恋を知るまでは<前編>
――――最近、心臓が痛い。
まさか、今話題の心筋梗塞、動脈硬化の予兆とか?
オレ、まだ二十代なんだけど。まさかね。いや、でも、しかし……。
結構心配だったので、こっそり精密検査なんてのを受けたりしてみた。
「あ、お疲れさまでした。サワダさん。時々心臓が痛いということでしたが。そうですね、今のところ検査結果に異常は見られません。が、心筋梗塞とか最近は若い方でも多いんですよね。重度のストレスが原因だったり、体を酷使してたり、食生活に偏りが見られたりとか。
ですが、まぁとりあえず様子を見ましょう。生活習慣が大切ですから、過度の運動を避けて、早寝早起き、食事にも気をつかって。あっ、趣味なんか持つのもいいですね。規則正しい生活、充実したプライベート。それから、ストレスの原因を取り除くこと。これが一番ですよ。じゃ、また何かあったら来て下さい。お大事に」
そうして、無情にも診察室の扉はパタリと閉じられた。
いや、先生。ムリです。だって、オレ
―――――マフィアのボスなんです。
≪恋を知るまでは≫
サワダツナヨシ。
薄茶色の髪に、琥珀の瞳、華奢な体つきの、一見どこにでもいる平凡な青年である。成人してずいぶん経つにも関わらず、いまだ学生……時には中学生などと間違えられる驚異の童顔の持ち主でもある。
だがその彼こそが、泣くマフィアさえも押し黙るイタリア屈指のマフィア「ボンゴレファミリー」の十代目ボスなのだ。
そのツナヨシはというと、先ほどから浮かない顔つきでむっつりと黙り込んでいた。
窓から差し込む日差しに、茶色の髪は金に近い色に淡く光る。重厚でいて洗練された室内、その中央に位置する豪奢なソファにちょこんと腰掛けて、ツナヨシは考える。
―――――そもそも、不本意ながらツナヨシはマフィアだ。
それも、何の因果かイタリア最大のマフィア・ボンゴレファミリーのボスなんぞを務めている。
『規則正しい生活?』
心がけてはいるが、朝から晩まで山と積まれた書類に囲まれ、にらめっこ。貫徹など珍しくもない。
『適度な運動?』
鬼教官’Sの地獄の修行にはじまって、抗争、紛争、暴走する構成員たちへの鉄拳制裁(ちゅうさい)。毎日が戦闘だ。
『趣味?充実したプライベート?』
望むべくもない。前にオフだったのは、いつのことだったか。そのオフの日でさえも優秀&過保護すぎる守護者に、家庭教師とその同輩の襲撃を受け、散々な休日だった。
―――――結論、助言はまったく役にたたない。
一体、何をどう間違ったらこんな現状に至るのだろうか。つい数年前まで、平和な日本で、のほほんとフツーの中学生をしていた自分が。思わず己の星の生まれを呪いたくなる。
「はぁ」
とため息をもらすと、ツナヨシは手元に置かれた書類と睨めっこを再開した。
(それに、ストレスを減らす…ねぇ)
あたり構わず戦闘を繰り広げるハタ迷惑な守護者を筆頭に、突如襲来する最強の家庭教師とその同輩たちの悪戯、そしてボンゴレ名物の暴走暗殺部隊、その他あれやこれや……後始末に追われて心労は増すばかり。
(こんな状況でストレスを減らす……って一体どうやって!?)
誰か教えてほしいものである。
「はぁ」
と再びツナヨシは深い、深い、ため息をついた。
加えて先ほどから、またチリチリと胸がざわついている。ドクン、ドクンと心臓が刻む鼓動に顕著な乱れはなく、痛みもあるわけではないが、何というか……ひどく落ち着かない。
(あぁ、これがストレスによる不整脈かぁ。いや、もうね。正直言うと原因はわかってるんだけど)
――――これ、この男。
目の前にドンとふんぞり返る、不遜極まりないこの態度。長い足をこれ見よがしに組んで、カウチにゆったりともたれている。それがまたちょっと、いや、かなり様になっているからムカつく。
じろりと、恨みがましい目つきで元凶を見やっても、男はふてぶてしいまでの面構えだ。褐色の肌に、引き締まった長身、黒のコートを肩にひっかけて、首元には緩めたネクタイ、シャツの胸元は大きくはだけていて、鍛えられた胸板が惜しげもなく披露されている。(いや、見たいとは、まったくもって思っていないが)
全身から『不吉』とか『危険』とか、とにかく不穏な気配をにじませているが、そのくせ男の色気というかフェロモン全開だったりする。これもまた、かなりムカつく。
じろじろと無遠慮に観察を続けていると、男が……ザンザスが、じろりとツナヨシに視線を向けてきた。
気怠げに細められた真紅の双眸。少し伸びた黒髪は額にかかり影を落として、眉間のしわを隠してはいるが、不機嫌に結ばれた口元を見やれば、彼が退屈しているのは明らかだった。
「ザンザス」
態度を改めろと、非難を暗に込めて呼びかければ、「くぁ」と大きな欠伸がかえってきた。
(完全にバカにしてるよな、こいつは……)
「お前なぁ……」
はぁ、と本日何度目かわからないため息をつくと、ツナヨシは苛立ちを押し隠して再度口を開いた。
「だーかーら、こんな予算案は認められないっつーの。ただでさえお前ら金喰い部隊なんだから、少しは自重しろよな」
「は、貧乏くせー」
先ほどから、この繰り返しだ。血圧も上がるし、血管ぶった切れそう。心臓に負担だってかかるし。ストレスの塊ですよ、コレ。
折しも時期は決算間近。次年度の予算配分について交渉が活発化する。各部署からあげられた予算案に目を通し、実際に内容を詰めていって、削減できるものは削りに削って、時には物騒な交渉になったりもする、この心身ともにお疲れな時期。
だからこそ、仮にも暗殺部隊の隊長であるザンザスがこうしてツナヨシの目の前にいるわけだが。それにしても。
「貧乏くさくて結構。経費節減。企業努力だろ」
「け」
とは言ってはみるものの、『節約』『自重』。ザンザスにそれができたら苦労はしない。
この男に、なんと似合わないことか。
言っても無駄な事ほど空しいものはない。いい加減疲れたツナヨシは書類をトントンと整えると帰り支度を始めた。
「……もういい」
「あぁ?」
「だから、もういい。予算交渉はまた今度……って、えぇ?」
手元の書類から目を上げると、思ってもいなかった至近距離にザンザスの顔があった。
流石は怠惰な生活を極めていても暗殺部隊の隊長様だ。気配の殺し方は超一流。
スルリと、一瞬でドン・ボンゴレの間合いに入り込んだ男の吐息が頬を撫で、ごつい大きな手がツナヨシの顎をすくい上げる。
不覚にも振り払うことも忘れ、はたりと見上げたツナヨシの大きな琥珀の目を、真紅の双眸が貫いた。
その瞬間、――――ドクンと鼓動が乱れた。
(うわ、なんだコレ?)
「っ、は……」
(やばい。息ができない。苦しい)
――――心臓が、痛い。
「ツナヨシ・・・」
低く囁いたザンザスの手がそっと頬をすべって首筋へ。白い肌に浮かぶ血管を辿る。耳元に落ちた重低音の声に、ツナヨシの身体をビリビリと電流が駆け抜ける。ゾクゾクと背筋が震えるのは、何故か。
視線をそらすことなど、できようはずがない。真紅の呪縛に心臓が痙攣する。
「っ!」
もはや、心臓はアラームの如く荒く脈打ち、体温は急上昇。血が警告を発する。
(やばい、やばい、やばい、このままじゃ、心臓が……爆発する!!)
まさか、今話題の心筋梗塞、動脈硬化の予兆とか?
オレ、まだ二十代なんだけど。まさかね。いや、でも、しかし……。
結構心配だったので、こっそり精密検査なんてのを受けたりしてみた。
「あ、お疲れさまでした。サワダさん。時々心臓が痛いということでしたが。そうですね、今のところ検査結果に異常は見られません。が、心筋梗塞とか最近は若い方でも多いんですよね。重度のストレスが原因だったり、体を酷使してたり、食生活に偏りが見られたりとか。
ですが、まぁとりあえず様子を見ましょう。生活習慣が大切ですから、過度の運動を避けて、早寝早起き、食事にも気をつかって。あっ、趣味なんか持つのもいいですね。規則正しい生活、充実したプライベート。それから、ストレスの原因を取り除くこと。これが一番ですよ。じゃ、また何かあったら来て下さい。お大事に」
そうして、無情にも診察室の扉はパタリと閉じられた。
いや、先生。ムリです。だって、オレ
―――――マフィアのボスなんです。
≪恋を知るまでは≫
サワダツナヨシ。
薄茶色の髪に、琥珀の瞳、華奢な体つきの、一見どこにでもいる平凡な青年である。成人してずいぶん経つにも関わらず、いまだ学生……時には中学生などと間違えられる驚異の童顔の持ち主でもある。
だがその彼こそが、泣くマフィアさえも押し黙るイタリア屈指のマフィア「ボンゴレファミリー」の十代目ボスなのだ。
そのツナヨシはというと、先ほどから浮かない顔つきでむっつりと黙り込んでいた。
窓から差し込む日差しに、茶色の髪は金に近い色に淡く光る。重厚でいて洗練された室内、その中央に位置する豪奢なソファにちょこんと腰掛けて、ツナヨシは考える。
―――――そもそも、不本意ながらツナヨシはマフィアだ。
それも、何の因果かイタリア最大のマフィア・ボンゴレファミリーのボスなんぞを務めている。
『規則正しい生活?』
心がけてはいるが、朝から晩まで山と積まれた書類に囲まれ、にらめっこ。貫徹など珍しくもない。
『適度な運動?』
鬼教官’Sの地獄の修行にはじまって、抗争、紛争、暴走する構成員たちへの鉄拳制裁(ちゅうさい)。毎日が戦闘だ。
『趣味?充実したプライベート?』
望むべくもない。前にオフだったのは、いつのことだったか。そのオフの日でさえも優秀&過保護すぎる守護者に、家庭教師とその同輩の襲撃を受け、散々な休日だった。
―――――結論、助言はまったく役にたたない。
一体、何をどう間違ったらこんな現状に至るのだろうか。つい数年前まで、平和な日本で、のほほんとフツーの中学生をしていた自分が。思わず己の星の生まれを呪いたくなる。
「はぁ」
とため息をもらすと、ツナヨシは手元に置かれた書類と睨めっこを再開した。
(それに、ストレスを減らす…ねぇ)
あたり構わず戦闘を繰り広げるハタ迷惑な守護者を筆頭に、突如襲来する最強の家庭教師とその同輩たちの悪戯、そしてボンゴレ名物の暴走暗殺部隊、その他あれやこれや……後始末に追われて心労は増すばかり。
(こんな状況でストレスを減らす……って一体どうやって!?)
誰か教えてほしいものである。
「はぁ」
と再びツナヨシは深い、深い、ため息をついた。
加えて先ほどから、またチリチリと胸がざわついている。ドクン、ドクンと心臓が刻む鼓動に顕著な乱れはなく、痛みもあるわけではないが、何というか……ひどく落ち着かない。
(あぁ、これがストレスによる不整脈かぁ。いや、もうね。正直言うと原因はわかってるんだけど)
――――これ、この男。
目の前にドンとふんぞり返る、不遜極まりないこの態度。長い足をこれ見よがしに組んで、カウチにゆったりともたれている。それがまたちょっと、いや、かなり様になっているからムカつく。
じろりと、恨みがましい目つきで元凶を見やっても、男はふてぶてしいまでの面構えだ。褐色の肌に、引き締まった長身、黒のコートを肩にひっかけて、首元には緩めたネクタイ、シャツの胸元は大きくはだけていて、鍛えられた胸板が惜しげもなく披露されている。(いや、見たいとは、まったくもって思っていないが)
全身から『不吉』とか『危険』とか、とにかく不穏な気配をにじませているが、そのくせ男の色気というかフェロモン全開だったりする。これもまた、かなりムカつく。
じろじろと無遠慮に観察を続けていると、男が……ザンザスが、じろりとツナヨシに視線を向けてきた。
気怠げに細められた真紅の双眸。少し伸びた黒髪は額にかかり影を落として、眉間のしわを隠してはいるが、不機嫌に結ばれた口元を見やれば、彼が退屈しているのは明らかだった。
「ザンザス」
態度を改めろと、非難を暗に込めて呼びかければ、「くぁ」と大きな欠伸がかえってきた。
(完全にバカにしてるよな、こいつは……)
「お前なぁ……」
はぁ、と本日何度目かわからないため息をつくと、ツナヨシは苛立ちを押し隠して再度口を開いた。
「だーかーら、こんな予算案は認められないっつーの。ただでさえお前ら金喰い部隊なんだから、少しは自重しろよな」
「は、貧乏くせー」
先ほどから、この繰り返しだ。血圧も上がるし、血管ぶった切れそう。心臓に負担だってかかるし。ストレスの塊ですよ、コレ。
折しも時期は決算間近。次年度の予算配分について交渉が活発化する。各部署からあげられた予算案に目を通し、実際に内容を詰めていって、削減できるものは削りに削って、時には物騒な交渉になったりもする、この心身ともにお疲れな時期。
だからこそ、仮にも暗殺部隊の隊長であるザンザスがこうしてツナヨシの目の前にいるわけだが。それにしても。
「貧乏くさくて結構。経費節減。企業努力だろ」
「け」
とは言ってはみるものの、『節約』『自重』。ザンザスにそれができたら苦労はしない。
この男に、なんと似合わないことか。
言っても無駄な事ほど空しいものはない。いい加減疲れたツナヨシは書類をトントンと整えると帰り支度を始めた。
「……もういい」
「あぁ?」
「だから、もういい。予算交渉はまた今度……って、えぇ?」
手元の書類から目を上げると、思ってもいなかった至近距離にザンザスの顔があった。
流石は怠惰な生活を極めていても暗殺部隊の隊長様だ。気配の殺し方は超一流。
スルリと、一瞬でドン・ボンゴレの間合いに入り込んだ男の吐息が頬を撫で、ごつい大きな手がツナヨシの顎をすくい上げる。
不覚にも振り払うことも忘れ、はたりと見上げたツナヨシの大きな琥珀の目を、真紅の双眸が貫いた。
その瞬間、――――ドクンと鼓動が乱れた。
(うわ、なんだコレ?)
「っ、は……」
(やばい。息ができない。苦しい)
――――心臓が、痛い。
「ツナヨシ・・・」
低く囁いたザンザスの手がそっと頬をすべって首筋へ。白い肌に浮かぶ血管を辿る。耳元に落ちた重低音の声に、ツナヨシの身体をビリビリと電流が駆け抜ける。ゾクゾクと背筋が震えるのは、何故か。
視線をそらすことなど、できようはずがない。真紅の呪縛に心臓が痙攣する。
「っ!」
もはや、心臓はアラームの如く荒く脈打ち、体温は急上昇。血が警告を発する。
(やばい、やばい、やばい、このままじゃ、心臓が……爆発する!!)
作品名:恋を知るまでは<前編> 作家名:きみこいし