彼が見ているものは全くちがう。私には彼の苦しみはわからない。でも、アレンくんが世界を拒否するのを見ているのは辛かった。私には彼の世界は視えない。
「できることならば、今すぐ死にたい。この世界とさよならしたい」
震える声でそう言う。私はアレンくんの頭をかき抱いて、その真っ白な髪の毛を優しく梳いた。さらさらと。星が鳴る音がした。
「――いいよ」
「え?」
「私もアレンくんについていく。だから、一緒に死のう?」
私も一緒だから、死んでもいいんだよ。
さて、アレンくんの目には私はどう映っただろう。
アレンくんは信じられないというような目で私を見つめる。けれどそれも一瞬のこと。アレンくんはゆっくりと震える腕を私の首に回した。急所に触れる人の手の温かさが不思議と心地よい。
私は自分がとてもおかしかった。傍から見ればアレンくんに殺されている状況なのに、私の心は風の吹かない湖面のように穏やかなのだ。
そのまま自然と目を閉じられた。少しずつアレンくんの手に力がこもっていくが、痛みは感じず死に現実味がない。
けれど急に力が弱まった。おもむろに瞼を開けると、一筋の涙が流れ落ちるアレンくんが映った。ああ、なんて、きれい。
「だめですよ、リナリー」
「――アレンくん、」
「そんなこと簡単に言っちゃだめです」
じゃないと、僕は本気でリナリーのこと連れて行ってしまうから。
ああ、本当に優しい人。最後にもう一度私に選択を与えてくれる。そんな彼だから、私はアレンくんを好きになった。
私はふわりと微笑んだ。
「私、本気だよ。つれてって、」
最後まで言い終える前に、また首を掴まれる。今度はさっきよりもうんと強い力で。ああ、痛い。苦しい。顔が歪み、涙が溢れてくる。先ほどのあの穏やかな時間が嘘のようだった。本当の死はこんなにも痛くて辛くて――醜い。
でも、でもね、アレンくん。
酸素が足りない身体を無理矢理動かして、右手で彼の左手に触れる。少しだけ力が弱まった気がする。ひゅう、と情けない音がして息を吸い込む。そして微笑んで(いえ、きっと私の顔は醜く歪んでいるだろうけど)囁いた。掠れた、音にもならない言葉で。
私、今、ものすごく満ち足りているのよ。