赤いマントと青い鳥
あふれてた
こぼれてしまいそうだった。
締りのない口元を押さえて、少しだけ、足を速めた。
こんなことで一喜一憂する自分も、あんなことで必死になるあの子も。体育館裏、サッカーボール。やさしいひと。不幸な自分しか、周りの心無い言葉しか、見えていなかった自分が恥ずかしい。目を開いて、顔を上げていれば、見えていたはずなのに。
立ち止まらなければ聞こえなかった。不器用な気遣いを知って、ようやく気付いた。一人ぼっちなんかじゃ、なかったんだな。こんな場所に来て、一人で、頑張らなきゃいけないと肩肘張って、それは、間違ってはいなかったけれど、それだけでもない。それだけではない。
胸が熱い。嬉しいのだ。そして、苦しい。嬉しくて、苦しい。大人なら、これをせつない、という感情だと思うのだろうか。それともくすぐったい、だろうか。幸せというには大袈裟で、でもそれと似ていて掴みどころが無い。分からないことは、まだまだ多くて。わからない。
胸に溢れてこぼれそうなのは、笑顔なのか涙なのか。
「う…わ」
階段を踏み外した。浮かれすぎていただろうか、と気を引き締めて、自分を掴んだ手をまじまじと見た。大きくて擦り傷の目立つ、逞しい手だ。
「すまない」
「大丈夫か?」
信じるか信じないかは個人の自由だが、理屈はともかく直感というものは存在する。目が合った瞬間、こいつだ、と思った。自分に人の才能を見極める能力が備わっているかどうかは、ほんの少しの自負と共に知っている。大きな体、反射神経、それだけではない奇妙な安心感。階段から落ちてきた人間をこうも鮮やかに受けとめる男が、ボールをどんな風にとめて見せるか、その興味もなかったといえば嘘になる。
「…なあ」
「ん?」
ちからをかしてくれないか。唐突な言葉だったにも関わらず、話を聞く前から男は肯定的な目をしていた。この男も、きっとやさしい人間なのだろう。冷え切っていると思っていた学校が一日で違うものに見えてきた。切り口の角度ひとつ、世界はこうも色を変えるのだ。
「ああ…なるほど。たぶんそれは佐久間と辺見だな。マスクは咲山で、大きいのはだいでんだ」
「知り合いか」
「まあチームメイトだからな」
それでも男は手を差し延べてくれた。それを俺は忘れない。
「じゃあ俺はもう一人声を掛けてくるから、お前ももう一人探してきてくれ。十分後に昇降口でおちあおう」
「わかった」
「俺は、源田幸次郎」
「鬼道有人だ」
目を丸くして、それからあっけらかんと頷いて見せる。こういう男が、きっと一番、安心して背中を預けられる相手なんだ。
「ああ、お前が鬼道か」
サッカー上手いんだってな、と、なんの屈託もなく言って男は笑った。