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星をなくす日

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2. 幽霊は哲学が好きである




「違うだろう、これじゃない。僕の読みたいのは、この次の号だ」
帰って早々文句が降ってきて、ジョミーは憤慨した。
「あのなぁ……こっちはわざわざ人に訊いてまで、あんたの言う良く分からない本を探してきてやったんだぞ!大体、号なんか指定しなかったじゃないか!」
「こうこう、こういう論文が載っているやつだとちゃんと説明したじゃないか。ほら、ここに次号の紹介が」
「分かるか!」
出来の悪い子供を見るような眼で生温く見つめられ、ジョミーはこの男との会話に早々匙を投げたくなった。
ジョミーが学生で、さらに割合規模の大きい総合大学に通っていることを話すと、突然目を輝かせて、「何々という本があるだろうかあったら借りてきてくれ」と、話を持ちかけてきたのである。
それは哲学のナントカという分野に関する小難しい論文や、研究資料を集めたものらしかったが、専門外であるジョミーにはそんなことさっぱりだった。哲学なぞ入門書の初めに出てきた、目の前の物体が本当に存在するかどうかなんていうわけの分からない話ですぐに嫌いになって、以来興味もないジョミーである。
感謝どころか遠慮すらない反応の後、それでもどこか嬉しそうに、ブルーは分厚いその本を読み始めた。それを見てから、ジョミーは着替えをとりに奥の寝室に向かう。どっと疲れた。結局読むのなら文句なんて言わないでほしいと思う。
そういえば物に触れないとか言ってなかったか、とふと疑問に思ったが、確かほぼというような言い方もしていたような。何かしら条件があるんだろうとジョミーは勝手に納得した。大体あんなに夢中になっていれば、触れてもおかしくない気もする。そもそもあんな不可思議な存在に何を言っても始まらない。ジョミーは存外、大雑把な人間である。
幽霊は哲学が好きなのだろうか。
あの男がきっと変わっているのだと、何となく分かっているのに。そんな、くだらない疑問がぽつんと湧いた。そう疑問を持ってしまったことに、なんとなくさみしさを覚えたのは、どうしてだろう。
感傷を振り払うかのように、ジョミーはてきぱきと着替え始めた。


いつもなら一人で点けっ放しのテレビの音を響かせて過ごす、それなりに心地いい室内が、落ち着かなく感じた。カーペットに直にぺたんと座りこんだジョミーは、知らず膝を抱える。さっき淹れたコーヒーは、冷めてしまってもう美味しくない。
ブルーは隣のソファを陣取っている。きちんとソファに収まっているというのも、変だなとジョミーは思った。ゆらゆらしているくせに。ブルーがたまにページを繰る、かすかな音だけがする。無意識に詰めていた息を、そっと吐き出した。
そんな挙動に気がついたのか、ブルーがちらりと一瞥を寄越した。ジョミーは妙にどきりとしてしまって、その青い目から意図的に視線を外してから、口を開いた。
「あー、……面白い?」
「まぁまぁかな。興味深い論がいくつかある」
苦し紛れの質問だったが、ブルーは生真面目にもしっかりとジョミーに向き直った。
「どうやら暇なようだね」
「う、……まぁ暇だけど」
「学生の本分は勉学だろう?君は家で勉強したりしないのか」
「あ、いや、確かに学生だけど」
「こう言っては何だが、勉強嫌いか落ちこぼれかい?まぁ僕に教授できることなら、協力しても構わないが」
「……色々突っ込みたいけど。何でわざわざ、幽霊に勉強教えてもらわなくちゃならないんだよ」
「それもそうだ」
自分から提案したわりにあっさりと退いて、ブルーは再び紙面に視線を落とした。
今の言い方はちょっと意地が悪かったかとジョミーは思ったが、相手の言葉も面白くない。だからおあいこだとすぐに開き直る。というがこっちが何を勉強しているかも知らないのに、教授とは大きく出たものだ。難しそうな哲学を好むあたり、実はものすごくインテリな奴なのかもしれない。
けれどそれよりも、その淡白な対応が正直不満である。
「なぁ、」
まさにジョミーが呼びかけた時、ブルーの髪がその白磁の顔にはらりと落ちかかった。思わず見惚れる。
「……何だい」
慌てて目を逸らす。
「いやいや、何でもないです」
そんなに面食いだったかなと思わず考えた。
ジョミーは咳払いをしつつ、マグカップを持って立ち上がった。冷めたコーヒーは美味しくないが、勿体ないので熱い牛乳を注いでカフェ・オ・レにしてしまうつもりだった。
どうにも調子が出ない。
仏頂面をするジョミーに対して、ブルーは素知らぬ顔で読書を続けていた。
作品名:星をなくす日 作家名:ぺあ