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みそっかす
みそっかす
novelistID. 19254
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君には触れられなかった。けれども君の心に触れた。

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ぱしんッ。
 いっそ小気味良い程の乾いた音。
 見開かれた眼。弾かれた手。
 一瞬にして静寂が教室の中を支配した。
「っごめん! しえみ! 大丈夫か? 本当、ごめんな?」
「う、ううん、大丈夫だよ。私こそ驚かせてごめんね、燐」
 叩かれ、ほのかに赤みを帯びた小さな手よりも。
 払われたことに戸惑いながらも微笑む顔よりも。
「ほんと、ごめんな……」
 謝り、うな垂れるその姿のほうがよほど痛そうで。
 だからこそ、脳裏に焼きついて離れなかった。

 勝呂は珍しく自分が忘れ物をしたことに気がつき、夕闇が大部濃くなってから塾に戻った。志摩や子猫丸も着いて行くと言ったが、子どもの遣いじゃないからと断った。
 人の気配がない廊下は何だか普段と違う印象を受ける。歴代の塾生達が残した生活の残影と、今ここで学んでいる自分たちの気配が混ざり合い、この建物独特の雰囲気を作り出している。一人だからこそより色濃く感じるその空気を感じながら歩みを進める。
 教室に着くと不思議なことに扉が僅かに開いていた。
(閉め忘れたんか?)
 僅かに警戒しながらそっと教室の中を窺う。
 薄暗い闇の中に一際濃い闇があった。暗闇に慣れた眼でよく見てみればそれは人の形を成していた。机にうつ伏せるその人影は、勝呂の見知った姿だった。
「……奥村?」
 呟くも、それに答えは返ってこない。灯かりを点け教室へ入る。光に照らされた姿はやはりいつもの定位置でうつ伏せ寝入る燐だった。
「おい、奥村。起きろや」
 歩み寄り、傍に立って声をかけるも反応はない。吐息すらも聞こえないような気がして、眉間の皺が深まった。
「おい、こんアホ。アホやから風邪は引かんやろが、こないな時間まで居眠りこいとる情けない兄貴持つ先生の身にもなれや」
 いつもならやかましいくらい返って来る声が、今は返されない。そのことに苛立ちと、ほんの僅かな不安が湧き出す。
 いっそ叩き起こしてしまおうかとも思うが、それは最後の手段だと、揺り起こすために自分よりも一回りは薄い肩に手を伸ばす。
「おい、奥村―」
 指先がその肩に触れた瞬間、

 ぱしんッ。

 聞き覚えのある音。
 既視感を覚える光景。
 そして、
「あ……」
 こちらを見つめてくる顔は、焼きついて離れなかった、あの顔で。
「……す、ぐろ?」
「……おん」
 空中に弾かれた手をきつく握り締めながら、じっと燐を見つめる。
 やっと起きたかとか、そもそも塾で寝るなとか、言おうと思っていた文句は音となることはなかった。むしろ、何と声を掛ければいいのか途惑うほど、燐は明かに怯えていた。こちらを見上げていた顔は力なく下を向き、触れられた感触をかき消すように、勝呂の指先が触れた部分を何度も何度も撫でている。
「……悪い。お前の手、叩いたんだろ、俺」
「…まぁな」
「……悪い。ごめんな」
 謝罪の言葉はこちらが痛ましく思うほど切ない響きを持っていた。勝呂は静かに燐に尋ねた。
「なぁ、奥村。お前、人に触られんのが駄目なんか?」
 この前の光景と、この現状。二つを照らし合わせての予想。燐の肩がぴくりと震え、俯かれていた顔が上げられる。その顔に浮かんでいるのは、苦く、今にも泣きそうな笑顔。
「よく、気付いたな」
 お前が初めてだ、燐は小さく微笑んでぽつぽつと話し始めた。
「……ジジイ…父さんや雪男は平気なんだ」
 ゆるりと薄い水の膜を張った眼が細められる。
「でも、他の人間は駄目なんだ。触るのも、触られるのも」
 唇を噛みしめ、喋ることすら恐ろしいことのように、搾り出すように紡がれる声。
「人のぬくもりが、怖いんだ」
 青い眼にゆらゆらと自分が映る。何故だか自分までも泣きそうな顔をしているように見えて、知らず握り締めた手に力が入る。
「今まで、壊すことしかしてこなかったから。触り方が分からないし、触られても、いつか傷つけるかもって思うと、すげぇ怖い。だから、寝てても、身体が動いちまうのかも」
 今まで歪ながらも笑みの形をなしていた唇から、小さく押し殺した嗚咽が漏れ出す。
「はじめて、なんだ。大事にしたいって、ジジイや雪男以外で、思ったの。おまえたちが、はじめてなんだ」
 家族以外でできた、大切なもの。
 あたたかくて、くすぐったくて、うれしくて。
 それなのに、
「ほんとに、大事に思ってるのに、こわくてこわくて、結局傷つけちまう」
 しえみの赤くなった手を思い出し、今叩いてしまった勝呂の手を見遣る。
 自分に差しだされる手なんて今までなかった。
 その手があたたかいことを知っている。優しいものだと知っている。
 でも、だからこそ怖い。
 いつか、彼らを、この優しいぬくもりをこの手が壊してしまうんじゃないか。
 ――心から愛していた家族すら、自分は壊してしまったのに。
「だいじなのに、たいせつなのに、こわくて、たまらない」
 青い双眸からほろほろと雫が落ちる。ぬぐってもぬぐっても零れる雫はじんわりと袖を濡らす。目を腫らし、嗚咽をもらしながら、それでも笑って、
「ほかのやつらには、ないしょだぞ?」
 子どものように指をたてて内緒の仕草。今の勝呂にできることはそれに何とか笑い返してやることだけで、それがどうしようもなく歯がゆかった。
「……おん。黙っといたるから、今は泣けや。笑わんでええ」
 押し殺していた嗚咽が響く。拭いきれなかった涙が燐の頬を滑り落ちる。
 悪魔を倒す詠唱をどれだけ暗記していても、人一人の涙を止める言葉ひとつ持っていない。
 複雑な印を結べても、この手は柔らかそうな頬をぬらす涙を拭うことすらできない。
 それでも、傍を離れることなんてできるはずもなくて。
「大事やから触るのが怖いんは、お前だけやないんやで。奥村」
 小さく小さく呟かれた言葉は、ようやく出された泣き声で消されてしまった。

(大事だから怖い。だけど、いつかこの手で、その涙を拭えたら)