月夜に【臨帝】
折原臨也は全力でその光景を嘲った。
「あはははは、ははは、はは」
炎の中で笑いながら踊る。
人々の悪意を嗤う。
逃げ惑う人々の中を逆走しながら臨也は哂い続けた。
別に人間を低く見ているわけではない。
臨也にとって食料だとしても同等の知的生命体などと思う日など来なくても、変わらずに人間を愛していた。
人間が犬や猫で癒されるかのように。
いいや。食べることが前提なのだから豚や牛などと同じ家畜なのかもしれない。
「あははははは、はは」
両手を上げて臨也は燃え上がる村を笑った。
おかしくて涙さえ流れてしまった。
感情の制御が上手くいかないらしい。
一人の少年を思い出して、理由を擦り付ける。
「まったく、帝人君のせいだ」
失ったと思った感情が、止まった時が動き出していた。
「喜怒哀楽なんて風化しちゃったかと思ってたよ」
肩をすくめて吸血鬼である臨也にとって無縁のその場所へ足を進める。ちょっとした親切心だ。
日用品でも持って行ってあげようとそう思った。
何処に居ても掴まえる。
印はつけては居なかったがそんなものは関係ない。
「俺がこんなにも求めてるんだからさ」
動き出した鼓動は少年を求めて早くなる。
見失うはずがない。
そう、信じていた。
「え?」
礼拝堂から住居の方へ入ろうとした。勝手口は使えない。招かれていないからだ。正面は誰にでも、それこそ臨也のような異形にすら開け放たれていた。
純粋な魔の存在である臨也は世界に張り巡らされたルールに引っかかる。力が強ければ強いほどにルールもまた強い。
小さな村に似つかわしくない巨大な教会。
扉を開けて臨也は呼吸を止める。
比喩ではない。
文字通り息を吐き出すのも吸うのもやめた。
臨也が人間と同じようにしないとならない理由などない。
酸素などなくても生きていけるのだ。
こんな『異臭』を体内に入れたくなかった。
近隣に火の手が上がっているというのに静かな教会。
席は、埋まっていた。
教会は孤児院も兼ねていたが、村にこれほどの子供は居なかった。綺麗に座っている子供たち。
すべて首から上がなかった。
子供だと臨也が判断したのは自分が蹴り飛ばしてしまった頭が見知った顔だったからだ。
帝人と一緒にいるのを見たことがある少女のもの。
少しだけ腹立たしかったところのある娘だったが、こんな有様になることを臨也は予想していなかった。
違う。問題は少女ではない。
(どうして? 逃げろって、俺は……)
少女の首を抱えて臨也は腑に落ちない気持ちのまま歩く。
なかったはずの赤い絨毯に違和感を覚えるのは遅すぎた。
気持ちの悪い足下の感触に臨也は足を動かすのをやめる。
数センチ浮遊する。
神の身元、聖なる力も血の汚されれば臨也には届かない。
多少の息苦しさはあったが元より息などしていない。
人間とは体の作りが違うのだ。
ただ、同じであるかのように振る舞っているだけ。
「帝人君?」
声に反応するかのように光の届かない片隅で闇が動く。
臨也は躊躇せずに銀のナイフを投げた。
自分の弱点である銀を臨也は持ち歩いていた。
悲鳴を上げて倒れ伏す野獣を苛立ちのままに臨也は蹴り飛ばす。
奥歯を噛みしめて、壁に触れる。
壁ではない人だ。少年だ。すべて少年だ。
「許さない許さない許さない許さない許さない」
吐き出される呪詛を臨也は抱き締める。
壁に吊るされている子供たちは見たことがある服ばかりだった。
村の元々の子供たちなのだろうか。
「許さない許さない許さない許さない許さない」
帝人は生きながらにして内臓を取り出されている最中に見えた。
絶命しておかしくない。
「俺の血を一滴……そっか、ごめんね」
自分の完治している指先を臨也は見つめる。
「痛いよね」
「痛くないですよ」
帝人の凛とした声に臨也は驚く。正気などとっくに失っていると思った。
それほどに帝人の呪詛は冥府の匂いがした。
「みんなの方が痛かったに決まってる。みんな信じてた。裏切られる日が来るなんて思ってなかったに違いない」
血を吐く言葉に臨也は「だから、こんな村捨てろって言ったのに」と忌々しく口にする。
「善意なんて何処にもないんですか? そんなはずない。でも、みんな悪人ですね。口減らし、だったらまだ良かった。楽しそうに、あの人たち……怖いって泣いた後に笑いながら、僕たちを……」
「君たちは、移民だったから……黒髪は不吉だって話しただろ」
「受け入れてくれてるんだと思った」
「大人は大嘘吐きだ」
「臨也さんも?」
「俺は大人でも子供でもない。人間じゃないからね」
「僕もそうなれますか?」
「なって?」
「壊します。教団の教えだって言ってました」
「……簡単じゃないよ? それは概念の破壊だ。人の身に巣食う悪意の駆逐だ。君は――」
「僕は許さない」
「黒幕なんてものは存在しない。仮にいたとしても」
「それがなくなっても、また出てくるんですよね。いいです。続けましょう」
口の端から血を流しながらも帝人は微笑んだ。
太陽の下で水汲みを頑張ってこなしていた少年には見えない。 魔物の顔になっていた。
痛みは人の限度を超えているはずだ。
帝人の意識を支えているのは憎悪に他ならない。
「臨也さん、僕に力を下さい」
ギラついた瞳は暗闇の中で確かに光っていた。
自分の血が帝人の中で蠢いているのを臨也は感じた。
屈服させられたのだろう。
今まで共生していたのだろうか。
「出来るんですよね? お願いします」
頼んでいる言葉にしては随分と上からな声音。
それでも臨也は吊り上げられている帝人の手枷を壊して呻く。
「俺は……」
こんな関係を望んだのではないと喚きたくなる気分を抑える。
一生懸命、人としての時間を生きていた帝人を自分の側に固定させるのは最後の手段だったのだ。
もう少し仮初とはいえ人の中で生きるつもりだった。
首筋に触れるのは躊躇って臨也は帝人の手首に歯を立てる。
痛みはある筈だ。
「君はもう引き返せない。永遠に」
「あなたのものです。マスター?」
皮肉気な帝人の笑みが臨也は少し悲しくなった。