二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

りおう 桜花屯にて

INDEX|1ページ/1ページ|

 
その人は、いくつになっても夢見るような眼差しをしている。まるで、遠いどこかが見渡せるように、焦点をぼかしている。穏やかで、春の陽だまりのようにやさしい微笑みを口元に浮かべ、庭に目を遣っている。一面の桜が、うっすらと淡い色になっている。そこが約束の証である。屋敷から見渡せるほどの広大な土地が、その人吉田一彰に送られたものだった。
「心和肝」
 その言葉だけで、十五年、時を刻んだ。心臓を連れ去られてしまったように、その言葉を胸に隠していた。いっときも忘れなかったとは、お世辞にも言えないが、忘れることはなかった。お互い、年を取った分だけ、しがらみも増えていた。それすら、断ち切って、ここに移り住んだ。どちらも、無くしたものがあり、どちらも裏切ってしまったものがある。それでも、約束は忘れなかった。
「一彰、いい加減、僕を見ろ。」
「・・・もう、見飽きた。」
「嘘だな。」
「嘘だよ。」
 背後からきつく抱き締められる。この体温が、自分のものである。あの桜の送り主は、たまに、ここへ戻ってくると、自分の子供と同じように纏い付いている。うるさい、と怒鳴っても意に介さない始末の悪い奴だ。
「ヘイ、耕太が帰るまでにさ。」
「勝手にやってろ。」
「一彰は、最近、冷たいぞ。二ヵ月ぶりだというのに、顔も見てくれない。」
「昨日、さんざん見たからな。」
「はっっ、それぐらいでいいっていうなら、あんたの愛情を疑うね。」
 三十を半ば越えたはずの男とは思えない言葉だ。毎回、うっとおしいほどに、こんな台詞ばかり聞かされる。そして、自分が帰っている間は仕事にも出るな、などと言う。いつから、僕は、おまえの妾になったんだ、と怒鳴ったら、「失礼な、僕にはあんただけなんだぞ。正妻に決まってる。」などとトンチンカンな返事をする。
「離れろ。工場へ行ってくる。」
「・・・ったく、一彰はわがままだ。」
「わがままなのは、おまえだろうがっっ、おまえ。」
 昼飯の休みに戻ったら、いきなりソファに押し倒された。昨晩、子供が一緒だったから断ったことを根に持っていたらしい。まあ、それはいいとして、その後、しつこく纏い付いている、この状態には、さすがに呆れ果てた。
「今日は休め。」
「うるさいっっ。途中でほっぽりだしてあるのに、このまま休めるか。どけっっ。」
「桜並木を歩きたい。」
「ひとりで行け。」
「それじゃあ、意味がない。送ったのに、お礼も言ってくれないのか?」
「言ってやる。『ありがとう』・・・これでいいだろ? とにかく、どけろ。」
「一彰」
「なに?」
「・・・拗ねるぞ・・・」
 段々とバカバカしくなってきて吹き出してしまった。世界と喧嘩している奴の言葉なんだろうか。
「わかった。片付けたら、速攻で戻って、あんたと桜並木まで散歩する。これで妥協してくれ。」
「いいだろう。僕も片付けの監視についていく。・・あんたは、僕のことなんて忘れて旋盤に手を伸ばすだろうからな。」
「勝手にしろ」
「勝手にするさ」
 ふたりして、工場へさっさと向かう。並んで歩くと、嬉しそうに笑いかけてくるこいつを殴ってやろうか、と半分、本気で考えた。本当に後片付けするだけで、工場は後に。歩きたいのは、自分も同じだった。
 かなり散っていたが、花は残っていた。春の夢というには、あまりにも不可思議な夢で、こいつはお告げをしていった。五千本の桜で出迎えよう。確かに出迎えていたのは、桜だけだった。二年近く待って、こいつは戻ってきたのだ。
「やっと、戻った気がしてきたよ、一彰。」
 それから、こいつは戻る度に、散歩をしようと言う。たぶん、それは無事に戻った自分への贈り物なのだろう。並んで歩くのに、十五年以上かけた。忘れてしまおうとして忘れられなかった。足枷をつけたのに、それすら外されてしまった。その約束が二倍かかったとしても、忘れられなかっただろう。一瞬で決めてしまったお互いの存在は、それほどに大きかったのだ。
 同じ時を刻む心臓を互いが持っている。離れても、それは変わらない。ここが、こいつの作り上げた楽園だった。ただ、自分を呼び寄せるために植樹された桜。それら一切をこいつは十五年と多大な犠牲の上に作り上げた。
「李歐、ゆっくりとしていられるのか?」
 だが、その当人は、なかなか居着かない。今だに、世界を相手に喧嘩をしている。ここで休息するだけで、また飛び立ってしまう。
「二週間が限度だ。どうした? 寂しいわけか?」
「そうじゃない。そろそろ、こちらで落ち着いたらどうなんだ?」
「まだ先だ。やっぱり寂しいんだろう、一彰。」
「そうじゃない。あんたの居場所なのに、戻っても二週間しか居られないなんていうのは、おかしいって言うんだ。」
「今のところは仕方がない。いろいろとやりたいことがあるんだ。・・・それに、ここは一彰がいるから、それでいい。あんたがここにいる。僕がいなくてもあんたがいれば、同じことさ。」
 同じ時を刻む。だから、離れていても変わらない。こうやって、一年に何度か顔を合わせるだけでも十分だ。焦りも嫉妬もない。そんなものは最初からなかった。そんな感情が割り込む余地のないほどに深く結びついていた。
 一陣の風に桜が舞い上がる。人目など気にしないこいつは、ゆっくりと唇を寄せて、「心和肝」と囁いた。
「言う必要もない」
「そうだな」
 また、ゆっくりと歩き始める。並ぶことで、ようやく互いの存在を確認することができる。離れても寂しいとは思わない。自分の心臓が動いている限り、こいつの心臓も動いている。
「一彰、明日から仕事は休め。」
「また、それか?」
「寂しいんなら、相手をしてくれ。」
「寂しい? それは、あんたのほうだろう。耕太がいるから相手をしてもらえ。」
「耕太とも遊びたいが、あんたとも一緒にいたい。」
「僕は仕事がある。」
「仕事と僕と、どちらが優先?」
「そりゃ、仕事だろうな。あんたは帰ってくるし、勝手に歩いて僕の傍に来るんだ。機械は整備してやらないと動かなくなる。・・・拗ねて厄介なのは機械のほうだ。」
 先程の言葉を無効化してやったら、大層な顔で睨まれた。拗ねてみろ、と言わんばかりに笑ったら、相手も笑っていた。
「オーケー、それなら攫うことにしよう。僕には足がある。この足で、あんたを工場から攫えばいいんだ。機械は追い駆けられない。」
「追い駆けてはこないが、あんたの好きな金儲けに支障は来すぞ。」
「それぐらいのことは構わない。あんたはどうせ休みも取っていないんだ。そろそろ、オーバーホールする時期だよ、一彰。」
 口先三寸で、どうしても休ませる口実を納得させようとする。子供じみた態度に、また吹き出した。外で何をしているのか知らないが、本当に喧嘩しているのだろうか。
「わかった。二、三日休む。」
「ヘイ」
「じゃあ一週間」
「・・・僕は二週間なんだが?」
「二週間も休めない。妥協しろ。その代わり、毎日、ここに散歩はする。」
「まあ、いいだろう。そろそろ、耕太を迎えに行かないか?」
「ああ」
 くるりと向きを変えて、子供の保育所に足を向けた。桜が穏やかに、それを見送る。約束の証は枯れることはない。ふたりが消えた後も、その想いが土に還っても、その証は変わらず立ち続ける。
作品名:りおう 桜花屯にて 作家名:篠義