薔薇の中の薔薇
「樹璃さん」
呼び掛けてみた。陰りをおびた瞳がこちらを向いた。ああ触れたい、と思って、あたしはかわりにあなたの剣に触れた。刀身をだきしめて、飾り気のない柄に唇を寄せると、あなたは睫毛を震わせて、頭をわずかに持ち上げ、口を開いた。
「――」
眉をしかめて、懸命に言葉をつごうとしている。なんだろう。
「なんですか、樹璃さん」
「――わたしは」
ああ、そうですか、あなたの話ですか。
「わたしは、君が思っているような人間ではないよ……これで、よくわかったろう」
「あたしがあなたに何を期待していると思ってたんですか」
あたしの唇はつるりとその言葉を吐き出した。樹璃ははっと目を見開いて口をつぐんだ。
あたしね、この人の好きなところ、それはもうたくさんありますけど、一番はきっと、こんなふうに滑稽なところです。滑稽なところ。この人こんなになってもまだ、自分は美しいって本気で思っている。自分の美しさ正しさを守らなきゃならないって、そう思っているの。こいつが何かにつけあたしに優しくしてみせるのだって、ほんとうはそのせいなんですよ。おめでたい人。それだからあたしは、優秀な庭師のように、伸び放題の樹璃の自尊心を片っ端からつかまえて、絶えず刈り取ってやらなければならないんだわ――
(そうして、間引かれた薔薇は、まえよりもいっそう大きい、綺麗な花をつけるんだ)
あたしはそのことを知っている。
薔薇の中の薔薇。ふと、そんな言葉が思い浮かんだ。
聖母にだってうんと痛い棘があるはずなのだ、それなのに、あなたときたら。
横たわるあなたに歩み寄る。あなたのうるんだ両目を一瞥する。膝をついて、手を伸ばして、胸元をそっと探ってみる。あなたはわずかに身じろいで視線を逸らし、それでも、抵抗はせずに黙ってあたしの手を受け入れた。
そこはやっぱりからっぽだった。かすかに上気した、まっさらな小麦色の肌。あたしのなまっちろい肌とは違って血の通った肌。それからやわらかな肉。ただそれだけ。棘を抜いてやったというのに、ひとつの痕も残っていやしない。みにくい穴がくろぐろと空いていればよかったのに。あるいは棘がまだ何本もそこに生えていて、あたしの指をめちゃくちゃに貫いてくれたらよかったのに。
「樹璃さんは」
あたしの口がまた、つらつらと自動機械のように動く。
「きれいですね」
「――」
あなたが答えるまえに、あたしは立ち上がって、踵を返した。剣をかかえて背筋を伸ばして、まるであなたみたいに颯爽と歩きながら、部屋を出ていった。
あたしこれから闘いに行きます。あなたの棘で人を刺しにいきます。あなたが自分では決してできなかったことを、あたし、やってさしあげます。
あなたのもとへ、あたしがこれを返しにくることは、きっともうないでしょう。
さようなら。
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アルフォンソ10世編纂「聖母マリア頌歌集」第10番「薔薇の中の薔薇」
http://www.youtube.com/watch?v=gmkNDrj4Cr4&feature=channel_video_title
http://faculty.washington.edu/petersen/alfonso/cant10e.htm