僕のこあのこのこ
どんなに時間が遅くても。
あの人は必ず帰ってきてくれる。
俺のところへ。
「ただいま、あかや」
太陽のような笑顔で。
花のような、蝶のようなあなた。
「お腹空いたろ。ごめんな」
優しい手で。声で。
俺を包むこの存在が、何よりも好きで。
「―あ、電話」
あなたは、俺の全て。全てです。
「ちょっと待っててな」
だけど、あなたはそうじゃない。
「もしもし……あ、仁王」
瞬間、太陽の笑顔が曇っていく。瞬く間に広がる、曇天の空。
「え、今から…?」
けど本当は知ってる。
この人はたまに、目を真っ赤に腫らして帰ってくることを。なのに俺には無理に笑って、部屋でこっそり1人で泣いていることを。
「え?もうマンションの前?うそ、」
どうして隠してしまうのだろう。
どうして我慢してしまうのだろう。
俺じゃあなたの支えにはなれませんか。
「コーヒーでいい?」
「…ああ」
こんな夜更けに突然押しかけてきた銀の髪の男。
ちらりと俺を一瞥したが、すぐに興味なさげにそらされた。冷たい目だった。
「ブン太」
「ちょ、」
ガシャーン、白いコーヒーカップが一瞬で砕け散る。黒い液体がフローリングにばしゃりと広がった。
「やっ…」
噛みついてやろうかと思った。
あの人を無理矢理押さえつけて、服を引き裂いて、髪を鷲掴んで、荒々しく唇に吸い付いているそのおぞましい存在に。
「痛!」
怒りに任せて、俺はその男の背中に乗り上げ思いきり爪を立てた。なぜか視界が血のように真っ赤だった。
「ってーな…」
氷の視線で睨まれて、床に叩きつけられる。
「あかや!」
泣かないで。あなたの涙は見たくない。俺はこんなの全然平気だから。
「何すんだよ仁王!」
「こいつ引っ掻きよった」
心配して駆け寄ってきてくれるあなた。屈んだ瞬間、大粒の涙が俺の額に落ちた。
「うぁっ」
しかし俺を抱きかかえようとした寸前で、あの男の白い腕が伸びてくる。潰れるくらい強くあの人を抱きしめて、こいつは俺のものだ、絶対に手放してなんかやらない、そう感情のない瞳が燃えるように冷たく主張していた。その鋭利な眼差しに、俺は一歩も動けない。
「っに、お、」
ああ、俺は何もできない。
寝室に無理矢理引きずられていくあなたを助けることも、その男を殴り飛ばして部屋から追い出してやることも、何もしてあげられない。本当に、俺は何て無力なんだろう。
―バタン!
寝室のドアが閉まっても、薄くて分厚い壁の向こうの情景がまるで見えているかのように瞼の裏に浮かんで、吐き気がした。
聞こえてくる恐ろしい物音も、おぞましい息遣いも、あの人の止まらない涙の音も、全てが俺の心を引き裂いてバラバラにしていく。
聞きたくない、聞きたくない…!
地獄のような長い長い夜だった。
俺は一晩中、リビングの部屋の隅で丸くなって1人震えていた。
「あかや」
いつの間にか寝てしまった。目を開けるともう朝だった。
「昨日はごめんな」
覗き込まれたその目は赤く腫れていた。口の端が少し切れているのか、紫色に鬱血している。きっと昨日あの男に散々乱暴にされたからに違いない。
「恐かっただろ。けどあいつはもう、帰ったから」
眉を寄せて笑う。なんて哀しい顔。恐かったのはあなたでしょ?俺だったら絶対にそんな顔させないのに。
「ごめんな…」
きゅっと、優しく抱きかかえられる。細い肩が震えていた。また泣いてるの。
「…あかや?」
ぺろり、とあやすように頬を伝うその涙を舐め取った。
泣かないで。泣かないで。笑って。
「慰めてくれてんの?」
俺はあの男が憎くてたまらないよ。
あなたにそんな顔させて、こんな辛い思いをさせて。
「…ありがとな」
だけど俺にはこの涙を止めるすべを知らない。ただこうすることしかできない。
きっとあの男なら、この涙を笑顔に変えることもできるんだろう。
「やさしいな、お前は」
だってこの人は、あの男を愛している。
「お前だけだよ、ほんと…」
俺の大好きなあの太陽のような笑顔をつくりだすことができるのも、きっとあの男だけで。
花のような、蝶のような、美しくて儚いあなたを咲かせるのも自由にするのも、そして摘み取るのも羽をもぎ取るのも、あの男だけなのだ。
「大好きだよ、あかや」
俺は、無力だ。
「にゃあ」
ただの黒猫の俺には、
世界で一番愛するあなたを抱きしめてやることもできない。
-END-
(あとがき→)
あの人は必ず帰ってきてくれる。
俺のところへ。
「ただいま、あかや」
太陽のような笑顔で。
花のような、蝶のようなあなた。
「お腹空いたろ。ごめんな」
優しい手で。声で。
俺を包むこの存在が、何よりも好きで。
「―あ、電話」
あなたは、俺の全て。全てです。
「ちょっと待っててな」
だけど、あなたはそうじゃない。
「もしもし……あ、仁王」
瞬間、太陽の笑顔が曇っていく。瞬く間に広がる、曇天の空。
「え、今から…?」
けど本当は知ってる。
この人はたまに、目を真っ赤に腫らして帰ってくることを。なのに俺には無理に笑って、部屋でこっそり1人で泣いていることを。
「え?もうマンションの前?うそ、」
どうして隠してしまうのだろう。
どうして我慢してしまうのだろう。
俺じゃあなたの支えにはなれませんか。
「コーヒーでいい?」
「…ああ」
こんな夜更けに突然押しかけてきた銀の髪の男。
ちらりと俺を一瞥したが、すぐに興味なさげにそらされた。冷たい目だった。
「ブン太」
「ちょ、」
ガシャーン、白いコーヒーカップが一瞬で砕け散る。黒い液体がフローリングにばしゃりと広がった。
「やっ…」
噛みついてやろうかと思った。
あの人を無理矢理押さえつけて、服を引き裂いて、髪を鷲掴んで、荒々しく唇に吸い付いているそのおぞましい存在に。
「痛!」
怒りに任せて、俺はその男の背中に乗り上げ思いきり爪を立てた。なぜか視界が血のように真っ赤だった。
「ってーな…」
氷の視線で睨まれて、床に叩きつけられる。
「あかや!」
泣かないで。あなたの涙は見たくない。俺はこんなの全然平気だから。
「何すんだよ仁王!」
「こいつ引っ掻きよった」
心配して駆け寄ってきてくれるあなた。屈んだ瞬間、大粒の涙が俺の額に落ちた。
「うぁっ」
しかし俺を抱きかかえようとした寸前で、あの男の白い腕が伸びてくる。潰れるくらい強くあの人を抱きしめて、こいつは俺のものだ、絶対に手放してなんかやらない、そう感情のない瞳が燃えるように冷たく主張していた。その鋭利な眼差しに、俺は一歩も動けない。
「っに、お、」
ああ、俺は何もできない。
寝室に無理矢理引きずられていくあなたを助けることも、その男を殴り飛ばして部屋から追い出してやることも、何もしてあげられない。本当に、俺は何て無力なんだろう。
―バタン!
寝室のドアが閉まっても、薄くて分厚い壁の向こうの情景がまるで見えているかのように瞼の裏に浮かんで、吐き気がした。
聞こえてくる恐ろしい物音も、おぞましい息遣いも、あの人の止まらない涙の音も、全てが俺の心を引き裂いてバラバラにしていく。
聞きたくない、聞きたくない…!
地獄のような長い長い夜だった。
俺は一晩中、リビングの部屋の隅で丸くなって1人震えていた。
「あかや」
いつの間にか寝てしまった。目を開けるともう朝だった。
「昨日はごめんな」
覗き込まれたその目は赤く腫れていた。口の端が少し切れているのか、紫色に鬱血している。きっと昨日あの男に散々乱暴にされたからに違いない。
「恐かっただろ。けどあいつはもう、帰ったから」
眉を寄せて笑う。なんて哀しい顔。恐かったのはあなたでしょ?俺だったら絶対にそんな顔させないのに。
「ごめんな…」
きゅっと、優しく抱きかかえられる。細い肩が震えていた。また泣いてるの。
「…あかや?」
ぺろり、とあやすように頬を伝うその涙を舐め取った。
泣かないで。泣かないで。笑って。
「慰めてくれてんの?」
俺はあの男が憎くてたまらないよ。
あなたにそんな顔させて、こんな辛い思いをさせて。
「…ありがとな」
だけど俺にはこの涙を止めるすべを知らない。ただこうすることしかできない。
きっとあの男なら、この涙を笑顔に変えることもできるんだろう。
「やさしいな、お前は」
だってこの人は、あの男を愛している。
「お前だけだよ、ほんと…」
俺の大好きなあの太陽のような笑顔をつくりだすことができるのも、きっとあの男だけで。
花のような、蝶のような、美しくて儚いあなたを咲かせるのも自由にするのも、そして摘み取るのも羽をもぎ取るのも、あの男だけなのだ。
「大好きだよ、あかや」
俺は、無力だ。
「にゃあ」
ただの黒猫の俺には、
世界で一番愛するあなたを抱きしめてやることもできない。
-END-
(あとがき→)