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修羅場と彼とミソスープ

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「うあっ、あっ、あっぁぁぁぁ」

目の前で頭をかきむしりながら転げ回る菊をどんよりした眼で見つめ、フランシスは無言で自分の肩を回した。
べきっばきっとひどい音がする。

「今度はどうしたのよー」
「これ! 面白くないですよね!! ちっとも! さっぱりぃぃぃぃ!!!」

二人の目の前にはマンガ用原稿用紙が散らばっていた。それに向き合う二人の眼の下にはそろいのクマがどっしりと居座っていて、ここ最近の睡眠不足を裏付けている。

「大丈夫大丈夫、菊ちゃんのマンガはいつも面白いよ。今回だってさ」
「うわああああん!! フランシスさんに心にも思ってないお世辞言われても説得力ないですーー!」
「ちょ、菊ちゃん八橋八橋! 包んでくれないとお兄さん泣いちゃうから!」
「もおおお嫌だー落ちるーー落ちるんですよー!」

ぎゃーぎゃーとわめく菊にため息をついて、フランシスはちらりと時計を見た。
修羅場である。
几帳面な菊は、いつもきちんとスケジュールを組んで同人誌を作っていて、今回のように泣きわめくようなことは3年に一度くらいのものだ。だが、今回のはとりわけ酷い。

「かかなきゃ落ちるよ! それでもいいの!?」
「うっ、えぐっ、嫌ですぅぅ。嫁の本が出したいですぅぅぅ」
「だろ? だったら手を動かして! 菊ちゃんがペン入れしないと俺も作業できないし!」

突発的に噴き出した萌によってスケジュールにねじこまれた本と、「これほんとに面白いの? 自己満足じゃない?」というネガティブ思考のスパイラルに陥って、菊の手はひどく遅くなっていた。
小器用で細かい作業の得意、かつオタクに理解もあるフランシスは毎回のように手伝いを頼まれていたが、今回ほど切羽詰まった様子を見るのは初めてで、若干菊を持て余している。

「ほらほら、泣いてたら原稿に落ちて染みになっちゃうよ。ね、続きやろう。まだ時間あるよ!」
「時間……」

さっと時計を見て時刻を確かめた菊は、じたばたもがいていた床からばね仕掛けのように起き上がって、さっとペンを走らせ始める。
フランシスもほっとして、主線が乾いたことを確認して消しゴムかけを再開した。トーンを貼る余裕はあまりなさそうだが、鬼気迫る顔で一心不乱にペン入れをしている菊を見ると、どうにかなるかもしれない。
お世辞扱いされてしまったが、フランシスは菊の描くマンガが好きだった。だから新刊が出るなら嬉しい。

「終わったら、すっごく美味しいご飯作ってもらうからね!」
「ご飯でも何でも作りますから!!」
「やったーじゃあねーとりあえずお味噌汁」
「いいですよ! たっぷり作ります」
「たっぷりよりも、毎日作ってほしいなぁ」
「ぶふぉっ、何ですかそれ! プロポーズじゃないんですから!! でも答えはウィです!」
「マジで! やったー菊ちゃんが俺の嫁だー!」
「残念ですが私の嫁はもういます」
「そうそう。だから俺の嫁が菊ちゃんでいいじゃん。お兄さん精一杯つくしちゃうよ~主に布団でね!!」
「あっこれ下ネタ! 下ネタですね!?」

寝不足で意識が朦朧とする中、だらだらとテンションの高い会話を続けながら、二人の修羅場は進んで行った。


* * *


「終わったね……」
「はい……」

全ての原稿に、真っ白にならない程度の最低限のトーンを貼り終えて、二人はふふふと疲労の色が濃い顔を見合せて力なく笑う。

「明日……の、昼に集荷に来るんだっけ? というかもう今日になってるけど」
「はい。その予定です。あの、フランシスさん、私もうダメみたいです……」
「うん、俺も。まずはさ、寝よう」
「ええ、寝ましょう……」

そうしてふらふらと立ち上がって、お互いを支え合う状態で隣室へのふすまを開いた。
客用の布団が一式だけ敷かれている。

「あれ、布団、ひと組だけ?」
「はぁ…ああ。私は自分の部屋に敷いてますので」

フランシスは肩を組んでいる菊の顔をまじまじと見た。連日の睡眠不足と、今日の徹夜でクマだけでなく顔色もくすんでいる。足元も、敷居にひっかかりそうなほどふらふらだ。

「菊ちゃん……」
「え、おわ、ちょ、ちょっと、フランシスさん?」

ずるずる、とフランシスは菊を押し倒すようにして体重をかけ、布団の上に転がった。柔らかいものの上にゆっくりと横たわれる幸福をかみしめながら、ぬいぐるみを抱くように菊の体を抱きしめる。

「フランシスさん?」
「いいじゃん、一緒に寝ようよ」
「それはちょっと……あの」
「大丈夫、何もしないし。さすがのお兄さんもそんな元気ないわー」

伸びたひげで菊の頬をざりざりとこすってやると、嫌そうに顔をそむけられた。
ちゅ、と幾度かこめかみに唇で触れると、観念したように菊の体から力が抜ける。もぞ、と居心地の良いポジションを探すのを助けて腕の力を抜くと、いつもの場所に頭を落ち着けた。

「じゃあ寝ましょう」
「うん、おやすみ菊ちゃん」

最後の気力を振り絞って携帯のアラームを6時間後にセットすると、フランシスと菊は即座に夢の沼にダイブしていった。


* * *


どこからか響くチャイムに、ハッと覚醒して、フランシスはがばっと布団の上に身を起こした。
菊は隣でのんきに寝こけている。

「あっ、原稿!」

バイク便が来る予定だったはずだ。慌ててフランシスは丈の合わないジャージ姿のままで原稿用紙の入った封筒をひっつかむと玄関へ走る。

「はいはーい!」

がらりとガラスのはまった格子戸をあければ、やはり訪問者はバイク便で、顔馴染みの青年だった。

「じゃあ、これ」
「はい。確かにお預かりします」

ボロボロの姿に何を言うでもなく、バイクが去っていくと、ほーっとため息をついてフランシスは布団の前に戻る。
跳ね起きた時のまま、布団では菊が眠っていて、くぁ、と小さなあくびをしたフランシスはもぞもぞと布団へ再度横になる。
寝相まで几帳面であまり動かない菊は、戻ってきたフランシスの体にぴったりと添う。自分のあご下辺りに来る黒髪が少しパサついていて、思わずそれを指で挟むと、埋もれていたスクリーントーンのかすを発見して口元が緩んだ。

「起きたら、飯より先に風呂かねえ」

ちょいちょいと指先で髪から取り除いた。
そういえば、彼はこれから毎日味噌汁を作ってくれる約束をしたのだった。さらに口元がにやける。

「楽しみ……ふぁ」

さっきよりも大きな欠伸が出て、フランシスは菊を抱き抱え直すと、二度寝位してもいいよねと目を閉じた。



作品名:修羅場と彼とミソスープ 作家名:はまこ