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彼の帰還

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「荒垣」

 声をかけられ、コートの襟越しに声が発された方を見る。この寮の中で自分をそう呼ぶのは桐条美鶴ひとり。見なくとも声の主は解っていたが、先を促すつもりも込めて彼女に目をやった。

「亜虎から聞いたぞ。案外上手くやっているそうじゃないか」
「……別に。当たり前だろ、戻ってきたからにはな」
「戦闘のことじゃない」

 そういうと美鶴は少し言い淀んだ。目上の者や本音をさらせない相手以外には、誤解を招くほど切って捨てるような簡潔な物言いをする彼女にしては珍しい仕草だ。荒垣は揺らしていた組んだ足の先を止め、美鶴の話に集中する。

「お前が入ってくれたのが嬉しい、と、彼はそう言っていたよ。山岸救出の一件での顛末以来、あいつらは随分お前を気にかけていたらしい」
「とりあえずまあ、場数は踏んでるからな」
「頑固者め。ああ、私はこういうことを伝えるのには不向きなんだ!」

 苛だたしげに髪をかき上げる様に、荒垣はふとこの会話の仕掛け人に思い至った。

 つまらねぇことをしやがって。

「……アキだな」
「いや、明彦も、勿論私もお前が帰ってきたのは嬉しいんだぞ!?それに加えて……」
「いい、文句は直接言ってくる。別にお前の言うことや亜虎がどうこうってのは……まあ有り難く聞いとくぜ」

そう言い様、荒垣は座っていたカウンターのスツールから立ち上がり、正面に立っていた美鶴を見下ろし、少しだけ口の端を引き上げて見せた。そのまま階段へと足を向ける。普段は帰って荷物を置けばラウンジに降りてきて、栄養バランスが取れているとは思いがたい食事を掻き込んでいる真田が部屋にこもっていると思えばそういうことか。背後では美鶴が、まだなにやら釈明めいた言葉をつないでいたが、それには構わず階段を上っていった。

 自分が言ったのではうるせぇ黙れ関係ねぇで片付けられるだろう、と踏み、美鶴に頼んだと言うところだろう。普段は先が思いやられるほどの朴念仁の癖に、変なところにばかり気を回す男だ。今そんな気を回すくらいなら、自分を連れ戻そうとする手をもう少しなんとかしてくれてりゃあな、と荒垣は可笑しく思う。

「おい、アキ!」
「……シンジか」

 返事は返ってきたが、いつもならすぐに開けられる扉が閉じたままなのは、多少なりとも決まりの悪さがあるからか。

「入れちゃくれねぇのか?ならここでも俺は構わねぇがな。あのな、俺が戻ってきたのは、嬉しいとか嬉しくないとかそんな話じゃないのは、お前が一番知ってるだろうが」

 そんな生ぬるいことをする為に戻ってきた訳じゃない。

「俺は……俺である前にペルソナ使いとしてここにいるんだ。ここにいる誰もに説明する気はねぇがな……解ってるはずのお前が、妙な真似するんじゃねぇよ」

 そこまで言うと、部屋の中の気配が動いたように感じた。返事はないが、反応があったということは聞いてはいたのだろう。そう考えて、荒垣は会話を終わらせるべく言葉を継いだ。

「美鶴まで巻き込んで困らせるな。……じゃあ、な」
「待て、シンジ!」

 声と共に勢いよくドアが開けられる。流石に驚いて立ちすくんだ荒垣は、物も言わない真田に部屋の中に引き込まれた。そのままぶつかるように抱きつかれ、床の上に二人倒れ込む。小さくはない男二人が倒れた音は案外大きい物で、荒垣は階下の美鶴や、もう休んでいると言っていた天田に聞こえるのではと心配になった。

「何しやがる……」
「それでも!」

 俺は、お前が戻ってきたのが嬉しかったんだ。

 荒垣の上に乗り上げたまま、首筋に顔を埋めて真田が言う。言葉を発する度、暖かい真田の呼吸が布地を通して荒垣に触れる。子供の頃を思い起こさせるその感触は荒垣から言葉を奪い、ならい覚えた場所に収まるように、両手は真田の背中に回っていた。今はもう、何の他意もなくこんなことが出来る関係ではないと荒垣は思うのに、真田はまるで頓着しない。頓着しない、というより、全身で抗うかのように、荒垣への働きかけをやめようとしないのだ。 

 早く、お前が俺を忘れてくれればいいのに。

 戻ってこい、と言われていた時も、部の現状を聞かされ、戻ってきた今も、思うことは一つだ。他に色々なものを持っているはずの真田がどうしてひと一人に対する幼い思い入れを忘れることが出来ないのか。荒垣の中のあらゆるものを、今はもう何一つ真田に向ける訳にはいかないのは真田も承知しているはずではなかったのか。電気も付けずに籠もっていたらしい真田の部屋の中で、薄緑に発光するデジタル時計を見るともなしに目に入れ、それから荒垣は目を閉じた。

 残り時間は、どれくらいなんだ。
作品名:彼の帰還 作家名:タロウ