Cozy Tea House
テムズ川を下っていくとレンガに覆われたビルの一階に、緑色の淵と木製のドアが特徴的な古めかしいティーハウスがある。
近頃はこのロンドンでもアメリカ資本のコーヒーショップが幅を利かせてきたので、こういう古きよき雰囲気の店も少なくなってしまった。
ドラコは椅子に座る前に手袋を外しマフラーをほどくと、コートといっしょにハンガーに吊るした。
寒さで少し赤くなっている鼻をこする。
「やっぱり、まだこっちは寒いな」
とか言いながら、照れたように笑いかけてくる。
僕もダウンが薄く入ったコートを隣に吊るし「ああそうだね」と頷きつつ、向かい合うように座った。
「春用のコートを探しに来たけど、まだちょっと早すぎるのかな」
「そんなことないよ。ショップには薄いコートはたくさんあると思うし、3月だからもう夏服かもしれないな。あそこは季節が1シーズン早いからね。このあとデパートに行ってみようか?きっとコートならいろいろ並んでいるはずさ」
「ああ、そうだな」
頷きつつドラコは、店のキャッシャーの横にたくさん並べられているお菓子に目をやる。
並べられたヌガーに、色とりどりのケーキ類。
美味しそうな匂いをただよわせているスコーン。香ばしそうなクッキーも何種類もある。
ティーハウスでは当たり前の光景だけど、甘い香りはなんだか幸せな気分にしてくれるから不思議だ。
ドラコは紅茶と何種類かの菓子を注文し、僕は飲み物と軽めのサンドイッチをオーダーした。
甘いものはあまり好きではなかったけれど、ここで紅茶のみを注文したら、逆に相手は気を使って何も頼まなくなるかもしれないから、自分も彼に合わせてあまり甘くなさそうなのを、いつも注文することにしている。
ドラコは注文されたものが出てくるまで窓の外に目をやり、通り過ぎていく人々を興味深そうに見ていた。
僕は気付かれないふりで、そんな相手を何度もチラチラと見詰める。
ドラコはふと指を指して「あの耳だけ隠している耳あてみたいなのは、なんだ?」と尋ねてきた。
「ヘッドホンだよ。あそこから音楽が流れてくるんだ。音が漏れにくいようになっているから、自分だけの好みの音楽をああいう風に歩きながらでも聞くことが出来るんだ」
「へぇー……。魔法みたいだな。どこからか音楽を拾うんだ?落ちているのか?」
とか、とんでもないことも言って笑わしてくれる。
こちらの世界をよく知らない彼の前で僕は得意げに説明を始めた。
「ちがうよ、それはね……」
もちろんどういう構造でそうなっているのかなんて知らないし、機械の説明とか専門的な知識は持ち合わせていなかったけれど、当たり前の普通の使い方の方法やその利便性なんかは説明できた。
喋っている僕の言葉を興味深そうに聞き耳を立てて頷く君の顔がきれいで、物知り顔の自分の鼻が少し高くなる。
―――僕はこんな風に流れる穏やかな時間を愛していた。
なぜ彼がマグルのことに興味を示したのかは分からない。
なぜこちらの世界で生活をしていた僕に声をかけたのか分からない。
「仕事の関係でマグルのことを知らなきゃならないんだ」とか、最初は言ってたみたいだったけど、今日のスプリングコートと魔法界での仕事とは、ちっとも関係ないように思えるんだけど──?
「この機械の使い方は?」とか、「マグルの薬について」とか、いろいろなことを聞きに時々僕の前に現れるドラコは、ポケットに手を突っ込んだまま、いつもはにかんだように笑った。
そうして、僕は近頃思うんだ。
『もう、そろそろいいだろ?』ってね。
もうそろそろいいんじゃないのかな、僕たちは?
理由がなくちゃ会えない訳じゃない。
理由がなくても僕はいくらでも君のために、時間を差し出す用意はあるんだ。
君の手を取り、さり気なくそのことを告げようとしたら、狙ったように絶妙のタイミングでティーセットやケーキが運ばれてきて、ちょっとした決意とか気勢とかがそがれてしまう。
僕の伸ばしかけた手はぎこちなく宙を泳ぎ、仕方なく目の前にあるポットを持ち上げることになってしまい、自分の段取りの悪さに小さく苦笑する。
暖かな湯気を立てている紅茶を、互いのカップへと注いだ。
「ありがとう」と素直にドラコが礼を言いながら、それに口をつける。
『あのホグワーツでの意地悪な君はどこへ行ったの?』と聞いてみたいけど、どうでもいいような気がする。
あれからきっといろんなことがあって、今の君になったのならそれでいいと思う。
目の前にいるのが、今の君だろ?
ぼくはそんな今の君をとても気に入っているんだ。
仕事ばかりの一週間はかなり疲れたけれど、こういう風な週末を迎えることは、とても嬉しいことなんだ。
暖かに過ぎていくふたりの時間が心地いい。
チラチラと窓ガラスから、木漏れ日が漏れてきて、テーブルクロスに淡い影を落としていく。
一年の半分くらいは暗く重苦しい天気が続くここでは、太陽の光が一番のごちそうだった。
暖かな日差しが差し込む午後、君はカップを置くとまた喋り始める。
スプリングコートの話なんか語り合いながら、本当は別のことを喋りたいんじゃないのかな、お互いに。
分かっているけど、分からないフリをする。
早く核心にたどりつきたいけれど、今のこういう時間も大切にしたい。
手さえ握っていない今の関係でしか喋れないことも、きっとあるから。
次のステップに上がると忘れてしまいそうな、ささやかだけど暖かくてくすぐったい、なんだかモジモジとしてしまう、照れくさい思いとか、そういうものだ。
急がなくてもいい。
スピードとスリルを味わうような恋は何度も経験済みで、もうとうに飽きていたんだ。
もっともっとたくさん喋ろう。
時間はあるし、紅茶はたっぷりある。
そうして、ふとした弾みで会話が途切れたそのときに、いったいどちらが先に『そのこと』を言うのかな?
プレゼントにかかっているリボンを引っ張るときのような、わくわくとした感じ。
それを想像するだけで、真面目な顔があっけなく緩んでしまいそうになる。
まるで10代の頃に戻ったみたいだ。
そんな表情を隠そうと、店の奥へと続く窓の外に視線を向けると、木々の緑にクレマチスが巻きつくように、白いつぼみをたくさん付けていることに気付いた。
芝生にたくさん植えられているチューリップはつぼみを付けていたけれど、まだ青くて硬いままだ。
隣の黄色い水仙はもう開きかけている。
もうすぐしたらこの奥庭はいっぺんに花が開き始め、きっとはずらしい眺めになるだろう。
その頃にはテーブルが外にも出て、庭でも紅茶が飲めるといいなと思ったりもする。
僕はそれらの花や木を指差して説明しながら、そっと相手に顔を寄せた。
ふたりの距離が少し縮まる。
触れそうで触れない微妙な位置を意識したドラコは、ぎこちなく視線を逸らし、僕はそんな仕草を好ましいと思う。
「もうすぐだね、ドラコ」
いろんな意味を込めてそう囁く。
「なにが?」
「もうすぐ春がやってくるよね」
僕を見て頷くドラコの薄青い瞳はとても柔らかくて、なにかの輝きに満ちている。
互いに分かっているのに、分かっていないフリがとてもいい。
グッとくる。
近頃はこのロンドンでもアメリカ資本のコーヒーショップが幅を利かせてきたので、こういう古きよき雰囲気の店も少なくなってしまった。
ドラコは椅子に座る前に手袋を外しマフラーをほどくと、コートといっしょにハンガーに吊るした。
寒さで少し赤くなっている鼻をこする。
「やっぱり、まだこっちは寒いな」
とか言いながら、照れたように笑いかけてくる。
僕もダウンが薄く入ったコートを隣に吊るし「ああそうだね」と頷きつつ、向かい合うように座った。
「春用のコートを探しに来たけど、まだちょっと早すぎるのかな」
「そんなことないよ。ショップには薄いコートはたくさんあると思うし、3月だからもう夏服かもしれないな。あそこは季節が1シーズン早いからね。このあとデパートに行ってみようか?きっとコートならいろいろ並んでいるはずさ」
「ああ、そうだな」
頷きつつドラコは、店のキャッシャーの横にたくさん並べられているお菓子に目をやる。
並べられたヌガーに、色とりどりのケーキ類。
美味しそうな匂いをただよわせているスコーン。香ばしそうなクッキーも何種類もある。
ティーハウスでは当たり前の光景だけど、甘い香りはなんだか幸せな気分にしてくれるから不思議だ。
ドラコは紅茶と何種類かの菓子を注文し、僕は飲み物と軽めのサンドイッチをオーダーした。
甘いものはあまり好きではなかったけれど、ここで紅茶のみを注文したら、逆に相手は気を使って何も頼まなくなるかもしれないから、自分も彼に合わせてあまり甘くなさそうなのを、いつも注文することにしている。
ドラコは注文されたものが出てくるまで窓の外に目をやり、通り過ぎていく人々を興味深そうに見ていた。
僕は気付かれないふりで、そんな相手を何度もチラチラと見詰める。
ドラコはふと指を指して「あの耳だけ隠している耳あてみたいなのは、なんだ?」と尋ねてきた。
「ヘッドホンだよ。あそこから音楽が流れてくるんだ。音が漏れにくいようになっているから、自分だけの好みの音楽をああいう風に歩きながらでも聞くことが出来るんだ」
「へぇー……。魔法みたいだな。どこからか音楽を拾うんだ?落ちているのか?」
とか、とんでもないことも言って笑わしてくれる。
こちらの世界をよく知らない彼の前で僕は得意げに説明を始めた。
「ちがうよ、それはね……」
もちろんどういう構造でそうなっているのかなんて知らないし、機械の説明とか専門的な知識は持ち合わせていなかったけれど、当たり前の普通の使い方の方法やその利便性なんかは説明できた。
喋っている僕の言葉を興味深そうに聞き耳を立てて頷く君の顔がきれいで、物知り顔の自分の鼻が少し高くなる。
―――僕はこんな風に流れる穏やかな時間を愛していた。
なぜ彼がマグルのことに興味を示したのかは分からない。
なぜこちらの世界で生活をしていた僕に声をかけたのか分からない。
「仕事の関係でマグルのことを知らなきゃならないんだ」とか、最初は言ってたみたいだったけど、今日のスプリングコートと魔法界での仕事とは、ちっとも関係ないように思えるんだけど──?
「この機械の使い方は?」とか、「マグルの薬について」とか、いろいろなことを聞きに時々僕の前に現れるドラコは、ポケットに手を突っ込んだまま、いつもはにかんだように笑った。
そうして、僕は近頃思うんだ。
『もう、そろそろいいだろ?』ってね。
もうそろそろいいんじゃないのかな、僕たちは?
理由がなくちゃ会えない訳じゃない。
理由がなくても僕はいくらでも君のために、時間を差し出す用意はあるんだ。
君の手を取り、さり気なくそのことを告げようとしたら、狙ったように絶妙のタイミングでティーセットやケーキが運ばれてきて、ちょっとした決意とか気勢とかがそがれてしまう。
僕の伸ばしかけた手はぎこちなく宙を泳ぎ、仕方なく目の前にあるポットを持ち上げることになってしまい、自分の段取りの悪さに小さく苦笑する。
暖かな湯気を立てている紅茶を、互いのカップへと注いだ。
「ありがとう」と素直にドラコが礼を言いながら、それに口をつける。
『あのホグワーツでの意地悪な君はどこへ行ったの?』と聞いてみたいけど、どうでもいいような気がする。
あれからきっといろんなことがあって、今の君になったのならそれでいいと思う。
目の前にいるのが、今の君だろ?
ぼくはそんな今の君をとても気に入っているんだ。
仕事ばかりの一週間はかなり疲れたけれど、こういう風な週末を迎えることは、とても嬉しいことなんだ。
暖かに過ぎていくふたりの時間が心地いい。
チラチラと窓ガラスから、木漏れ日が漏れてきて、テーブルクロスに淡い影を落としていく。
一年の半分くらいは暗く重苦しい天気が続くここでは、太陽の光が一番のごちそうだった。
暖かな日差しが差し込む午後、君はカップを置くとまた喋り始める。
スプリングコートの話なんか語り合いながら、本当は別のことを喋りたいんじゃないのかな、お互いに。
分かっているけど、分からないフリをする。
早く核心にたどりつきたいけれど、今のこういう時間も大切にしたい。
手さえ握っていない今の関係でしか喋れないことも、きっとあるから。
次のステップに上がると忘れてしまいそうな、ささやかだけど暖かくてくすぐったい、なんだかモジモジとしてしまう、照れくさい思いとか、そういうものだ。
急がなくてもいい。
スピードとスリルを味わうような恋は何度も経験済みで、もうとうに飽きていたんだ。
もっともっとたくさん喋ろう。
時間はあるし、紅茶はたっぷりある。
そうして、ふとした弾みで会話が途切れたそのときに、いったいどちらが先に『そのこと』を言うのかな?
プレゼントにかかっているリボンを引っ張るときのような、わくわくとした感じ。
それを想像するだけで、真面目な顔があっけなく緩んでしまいそうになる。
まるで10代の頃に戻ったみたいだ。
そんな表情を隠そうと、店の奥へと続く窓の外に視線を向けると、木々の緑にクレマチスが巻きつくように、白いつぼみをたくさん付けていることに気付いた。
芝生にたくさん植えられているチューリップはつぼみを付けていたけれど、まだ青くて硬いままだ。
隣の黄色い水仙はもう開きかけている。
もうすぐしたらこの奥庭はいっぺんに花が開き始め、きっとはずらしい眺めになるだろう。
その頃にはテーブルが外にも出て、庭でも紅茶が飲めるといいなと思ったりもする。
僕はそれらの花や木を指差して説明しながら、そっと相手に顔を寄せた。
ふたりの距離が少し縮まる。
触れそうで触れない微妙な位置を意識したドラコは、ぎこちなく視線を逸らし、僕はそんな仕草を好ましいと思う。
「もうすぐだね、ドラコ」
いろんな意味を込めてそう囁く。
「なにが?」
「もうすぐ春がやってくるよね」
僕を見て頷くドラコの薄青い瞳はとても柔らかくて、なにかの輝きに満ちている。
互いに分かっているのに、分かっていないフリがとてもいい。
グッとくる。
作品名:Cozy Tea House 作家名:sabure