まくらことば
のぞきこむと、微かな痙攣を伴いゆっくりとまぶたが上がる。
対局の空き時間、赤木しげるがうたた寝を良くするなんてこと、思ってもみなかった。
そんな埒もない感慨を抱きながら、ひろゆきは赤木の傍に膝をついた。
「なんだ、もう時間か?」
「いえ、まだ急ぐような時間じゃ……ちょっと天さんが探してるみたいだっただけです」
「くく、天はお前の中で随分軽いな、ひろ」
「え、や、そんなつもりじゃ……」
喉の奥で笑う赤木のその言葉にか表情にか、いずれともつかぬままにひろゆきは少し狼狽する。二つ折りにした座布団を枕に仰向けの赤木は高々と足を組み、ジャケットを探るや煙草を取り出し火を付けた。
「赤木さん、寝煙草……」
「まあ大目にみろや」
にっこり、そう表現するしかない笑顔を向けられれば、ひろゆきに残された道は灰皿を差し出すことくらいである。
「そういやひろは煙草はやらないな」
「はい、今のところは」
「今のところは……ね」
時間の問題だと思うがね。
言外に匂わせるような調子でひろゆきの言葉を繰り返す赤木に苦笑する。
「副流煙でしたっけ、そういうこと考えるといっそ自分で喫っちゃった方がいいんでしょうけど……」
「馬鹿だな、そんなこと考えて喫ってる奴なんかいねえよ」
ああ、また笑われた。
頬を熱くしながら、しかしひろゆきは呆れたような赤木の忍び笑いに心がざわめくのを自覚する。 軽蔑されたら死んでしまえそうなほど赤木に傾いているのに、折に触れ飛び出す軽い罵り言葉には我知らず胸を高鳴らせてしまうのだ。
「でもま、そうだな。ひろゆき、お前なら口寂しくなったらまだ甘いものってところなんだろ?」
揶揄するように目を細めながら、言葉の後に深々と煙を吸い、そして吐き出す。ただの慣用句の一節がひろゆきを惑乱する。寂しい。赤木しげるがそんな言葉を口にする、その唇の動きに興奮した。
「ん……っ」
くわえ煙草をそっと奪い、目を閉じて唇を落とす。薄く開いていた歯の隙間に舌を差し入れ控えめに絡めにかかれば、条件反射のように迎えられ、ひろゆきは思わず強く吸い付いてしまう。赤木の舌は微かに煙草の味がして、それはけして甘い等とは言えないものだったがひろゆきはそのぬめる感触に夢中になった。荒げた鼻息が赤木にかかるのが恥ずかしい。しかし唇を離せば赤木に理由を問われるだろうし、何より離れがたい気持ちでひろゆきは赤木の唇を貪り続ける。
「こら、いい加減にしろ」
軽く握られた拳で後頭部を叩かれ、ひろゆきは未練がましくその唇をひと舐めしてやっと赤木を解放した。僅かに弾んでいる呼吸や、物理的に紅潮した白い顔、自分の唾液で濡れて光る唇も正視するには刺激が過ぎる。ひろゆきは目をそらし、ついさっきまで赤木と交わしていた唇をそっと押さえた。その薄い皮膚と、地続きの粘膜の直下に心臓が移動してきたような気がする。
「……口寂しいから、甘いものです」
「……ばか」
何血迷ってやがる。
動揺した様子もない赤木はひろゆきの額を小突き、ごろりと背を向けた。ひろゆきの手には細く煙をたなびかせている煙草が残されたままで、手持ちぶさたのままそれをくわえてみたひろゆきは途端に大きく噎せ返り、遠慮会釈無い赤木の、失笑と言うには派手な笑い声を浴びせられたのだった。