茶碗
長年使って淵のあたりがほろりとかけている代物で、女中が頭を何度も何度も頭を下げる中、一言も言わず茶碗のかけらを拾う三成を見つけて、俺はとりあえず手をつかんで危ないからやめなさい、と言った。三成ははっとして俺の方を向く。おいおい、そんな大層なことでもあるまい、茶碗の一つ。
「あとは俺がやっておくから、朝餉の準備を。」
俺はそれだけ言ってかけらを一か所に集め始めた。女中は青ざめた顔のままこの場を去る。あの娘も災難だったが、俺もまた。思考停止した殿はどうしてもとに戻るのか。
「そんな大層な価値のある茶碗ではないのだ。」
おや、と俺は思った。殿がもうくちをきいた。
「なるほど。」
適当すぎる相槌。何がなるほどだ。
「慣れ親しんでいたからやもしれぬ。割れるなら早く割れてほしかった。」
「そうですかな。さっき買ったばかりのものが割れても哀しいものですが。」
「それはもったいないという別な感情だろう。俺はもっと哀しいのだ。」
「はぁ。」
「この茶碗の淵で俺は唇を切ったことがある。」
「しってますよ。あのとき左近はそんな茶碗は早急に捨ててしまえと申し上げましたな。」
「しかし、俺がまだ捨てたくないと言ったら了承してくれたな。」
「それは予想以上に殿が必死に説得しようとなさるからだ。」
三成はふ、と笑った。俺はよし、と心の中でこぶしを握る。
「お前は最終的にとても俺に甘いから。」
俺も苦笑して、同感です、と言った。この年下の男の頼みを断れたためしがなかったからだ。次に唇を切ったり、指の先を切ったりしたら捨てるように、と言っても、この殿は何度もこの茶碗で体を傷つけてきた。その都度俺は怒り狂い、次はない、と最後通告まがいのものを繰り返してきた。
「大事にしていたのだ。」
三成はそう言って、かき集めたものに再び手を伸ばした。この殿は最近とてもどうでもいいようなことに神経をすり減らしている。俺が思うだけではないのだろう。だからこそ茶碗をわった女中が震えあがり、俺が言葉を選ぶはめになる。三成が破片に、何かなくしてはならないものの破片のようなものに触れるのをみて、その手を阻止することも忘れて、言葉を必死に選んでいた。
(何が不安だというのだ。
俺は何年一緒にいても、殿のそばをはなれたりしないのに。)