巡り会う
「俺はあれが本当に嬉しかったんだよ」
今また何事かを書き付けている殉の傍らに両肘をつき、竜児は呟いた。応えて、物問い顔に視線をよこす殉に少し慌て、「総帥が最初にくれた手紙のこと」と説明する。
下町の雑駁な生活の中ではまるでお目にかかることのないような、古風な文机の前に正座し、綺麗に背筋を伸ばして書き物をする殉が竜児は好きだった。
剣崎との壮絶な試合の結果、双方共に静養を余儀なくされ、そこで竜児が静養先に選んだのは、影道殉……影道総帥のそば近く、地獄谷の修練場だった。 自分との試合で疲弊しきった身体なのだから自分の屋敷で静養すればいい、と剣崎は言ったものだが、実姉との恋を実らせた彼の残された時間を邪魔する訳にもいかず、困り切っていた竜児に殉が助け船を出した形である。
「出歩いたりせず静養する分には、あれもそう地獄という訳でもないよ」
「総帥がいいなら俺は嬉しいけど……」
言いかけてちらりと剣崎を見れば、苦り切った顔ながら反論する訳にもいかないといった体。そもそも彼は竜児が殉と親しそうにする度にあまりいい顔をしないのだ。
「兄さん、心配せずとも、影道の皆も高嶺くんを悪く扱うはずがないだろう」
「……あんなとこじゃ休まるもんも休まらねぇだろうが」
「剣崎、それを言ったら、お前と菊ねえちゃんにあてられっぱなしの環境ってほうがよっぽど休まらないよ」
「竜、てめぇ!」
意図的に冗談めかしてつついてみれば、上手くのせられ声を荒げる。素なのか、竜児の意図を汲んだ上の反応なのかは解らないが、いずれにせよそれをなしくずしの了承と解釈し「じゃあ、お世話になります」と竜児は殉に頭を下げた。
消耗しきった肉体は爆弾を抱えているようなものだが、殉のそばで寝起きできると言うことは素直に嬉しかった。竜児の言葉を受け、静かに微笑みながら頷く殉に、剣崎は「起きられる時はせいぜい鍛えてやれ」等と無茶を言っている。
剣崎は薄々気付いており、だからこそあまりいい顔をしないのだろう。
そう思うと頬が熱くなるのを止められない。しかし一方では、お互い様だろうと思うようなところもある。
最期くらいは、好きな人のそばにいたいんだ。
どちらかといえば人やものに執着が薄かった竜児の、それが今は一番胸に大きく響く言葉だった。誰に言うつもりもない。殉本人にも言える筈もない。石松のように振りかざす訳にもいかない、だが既に自覚して育ってしまった恋に少しくらいいい目を見せてやりたいと思ってもばちは当たらないだろう、と、そう竜児は思う。
綺麗な文字も身体の傷も長くてひんやりと重そうな髪も、そして何より、時折目を細めるようにして竜児を見つめながら、どこか陰のある雰囲気でひっそりと微笑むその顔も、巡り会った時から好きだったのかもしれない。