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フェードアウトフレーバー

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隠れ家でない方のマンションの自室で、待ちぼうけを食らいながらイヴァンは煙草をふかす。
今日は久しぶりに夜会う約束を取り付けられたはいいが、忙しいカポ様は役員の爺様か、
他の組織の重役と楽しく晩餐でもしてるのか約束の時間を過ぎても来ない。時計の針が無
機質な音を立てながら進む。灰皿に溜まる吸い殻と比例して大きくなっていくのは苛つきと、
焦れったさと、虚しさと、寂しさだった。混ざって大きくなる思いを抱えながら、部屋のドアの
向こうで物音がする度に腰を浮かせて、その度に期待は泡になって消えていった。安っぽ
いスラングを吐いたところでそれは気休めにもならなくて、投げやりにソファに腰を落とす。
隣で同じようにソファに背を預けて、楽しげにからかいの言葉を投げてくるジャンの姿はない。
見てしまったら余計もやもやして、苦しくなるのは分かっていたから隣を見ないように背を向
けて煙を吐き出していた。一人でいるはずじゃなかった時間を一人で長く過ごしていると、
永遠に来ないんじゃないかなんて気になってくる。大人しく待ってるのが馬鹿らしい。そこで、
素直にその通りこの場を去ってしまえればいい。ジャン以外だったらそうできていたかもしれ
ない。けれど、待っているのは唯一期待してしまうその人で、いつまで続くか分からない孤独
も二人で過ごす時間となら引き換えても惜しくない、お釣りが出るくらいだと思ってしまうのだ。
暫く黙って煙草をふかして、箱を見たらあと一本しか残っていないのに気がついて、シット、と
吐き捨てて席を立つ。頭を無造作に掻きつつドアの前まで歩いていくとイヴァンが開こうとす
る前にガチャリ、とドアが開いて思わず一歩下がる。
「うぉあっ・・・!ったく、誰だよ・・・・って、あ」
イヴァンが視線を上げた先には、さっきからずっと待ち続けた、初めて会った時とは大違いに
着飾ったジャンが居た。
「ハァイ、随分待たせちゃったかしらん。・・・全く、爺様方って本当元気だよなーごめんな、イ――・・・」
後ろ手にドアを閉めながら、苦笑しつつ謝るジャンを見ていたらふっと糸が切れて、気がつい
たら手を伸ばしてきつく抱き締めていた。一人で待っていた時間も合わさってか、腕の中の生
暖かいジャンの温度が懐かしくすら感じられる。
「・・・・遅れてごめん、イヴァン。・・・にしても、いきなりこんなことするくらい、寂しかったのけ?ん?」
「っるせぇ!!し、したくなったからやっただけの話だ・・・!悪りぃかよ」
「いんや、別に」
相変わらず素直じゃないな、なんて思いながら、ジャンは少し笑う。笑いながら肩に顔を埋める
ものだから、微かな振動がくすぐったくてしょうがなかった。顔が少し熱くなるのが分かって、互い
の顔が見えない状態で良かったと思った。ジャンの首筋に顔を埋めて、すん、と鼻を動かす。
やっと二人で会えたのと、部屋に充満する煙草の香りで紛れていて分からなかったが、流石に
この距離だと直に鼻孔をくすぐる。よそゆきの、どこのだか分からない香水の匂い。本部内の廊
下ですれ違ったり、会議で顔を突き合わせた時に微かに漂うそのフレーバーが、イヴァンは好
きではなかった。ジャンがカポになるのに反対だとか、そういう訳では断じてない。ただ、カポと
しての彼を見ていると、たまに遠く感じることがある。それを助長させるように香るフレーバー。
欲しいのは、その下のジャンの香りなのに、届かない。すぐに剥がしてしまえればと何度考えた
だろう。ジャンを遠くに感じた、様々な記憶が巡って、思わず眉をしかめるなり、ジャンの両肩を
掴んで引き離す。
「おっお前先、フロ行って来いよ!ジジィどもの匂いが移ってジジ臭くなってんぞ」
お前のよそゆきの香りが気に入らないから早く落として来い、とは言える筈もなく、自然そうな理
由をつけて誤魔化す。ちらりとジャンの方を見ると、いきなり引き離されたからか一瞬ぽかんとし
て、自分の匂いを嗅いでいる。
「えー・・・そうかなあ・・・・ま、いいや。んじゃお先に。あ、そうだイヴァン」
「な、なんだよ」
あまり疑われずにいられてほっとしていると、ネクタイをほどいてジャケットのボタンに手をかけな
がらバスルームに向かっていたジャンに振り返り様に言われた。
「お前もすげえヤニ臭いから次にちゃんと入れよ。・・・部屋も、換気くらいしとけ」
「んだとぉ!?俺は別に臭くなんか・・・・!・・・あ、」
言ってやった、とばかりにニヤリと笑ってジャンはバスルームに消えていく。悔しいが言われた通り、
服にはさっきまで吸っていた煙草の匂いがまとわりついていた。







シャワーを済ませてからは、酒を飲みつつくだらない話をして笑った。こんな何でもないような時間
はあっという間に過ぎてしまうのに、貴重だ。少ししかない。一日の疲れのせいか、ジャンが眠たそ
うにしているので、小さな宴会はお開きにしてベッドに潜り込むことにする。互いに下着だけの状
態になって寝転ぶと、イヴァンはジャンの背後から腕を回して、ぐっと引き寄せた。首筋にまた顔を
近づける。ずっと求めていた、ジャンの匂いがした。
「・・・っふはは、くすぐったいっての・・・匂い嗅いで欲情すんなよ、イヴァンちゃん」
「・・・っテメー、何俺をいつも欲情してるみたいに・・・!!」「だってそうじゃね?」
「う、うるせぇええ・・・!!とっとと寝ろバカ!」
腕の中のジャンが肩を揺らして笑う。片手は口元を押さえていて、もう片方はからかいながらもちゃ
んと腰に回るイヴァンの手の上に重ねられていた。こういうさりげないジャンの仕草が好きだった。
応えるようにその手をぎゅっと掴む。
「・・・っはは、分かったよ。おやすみ、イヴァン。今日は寝るけど、明日なら・・・いいぜ、シても」
ジャンはそう言って、振り返る。一瞬スタンドの灯りが顔を照らした時に、頬が微かに染まっていた
気がしたけれども、確認する間もなく灯りは消されたのと同時に、イヴァンの頬に軽い口づけが降
ってきた。驚きで僅かに身が硬くなる。
「・・・と、とっとと寝ろぉお!!!」
ヤケになって叫んだ声と、ジャンの笑い声が混ざるように溶けて、一つになって闇に落ちていく頃
には、二人の瞼は閉じていた。