線香花火
「あれ、シズちゃん?」
見慣れた後姿を見かけて臨也は声をかけた。
声をかけられた静雄はゆっくりと振り返る。
「・・・・・・なんだ、臨也か」
「久しぶりだね」
「そうだな」
煙草をくゆらせながら、静雄も頷いた。
こうして街中で会うのは半年ぶりくらいだろうか。
お互い行動範囲が変わったのか、それとも別の理由か、
昔ほど顔を合わすことも少なくなっていた。
「シズちゃん、ひま? ちょっと飲まない?」
「あ? てめーの奢りなんだろうな」
「相変わらず安月給なの?」
くすくす笑いながら臨也は歩き出す。
煙草を消した静雄もおとなしくついて行った。
少し外れた場所にある、小さめの居酒屋に落ち着く。
適当に肴を頼み、旨そうな日本酒があったのでそれを酌み交わす。
相変わらず酒にあまり強くない静雄も、
日本酒ならまあ、少しは飲めるようになった。
穏やかに二人で酒を飲む。
それはまるで夢の中のよう。
二人が殺しあっていた日々は今はもう昔。
時がたつにつれ、静雄の力はなくなりこそしなかったが落ち着いてきたし、
臨也の情報屋としての仕事も、少しずつ方向を変えていった。
金だった静雄の髪は、今はもうすっかり昔の色になっていた。
逆に見慣れないその色に臨也はしばらく慣れなかったが、
いつの間にかそれにすらなじんでしまった。
「そういえばドタチンのとこ二人目だって」
「そうらしいな。祝いって何やればいいんだ?」
「下手なものあげると一人目の時みたいに失敗しそうだしねぇ」
思い出したように笑う臨也に静雄もつられる。
周囲にそういったことに詳しい人間もいなかった年の頃の話で、
今だったらもっとましなものをあげられるだろう、とは思うのだが。
ただ、二人ともいまだにそういったことには縁が無いので自信がない。
「そういや、茜ちゃんももう大学生?」
「こないだ受かったって言ってたな」
「もうそんな年かあ」
俺たちも年をとるはずだよね、と臨也が小さく息をもらした。
そうだよなぁ、と実感するように静雄が答えた。
「もう茜ちゃん結婚できる年だね。シズちゃん婿候補じゃないの?」
「は? 馬鹿言え。なんで俺が」
「だって茜ちゃん、シズちゃんのこと好きじゃない」
「あれは・・・・・・妹みてえ、なもんだ」
ふうん、と臨也は気のない返事をして、さらに聞いた。
「じゃあ、あの娘は?」
「誰だ?」
「あの、ロシアっ娘」
そろそろ射程範囲じゃないの? と臨也がくすりと笑えば、
そういう対象じゃねえよ、と静雄も笑って返した。
どちらの娘も、長い年月を見守ってきた、大事な妹のようなものだった。
幸せになってほしいとは思うが、幸せにしてやろうとは思わない。
「お前こそどうなんだよ」
「俺?」
「あの美人秘書」
そろそろいいんじゃねえ? と静雄が水を向けると、臨也は肩をすくめた。
「波江こそそういう対象じゃないよ」
「ふーん」
「あ、信じてないね? 確かに波江はいないと困るけど」
恋愛対象じゃないんだよね、仕事のパートナーとしては申し分ないけど。
それに、と臨也は笑いながら続けた。
「いまだに弟しか見えてないから」
「あー・・・・・・お前も大変だな」
「シズちゃん絶対勘違いしてるでしょ」
してねえよ、と静雄は肩を震わせて笑う。
その笑い方、絶対誤解してるよシズちゃん!
臨也は軽く膨れて見せて、それから。
「・・・・・・ねえ、シズちゃん」
「なんだよ」
「あの頃の俺は、君のことが」
好きだったよ、と臨也は呟いた。
それは遠い昔のころのような。
それでも今でも鮮明に思い出せる。
真昼に見た夢のような。
鮮やかだけど儚い。
「知ってた」
「やっぱり」
くすりと、臨也は笑う。
シズちゃんは昔からそういうとこずるいよね。
日本酒に口をつけながら臨也が呟いた。
「俺も」
「うん」
「お前のことが好き、だった」
それこそ知ってたよ。
一体俺を誰だと思ってるのシズちゃん。
臨也はそう言って笑って見せた。
静雄もつられたように笑う。
「でももう」
「そうだな」
昔のことだと、どちらともなく言った。
その感情を忘れてしまったわけではないけれど。
それは遠い夏の日の花火のような。
鮮やかに咲き誇る、一瞬の。
鮮烈に焼き付いて、消えない。
きっと一生、どこかにこの想いは燻り続ける。
花火の終わりの密やかな線香花火のように。
好きだった。
欲しかった。
傷つけて傷ついて。
何よりも深く深く相手に自分を刻みつけたくて。
でも今は、こうして二人で穏やかな時間を持てる。
だから、その感情に名前をつけてしまうのが嫌だった。
ようやく手に入れた、傷つけない、傷つかない、
けれどそばにいることのできるこの距離を。
だからそれを壊してしまうことが怖かった。
臆病だと思うかもしれない。
けれど、ここに至るまでに自分たちは
いろいろなものを失くしてしまったから。
だから、もういいんだ。
そう思えるまでにここまで時間がかかってしまったけれど。
「じゃあ、今度ドタチンのお祝いに行こうよ」
「行って大丈夫なのか? 落ち着いてからのほうが、」
「だって俺、赤ちゃんって間近で見たことないからさ。見てみたいし」
「そういや一人目の時は門田に渡して終わりだったからな」
先ほどまでの話はなかったかのように、普通に会話は続いて行く。
それぞれの胸の中で、終わらない線香花火が小さな華を咲かせながら。