こらぼでほすと とても先の話
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ある日、突然に亭主が持って帰って来たのは、黒い子猫だった。片目が開いていないし、がりがりに痩せて鳴き声も小さくか細い。雨の中、道路に転がっていたらしい。病院へ連れて行き、看病したら半年もしないうちに、綺麗な黒猫になった。両目も開いて、夜には赤く光るし、しなやかな身体で、ひょいひょいと木も登る敏捷な黒猫だ。
「生きていけるようになったんだから、もう世話しなくてもいいだろう。」
と、亭主は家から追い出そうとしたのだが、どうしても、その黒猫が、今は遠いところにいる子供と重なってできなかった。
「エサ代は、パートでもして稼ぎますから。」 と、反論したら、「そうじゃねぇーだーろ? 寂しいから置いてください、だろ。」 と、笑われた。手のかかるのが居なくなって、すっかり暇になっていた。その穴埋めにするにはいいだろう、と、亭主も考えていたらしい。
四度そんなことがあった。なぜか、うちに来るのは黒猫で、最初のは二十年近く生きた。次のは数年で行方不明になった。その次のは十数年で同じくいなくなった。今のは、まだ三歳で元気な盛りだ。がるっるるるるぅ、と、独特の声を出して、小鳥を狙っている。飛びかかろうと構えたところに、外から声がした。
「ただいま。」
ひょっこりと顔を出したのは、長いこと、遠いところで働いていた子供だ。ようやく、こちらに戻って来て、今は、一年に何度か顔を出してくれる。春だけは、必ず顔を見せて欲しい、と、こちらから頼んでいるので、コブシの花が咲く頃に現れる。それが子供の誕生日に近いからだ。
「おかえり、なんだ? それは。」
「あんたの誕生日祝いだ。今のスタッフも花束と言うからだ。」
大輪の花束を手にした子供は、苦笑しつつ差し出した。今も昔も誕生日の祝いとなると、そういうものが定番であるらしい。
「スタッフとはうまくやってるのか? 」
「ああ、そこそこだ。ティエリアもいるから、意思疎通はスムーズだと思う。しばらく厄介になる。」
「ああ、ゆっくりしていけよ。その格好じゃ、窮屈だろう? 」
そろそろ帰って来るだろうと、こちらも用意していた。新しい服をタンスから取り出して渡した。身体を締め付けるような作りではないから、こちらにいる時は、それを着せている。季節毎に新しいものを用意するのが、密かな楽しみだ。
「また作ったのか? 」
もちろん、子供も気付いている。毎回、新しいのが加わっているからだ。文句は言うが、着替えはする。時間だけはたくさんあるので布を買って、暇をみて縫ったりして作る。慣れれば、それほど難しいものではないし、なかなか楽しい作業だ。
「いいだろ? 最近のは、既製品みたいな出来だぞ? あまり成長しなくなったから、サイズが変わらなくて作るのは楽だ。」
「暇なら仕事でもすればいいだろ? 」
「亭主がいやがるんだよ。まあ、いろいろとやることはあるから暇じゃないんだぜ? 」
着替えた子供の服は、ぴったりだった。お茶でも飲もうか、と、立ち上がりかけたら、庭から黒猫が戻って来た。しっかりと咥えているのは狙っていた小鳥だ。
「お、獲ったのか? 今日は豪勢な食事だな? 」
そう褒めてやったら、俺の足元に、それを置いてニャアと鳴いた。
「え? 俺はいいよ。おまえが食いな? 」
黒猫の頭を撫でてやったら、ニャアと嬉しそうに鳴く。まだ若いから、とても元気だ。四度目の黒猫は、ようやく、昔、黒子猫と呼ばれていた子供と対面できた。
「ここは、本気で弱肉強食だな? 」
「自然だらけだからなあ。コーヒーがいいか? それともお茶か? 冷たいのもあるけど? 」
「冷たい花のお茶がいい。」
「はいはい、おまえさん、あれが好きだな。用意してあるよ。」
奥へ、それを用意するために歩き出したら、黒猫が小鳥を咥えてついてくる。その後から子供もついてくる。
「今からケーキ焼こうな? 」
「そうだな。あんたのケーキは美味い。それから・・・・ありがとう。」
子供は、背後から礼を言う。誕生日と限定しなくて贈り物をしていること、必ず生きていること、子供の帰れる場所であること、それを含めての礼だ。
「おまえこそ、おめでとう。そして、ありがとう。」
「あんたには負ける。」
「あははは・・・俺は、待ってるだけだ。」
先に走っていった黒猫が、台所の床に小鳥を置いて待っていた。俺はいいから、おまえが食べろ、と、説明したら、納得したのか、それを咥えて庭へ飛び出して行った。冷たいジャスミンティーを用意して、縁側に、ふたりして座った。とてもいい天気で暖かい。庭には大木の桜がある。こちらに移り住んだ時に植えたものが、育った姿だ。
「たまには、一緒に特区へでも行かないか? 長いこと、降りてないんだろ?」
「そうでもないぜ。たまに、金襌さんたちと遊びに行ったりするよ? ホームシックにならないようにってさ。ちょっと前に、悟空とアイルランドにも行った。」
「そうか・・・・俺も、ここに来る前にアイルランドに立ち寄ってきた。あそこは変わらないな。」
「まあなあ。・・・・特区まで遠征か・・・・なんかついて来られそうだけど、いいか?」
「クワンタリペアで飛ぶから、ついてくるのは無理だろう。」
「なるほど。なら、行こうか。」
「ああ。」
懐かしい場所は、すでにないのだが、特区は思い出が多い。だから、こんなふうに出かけてみる気になる。すっかり世界は変わったが、完全ではない。だから、子供は現役で働いているし、何かしら組織も動いている。それでも、こんな時間が取れるほどに平和にはなった。しばらくは、こんなふうに続いていくんだろう。
「刹那、今夜、リクエストは? ないって言ったら、ホワイトソースのオムライスを作る。」
「あんた、まだ、そのネタを使うのか? ・・・・いい加減、忘れろ。」
「なんでもいいってばっかり言うからだ。中華でも和食でも洋食でも・・・なんでも、お望み通りだぜ? 」
「・・・・そうだなあ。和食がいい。白い米と味噌汁と、それに合うおかずを頼む。」
「刹那君・・・・それ、肝心のところがリクエストになってないんですが? 」
「メニューがわらないんだから、察しろ。」
「はいはい、和食だな。」
それじゃあ、動きますか? と、俺は立ち上がる。夕方には亭主も帰って来るし、刹那が戻ったことがバレたら、悟空と亭主の上司もやってくるだろう。そうなると、大人数の宴会になる。たまには、いいのだ。ここの生活は穏やかだから、外の風が運ばれてくれば、新鮮だ。
「ニール、俺も手伝う。」
「おう、頼む。」
ふたりして、近況を話し合いながら、台所で作業する。豪勢な食事を平らげてきた黒猫は、盗み食いすることもなく、台所の座布団の上に丸まっていた。
作品名:こらぼでほすと とても先の話 作家名:篠義